医学界新聞

連載

2009.06.29

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第154回

A Patient's Story(5)
利用審査

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2834号よりつづく

前回までのあらすじ:2009年初め,私は,直腸カルチノイドと診断された。


手術前々日に起きた「青天のへきれき」

 「もうすぐ厄介な腫瘍と縁が切れる」と信じ込んでいた私が,保険会社から「青天のへきれき」ともいうべき通知を受け取ったのは手術前々日,1月31日土曜日午後のことだった。私の直腸カルチノイド手術について,「Transanal Endoscopic Microsurgery(TEM;経肛門的内視鏡下顕微鏡手術)は研究段階の手術なので保険適用を認めることはできない。人工肛門を設置する通常の直腸癌手術なら保険適用を認める」と,通告してきたのだった。

 ここで少し説明すると,当地では,待機入院・待機手術については,保険会社が事前に保険適用の可否を審査することが「決まり」となっている。いわゆる「利用審査(utilization review)」と呼ばれる制度であるが,その目的は,事前に審査を行うことで「不必要・不適切」な診療を未然に防ぐことにあるとされている。

 しかし,ここで問題なのは,保険会社が行う利用審査は,臨床医が個々の症例について「最適な治療は何か」と知恵を絞る操作とは大きく異なり,単に,誰かが作成したガイドラインを「機械的」に当てはめるだけの操作にすぎないことにある。その結果,医学的にまったく意味をなさない結論に到達したり,もっとひどい場合は,「滑稽」と言ったほうがふさわしいとんちんかんな内容の決定が患者に押しつけられたり,ということが起こり得るのである。

 私の直腸カルチノイドについての「人工肛門をつける手術でなければ保険適用を認めない」という審査結果も,「とんちんかん」の最たるものであるが,これまで日本の読者に利用審査の無意味さ・非合理さを紹介してきた私の身に,晴れて利用審査の「実害」が及ぶこととなったのだった。しかし,私にとっては,「実害が及ぶことに対する対策」を考えるほうが先決だったので,利用審査の「被害者」となった巡り合わせの不思議さに感じ入っている暇はなかった。

 まず,真っ先にしなければならなかったことは,「2日後に迫った手術が予定通り実施されるのか,それともキャンセルされるのか」について,外科医に連絡を取ることだった。通知の内容から考えて,2日後に予定されている手術がキャンセルされる可能性が極めて高いことは容易に推察されたが,保険会社からの通知を受け取ったのが土曜日の午後であったために,担当者と連絡を取ることは事実上不可能だった。外科医のオフィスに「手術のキャンセルを確認したい」と留守録のメッセージを残したり,ファクスを送ったりと,精一杯の手を尽くしたが,予想されたこととはいえ一切「なしのつぶて」であった。

患者の味方のはずの保険会社が「敵」に

 それでも,「2日後に予定された手術」という短期的な問題については,「キャンセルされるものとして対応する」という方針で簡単に対処することができた。しかし,より重要でかつ難しい課題は,保険会社が「人工肛門にしろ」と言いいがかりをつけてきた事態に対し,どのような対策が可能であるかを早急に考えなければならないことにあった。この時点で,私が採り得る「オプション」は以下の三つだった。

1)保険適用を断念,自費で手術を受ける:ここで問題となるのは,「無保険者」として手術を受けることになるため,有保険者に適用される「割引価格」の恩恵にあずかる道が閉ざされることだった。保険が適用される場合と比較して何倍も高い「定価」を請求される上,不測の合併症が生じて入院が長引くような事態になった場合,費用総額が簡単に「数千万円」レベルに到達する事態が危惧された。
2)日本に戻り自費で手術:米国の「馬鹿高い」医療費に比べれば,飛行機代を払ったとしても2-3割のコストで収まるはずだった。しかし,「不測の合併症」が出来する可能性を考えると,自費での手術はやはりリスクが大きすぎた。
3)保険会社の指示通り人工肛門とする:費用についての問題は解決するが,TEMというminimally invasive surgery(最小侵襲手術)と比べて合併症のリスクもはるかに高くなる上,術後何十年も人工肛門で暮らすことを覚悟しなければならなかった。

 上記の三つ,いずれも,私にとっては到底受け入れることができないオプションであったのは言うまでもない。「医学的にベストの治療を受ける」という,患者として「当たり前」の目標を達成するためには,保険会社に誤りを認めさせ,「人工肛門にしろ」という理不尽な決定を撤回させる以外に道がないことは火を見るよりも明らかだった。

 拳銃所持をめぐる議論はその代表的なものであるが,「アメリカでは自分で自分の身を守らなければならない」とはよく言われることである。しかも,私の場合,本来なら患者の味方となるべきはずの保険会社が,「敵」となって背後から奇襲攻撃を仕掛けてきたのである。「青天のへきれき」となる通知を受け取った土曜日の午後,私は,「自分の身を守る」ために,保険会社に対する反攻を開始した。

この項つづく

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