医学界新聞

連載

2010.10.04

連載
臨床医学航海術

第57回

言語発表力
話す,プレゼンテーション力(2)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

臨床医学は疾風怒濤の海。この大海原を安全に航海するためには卓越した航海術が必要となる。
本連載では,この臨床医学航海術の土台となる「人間としての基礎的技能」を示すことにする。もっとも,これらの技能は,臨床医学に限らず人生という大海原の航海術なのかもしれないが……。


 今回も人間としての基礎的技能の5番目である「言語発表力-話す,プレゼンテーション力」について,前回に続いて誰もがわかりにくいと感じる話し方の例を考える。

4.不適切な言葉遣い

 構成がよくても,言葉遣いが不適切だと,聞き手は不快な思いをする。

事例5:初対面の患者さんに,診察室でいきなり「おじいちゃん,どこが悪いの?」

 こう言った医師は患者さんに親しみを持って接したつもりかもしれないが,このような気さくな言葉遣いは親密な医師-患者関係が確立されてから用いるべきである。初対面でこのような言葉遣いを一方的に用いる医師は,自分はすべての患者に気に入ってもらえるだろうという一種のうぬぼれがあるに違いない。ある医師を気に入るかどうかは患者さんが決めることであり,診察した医師が一方的に決めることではないはずである。だから,親密な医師-患者関係を押し売りするような言葉遣いは,聞き手からは失礼と受け止められかねないのである。したがって,親密な医師-患者関係が未確立の初対面の患者さんには原則として丁寧語で話すべきである。

事例6:「先生今度本出すんですか? 本が出たら,俺が本買ってやりますから,サインしてください」

 筆者が初めて本を出版しようとしていたときに,その話をどこからか聞いたある研修医からこう言われたことがあった。この研修医としては,本を出版する筆者へのお祝いのつもりで,「本を買うのでサインをください」と言いたかったのかもしれない。しかし,「買ってやる」という表現が気にかかる。この研修医は素直に「買う」ならまだしも,一応目上である者に対して「買ってやる」と言ったのである。この表現を聞くと,この研修医は「どうせ先生みたいな人が書く本は売れないだろうから,俺のようなものが買ってやらないと困るだろう」と思っているのではないかとも考えられる。

 何気ない一言であるが聞き捨てならないのは,そこに言った人の真意がうかがえるからである。人が本を書くということをどう思おうとその人の自由である。しかし,その思いを人にうかがわせるような表現をすることが人を不快にするのである。

 「言葉」は「言の葉(事の端)」といってそこに言った人の無意識の思考が反映されるのである。元来日本には言霊(コトダマ)思想といって,言葉には霊的な力が宿るという思想があった。この言霊思想によると,良い言葉を発すると良いことが起こり,悪い言葉を発すると悪いことが起こるとされた。そして,日本は言霊によって幸福がもたらされる「言霊の幸ふ国」と考えられたそうである。

 ここでこの言霊思想の真偽は別にして,話し言葉は失言をすると聞き手から言葉尻をとらえられることがある。つまり,自分が無意識に悪いことを考えてつい失言してしまうと,それを聞き手が察知して相手を不快にしてしまうことによって,ついにはその言葉を発した自分にも悪いことが降りかかることがある。これとは逆に良い言葉を人に言うと,相手から良いことをしてもらえることもある。そういう意味で言霊思想というのは本当なのかもしれない。だから,言葉はそこに聞き手がいれば,単に発すればよいというものではなく,常に相手がどのように受け取るかを考えながら発しなければならないのである。

 下書きや準備をする機会が少ない話し言葉には特に,政治家や芸能人だけでなく,われわれ医療者も失言をしないように十二分に気をつけなければならない……。

5.聞き手のレベルや反応を理解していない

事例7:あるときコンピュータのことがわからずに友人に尋ねたことがあった。するとその友人はこう答えた。「それは,DOSがなんとか,マシン語がどうだとか,%&$#*+@&%#$????」。

 その友人はコンピュータのことを詳しく知らない筆者のために,わかりやすく解説したつもりだったかもしれない。しかし,残念ながら筆者はその友人ほどコンピュータには詳しくないのである。このように,聞き手のレベルを理解せずに話すと,コミュニケーションが成り立たないばかりか,時には単に知識をひけらかす自己満足にしか映らないことにもなりかねないのである。

“Bottom line question”で議論のレベルを確認する
 医療の世界でも,聞き手のレベルを無視して話してしまうことはある。しかし,話し手と聞き手の間のレベルの違いを把握し,それを考慮した話をしないと,そのあとの議論はほとんど意味がなくなってしまう。このような行き違いを防ぐために,米国ではカンファレンスの最初に“bottom line question”という質問がされる。

 例えば,医学生,1年目研修医,2年目研修医,3年目研修医と循環器内科の指導医でカンファレンスをしているとしよう。そのカンファレンスの最初に循環器内科指導医は厳しい顔で突然医学生に向かって,「心臓には部屋が一体いくつある?」と聞き出すのである。循環器内科の指導医だからよほど難しい質問をするだろうと思っていた医学生は,あまりにも基本的すぎる質問に耳を疑い驚く。こんな基本的な質問をもったいぶって訊くということは,もしかして心臓にある部屋の数は5つとかいうのが答えなのではないかとさえ考えをめぐらせてしまう。しかし,しばらくの沈黙の後に,医学生は勇気を持って答える。「4つです……」。すると,循環器内科指導医はおもむろに「そうだ」と笑って答える。とその瞬間,緊張した面持ちの出席者一同は一斉に胸をなでおろし安堵するのである。

 この“bottom line question”は,半分冗談であり半分真剣である。要は,議論をする前にすべての参加者の前提を再確認しようとしているのである。カンファレンスでの議論はこの大前提から出発する。そして,議論を進めるうちに全員が理解できない段階になると,再度全員が理解している段階まで戻るのである。このようにしてカンファレンスやそして講義においても,話し手と聞き手の行き違いを是正するように常に努めながら議論を進めるのである。

 しかし,日本においてはカンファレンスや講義は話し手が聞き手の理解や反応を逐次確認せずに一方的に話しまくることが多い。聞き手が学生だろうが看護師だろうが救急救命士であろうが医師であろうが,全く同じ講義をする人がいる。また,聴衆の反応を見ないで話す人も多い。一方,逆に話し手として講演などで聴衆に質問を投げかけても,日本では「人の話は黙って聞くのが礼儀」と教えられている人が多いためか,全く反応がないことも多い。このような状況であると,講演する側としてはやる気がなくなる。

 筆者は,理想的なカンファレンスや講演は究極的にはテレビのトーク番組であると考えている。話し手と聞き手がテニスのラリーのように生き生きとした会話を楽しむ。そこにはシナリオにないアドリブもあるし,聞き手の反応によっては話し手も話の構成自体を変えることもあるのである。

 うまいプレゼンテーションをするにはどうしたらよいのかというのがよく問題になる。第56回,第57回の誰もがわかりにくい話し方の例を考えると,うまくプレゼンテーションするためには,逆に表現力を豊かにして,構成をよく練って,適切な言葉を用い,聞き手のレベルや反応を理解しながら,味わいのある話をするということであろう。そう考えるとテレビのトーク番組で活躍するお笑い芸人というのは,人を幸せにする卓越した話術の達人と言うことができる。場の空気を瞬時に読み,決してその場を白けさせることなく,かつ,人を傷つけるような失言もしない。もしかして,プレゼンテーションや講義がおもしろくないと言われる医師は,お笑い芸人に弟子入りすべきなのかもしれない……。

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