医学界新聞

連載

2010.07.26

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第179回

米医療保険制度改革(7)
起死回生をもたらした「幸運」

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2887号よりつづく

前回までのあらすじ:2010年1月,民主党・オバマ政権はマサチューセッツ州補選の敗北で上院安定多数を失い,医療保険制度改革は暗礁に乗り上げた。


 皆保険制実現に生涯を捧げた故エドワード・ケネディ上院議員が,「人生で最大の政治的誤り」として生前一番悔やんだのは,70年代前半にニクソンが提案した医療保険制度改革への協力を拒んだことだった。拒んだ理由は「自分が望む改革の姿と比べて不十分」なことにあったが,やがて,「あのときニクソンの改革を成立させていれば,完全ではないにしても事態を大きく改善させることができていたのに……」と悔やむようになったのだった。

ケネディの後悔,オバマの執念

 ケネディの「後悔」がオバマにどれだけの影響を与えたかは知る由もないが,医療保険制度改革を政権の最優先課題としてきたオバマは,改革を成立させるためには大幅な妥協をいとわない姿勢を鮮明にし,例えば,共和党に対しても「対話」のテーブルにつくことを終始呼びかけ続けた。しかし,2010年11月の中間選挙で多数派に返り咲くことを何よりも優先する共和党にとっては,「オバマに政治的得点を上げさせない」ことが何よりも優先した。そのため,党内穏健派が「寝返って」民主党改革案に賛成票を投じることがないよう締め付けを強めるなど,「絶対に妥協しない」姿勢を貫き続けたのだった。

 そんなところに,マサチューセッツ州補選で「医療制度改革反対」を公約した共和党候補が,ケネディが46年間保持してきた議席を奪ってしまったのである。共和党が「医療制度改革反対の民意(註1)は明瞭に示された」と勢いづく一方で,「医療保険制度改革に肩入れしたら選挙に落ちる」実例を見せつけられた民主党議員が怖じ気付いたのも無理はなかった。さらに,仮に上・下両院の二法案を一本化することに成功したとしても,上院でのフィリバスター(註2)を防ぐための安定多数(60議席)を失ってしまったとあって,法案を成立させる望みも潰えてしまった。かくして「ついに,医療保険制度改革に『死亡宣告』が下された」と,党関係者も,ホワイトハウスのスタッフも,完全にあきらめる事態となったのだった。

 しかし,他のほとんどすべての政治家があきらめる中で,「まだ可能性がある」と,ただ一人あきらめなかったのがオバマだった。確かに上院の安定多数を失い,上・下両院の「統一法案」を成立させる可能性は閉ざされてしまったものの,上院での安定多数(60票)を要せずとも法案を成立させる「裏技」が残されていたからである。

法案「蘇生」中の幸運

 オバマが利用しようとした「裏技」とは,「一度上院で可決された法案の予算措置に関する『修正』はフィリバスターの対象外であり,『単純多数』の51票だけで可決できる」とするルールを適用することにあったが,そのためには,上院で可決された法案を「そのまま」下院で可決し,いったん法律として成立させる(大統領が署名する)必要があった。その後,下院の意向を反映する「修正案」を上院に送付すれば,安定多数の51票だけで「上・下両院が合意する法案を成立させることができる」と,民主党議会指導部の説得に努めたのだった。

 2月初め,法案の「蘇生」に全力を傾注していたオバマにとって「政治的追い風」が吹き寄せる「幸運」がもたらされた。営利としてはカリフォルニア州最大手のアンテム・ブルークロス社が,保険会社の「横暴」を象徴するような事件を引き起こし,改革の必要性をあらためて浮き彫りにしたのである。同社が引き起こした事件とは,保険加入者に次年度の保険料値上げを通告する,毎年恒例の手紙を送りつけたに過ぎなかったのだが,なぜ毎年恒例の通告が「事件」になったかというと,約80万人の「個人」加入者に対して3月1日から実施される値上げの率が,「39%」と,あまりに法外なためだった(註3)。保険料大幅値上げ事件は,「医療保険制度改革を実現しない限り,保険会社の横暴を止めさせることはできない。今回の改革が潰れたら次のチャンスはいつやってくるかわからない」とするオバマ・民主党の主張の説得力を高め,死んでいたはずの医療保険制度改革を「蘇生」させることに大きく寄与したのだった。

 さらに,オバマは「9回裏,最後のチャンス」とばかりに,法案成立の気運を高めるべく,自らが先頭に立った。オバマの際だった「ディベート」能力はよく知られているが,2月25日には,主立った政治家を一堂に会させる「超党派医療制度改革サミット」を開催,共和党政治家の反対論を,TVカメラの前でことごとく論破したのだった。

この項つづく

註1:諸種世論調査の結果は,「賛否ほぼ拮抗」とするものがほとんどで,オバマの医療制度改革は文字通り「国論を二分」した。
註2:上院では,「議事進行妨害(フィリバスター)によって法案成立を阻止する」ことが可能であり,フィリバスターを防ぐためには定数の6割(60票)が必要となる。
註3:大企業の場合,保険会社と契約する際,大口顧客の特権として大幅な値引きを要求するのが普通であるが,個人顧客は値引き交渉をすることができないので,保険会社の「言い値」で保険に加入しなければならない。私も「自営業」なので個人加入であるが,保険会社から3割の値上げをのまされたことがある。

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