医学界新聞

連載

2010.06.14

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第176回

米医療保険制度改革(4)
右旋回し続けた改革案

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2880号よりつづく

前回までのあらすじ:2010年3月23日,医療保険制度改革法が成立,米国は皆保険制実現に向け,大きな一歩を踏み出した。


 米国は,他の先進国とは異なり,市場原理の下に,民間保険を主流とした医療保険制度を運営し続けてきた。しかし,医療費の止めどない高騰,そして増え続ける無保険者等,市場原理の下,米国の医療制度は他の先進国では想像することすらできないような無残な姿をさらし続けてきた。

 医療保険制度の矛盾を解決し,皆保険制を導入しようとする努力は1世紀以上前から続けられてきたのであるが,その歴史は,個人の自助・自立を重んじ,医療も市場原理に委ねるべきであるとする「市場原理」派(政治的には共和党に代表される保守派とほぼ一致)と,公助・共助を重んじ,社会による弱者の救済をめざす「平等主義」派(政治的には民主党・リベラル派とほぼ一致)との対立を軸として展開されてきた。

Single payer案と保険業界の反対

 平等主義派の努力が実を結んだ象徴が,1965年のジョンソン大統領によるメディケア(連邦政府が運営する高齢者用医療保険)創設であるが,「メディケアは社会主義医療」と,米医師会等の保守派勢力・利益団体が激しく反対したことは前回も述べたとおりである。メディケアに限らず,米国では医療保険制度に変革が加えられようとする動きが起こるたびに保守とリベラルの激しい政治的対立が引き起こされてきたのだが,対立が繰り返される過程で,平等派・リベラル派の主張が「退化」,市場原理派・保守派の主張に近似する「右旋回」が行われてきた。

 例えば,本シリーズの第1回(2877号)で,2009年に亡くなったエドワード・ケネディ上院議員が医療保険制度改革に生涯を捧げたエピソードを紹介したが,彼が当初支持した政策は「single payer」の実現だった。Single payerは「単一の支払者」=「ただ一つの公的保険」の下での皆保険制実現をめざすものだが,歴史的には,第二次大戦直後に皆保険制成立をめざしたトルーマン大統領も「国が運営する医療保険(National Health Plan)」の創設を提唱したことでもわかるように,リベラル派にとっては「伝統」とも言える医療保険政策だった(註1)。

 しかし,あまたの民間保険がビジネスとして運営されている米国においてsingle payerへの切り替えを行うことは,保険会社に対し「廃業」宣告を下すに等しく,彼らが必死に反対するのも無理はなかった。トルーマンの例はその典型だが,single payerをめざす動きが起こるたびに,保険業界等の利益団体が激しい反対運動を展開,ことごとく潰されてきたのである。

 ケネディも,こういった米国の特殊な政治状況をイヤと言うほど思い知らされ,やがてsingle payer案を放棄するようになった。Single payer を断念したケネディ等民主党リベラル派の多くは「民間保険の下での皆保険制実現」をめざすようになったのだが,彼らの政策のプロトタイプとなったのは,皮肉にも,共和党大統領であるニクソンが70年代に提案した改革案だった。ニクソンは,事業主に対し従業員への保険提供を義務づけるとともに,国民に対しても医療保険への加入を義務づけることで皆保険制実現をめざしたのだが,彼自身がウォーターゲート事件で失脚,その改革案が日の目を見ることはなかった。

医療保険制度改革が失敗する根本原因とは

 ニクソンから20年後,90年代中ほどにクリントン大統領がめざした改革案も,その骨格は源流をニクソンの改革案にたどることができるものだった。リベラル派は改革案の中身を右旋回させ続けることで世論の支持を得ようとしたのだが,クリントンの改革案に対しては,政府が規制を強めることに保険業界が猛反発,「政府が個人の医療・健康に介入することになる」とするキャンペーンが繰り広げられた(註2)。

 オバマが成功するまでは,セオドア・ルーズベルト以後クリントンまで,歴代大統領のほぼ全員が医療保険制度改革に失敗してきたのだが,なぜ失敗が繰り返されたのかというと,その根本原因は,「皆保険制実現は,無保険者という『マイノリティ』(現在国民の6人に1人)を救済することにほかならず,マジョリティを構成する有保険者を味方につけることが著しく困難」だったことにある。クリントンの改革が失敗したのも,保険業界が,すでに保険に加入しているマジョリティの国民に対し,「これまで保険に入れなかった人に保険を提供するコストを捻出するために,保険料や税金が上げられるかもしれない。あるいは有保険者のサービスの質・量が切り詰められるかもしれない」と,その恐怖感を煽ったからだった。換言すると,保険業界が「有保険者」というマジョリティの恐怖感を煽った結果,クリントンは,頼みの綱とした「世論の支持」を失い,その改革案を潰されてしまったのだった。

この項つづく

註1:国家レベルで考えたとき,リスクを最大限プールすることができるsingle payer が医療保険としてベストの制度であることは論をまたない。例えば,台湾が皆保険制を実現したのは1995年のことであるが,政府が任命した改革委員会が世界中の先進国の医療保険制度をつぶさに検討した上でsingle payer(国営保険)がベストとの結論に達したのだった。ちなみに,ジャーナリストのT.R.Reidによると,日本の制度は「payerが雑多に存在し複雑すぎる」という理由で,早々と「見習うに値しない」との烙印を押されたという。

註2:特に,「ハリーとルイーズ」の夫婦にクリントン改革への恐怖を語らせたTVコマーシャルは世論に大きな影響を与えた。

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