医学界新聞

連載

2010.10.11

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第184回

医療訴訟の「副作用」

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2897号よりつづく

 2010年8月,米医師会が医療訴訟の実態に関する調査結果(註1)を公表した。発表されたデータは,2007-08年の2年間,医師5825人を対象としたアンケート調査によって得られたもの。「訴訟社会」と言われる米国で,医師たちがいかに頻繁に訴訟に巻き込まれているかを如実に数字で示し,話題となった。

 以下に,主立ったデータを紹介する。

1) 医師が1年間に訴えられる頻度は約5%(20人に1人)。
2) 訴えられた経験を持つ医師の頻度は医師として働いた期間が長くなるほど増え,55歳以上に限ると61%に達する(1人当たりの訴訟件数は1.6件)。
3) 専門科によって訴えられる頻度は大きく異なり,訴訟体験を有する医師の割合は,精神科では22.2%にしか過ぎなかったのに対し,外科・産婦人科では69.2%に上った(産婦人科医師は40歳になるまでに2人に1人が訴えられる一方,55歳以上の外科医は90%が訴えられた体験を持つ)。
4) 訴えられる頻度には性差があり,男性医師が47.5%であったのに対し,女性医師は23.9%と,倍近く異なった(註2)。

膨大な訴訟費用と不合理な帰結

 これだけ頻繁に訴えられれば,米国の医師たちが訴訟を避けるために,「医学的適応があるとは思わないけれど,訴えられたときに負けてしまう」と,「防衛医療」にいそしむのも無理はないが,医療訴訟の「副作用」は,防衛医療による医療の「歪み」や医療費の無駄使いだけにとどまらない。

 防衛医療以外の副作用の第一は,「医師-患者関係の悪化」である。イリノイ州医師会の調査によると,「会員医師の82%が,どの患者も『(自分を訴えるかもしれない)訴訟リスク』に見える」だけでなく,「3分の2の医師が,訴えられる可能性を避けるために,リスクが高い医療行為を減らしたり止めたりしている」という。

 副作用の第二は訴えられること自体によって発生する「コスト」である。医療過誤保険団体のデータによると,訴訟1件当たりの弁護費用は約4万ドル。しかも,全訴訟の約65%を占める,示談にも裁判にも至らない(=もともと訴える根拠が薄弱だったと思われる)事例でも1件当たり約2万2000ドルの弁護費用が支出されるという(一方,裁判となる事例は全訴訟中約5%であるが,その場合,弁護費用は10万ドルを超えるのが普通である)。弁護費用がかさめば医師たちが加入する医療過誤保険料も上がり,患者・支払い側への請求額に跳ね返るので,防衛医療に加えて医療費高騰に寄与する要因となっている。

 さらに,訴訟は,膨大なコストと時間をかけて争われるにもかかわらず,その帰結と過誤の有無とは一致しないことが知られている。例えば,Studdert 等は,1452例の訴訟事例を詳細に分析した上で,「過失がなかったと思われる事例の19%で賠償金が支払われたのに対し,明瞭な過失があったにもかかわらず賠償金が支払われなかった事例は16%に達した」とするデータを示している(註3)。

米国医師が共感するシェークスピアのせりふ

 ことほどさように,訴訟で医療過誤の被害を救済するというやり方は,矛盾と不合理に満ちているのだが,現行制度を変えようと,さまざまな動きが起こっている。例えば,米医師会等医師団体は,「賠償金目当ての無意味な訴訟を防ぐ」ことを目的として「賠償金に上限を設ける」ことを運動の主眼としているが,この方法では「訴訟による解決」というやり方自体を変えることはできないので,その効果には疑義を呈さざるを得ない。

 訴訟以外の救済制度としては,「裁判外紛争解決手続(Alternative Dispute Resolution)」,「一定の基準に従った医療を行った場合過失を問わない(Safe Harbors)」,「無責救済制度」(註4),「医療専門法廷」等が提唱されている。また,2010年3月に成立した医療制度改革法では「医療訴訟に代わる方法についての試行プロジェクト」に対し,総額5000万ドルの研究資金を与えることが盛り込まれた。米政府の肝いりの下,訴訟によらない救済・解決法を見いだす努力が始まっているのである。

 ところで,前述のStuddert等の研究によると,調査対象1441例で支払われた賠償金の総額は3億7600万ドルであったのに対して,原告・被告双方の弁護士フィー総額は2億40万ドルに達した(註5)。過誤の被害者に賠償金が100ドル支払われる度に,弁護士事務所に54ドルが支払われた計算である。

 「The first thing we do, let's kill all the lawyers」は,シェイクスピア『ヘンリー6世・第2部』のせりふ(第4幕第2景)だが,米国でこのせりふに共感する医師がとりわけ多い理由がおわかりいただけるだろうか。

つづく

註1) AMA policy research perspectives. Medical liability claim frequency: A 2007-2008 snapshot of physicians(http://www.ama-assn.org/ama1/pub/upload/mm/363/prp-201001-claim-freq.pdf
註2) 性差の理由については,(1)訴えられる頻度が高い専門科で男性医師の割合が高い,(2)医師となる女性が増えたのは最近の傾向であり,平均すると経験年数は男性のほうが長い,等が挙げられているが,同じ科・同じ年齢層に限った比較でも,男性医師のほうが訴えられやすい傾向が認められたという。
註3) Studdert, DM. et al. Claims, errors, and compensation payments in medical malpractice litigation. N Engl J Med. 354(19): 2024-33, 2006.
註4) 本連載第8回参照
註5) 通常原告弁護士のフィーは賠償額の35%。

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