医学界新聞

対談・座談会

2009.03.30

対談
Principleのない日本,
“医療崩壊”の打開策とは
黒川清氏
(政策研究大学院大学教授 日本医療政策機構代表理事)
木村健氏
(アイオワ大学名誉教授)


 “医療崩壊”という言葉が驚きを持って社会に迎えられてから数年が経つ。この間,さまざまなメディアにおいて医療の問題が日々取り上げられ,社会の関心を集めるようになった。産科医療,救急医療,臨床研修制度,医療事故など,さまざまな問題を解決すべく対策が練られているものの,いまだに抜本的な解決策は見出されないままだ。

 今日の医療をめぐる問題の根源はどこにあるのか。日本とアメリカで医療に携わり,両者の長所,短所を知り尽くす黒川清氏と木村健氏に,日本における課題とその改善策について,語っていただいた。


やりがいを失った医療現場

黒川 日本の医療における最近のキーワードは“医療崩壊”であり,社会的な問題として注目されています。これに対して厚労省は昨年6月に,医学部定員の増員という方針転換を示しました。具体的な増員数が引き続き検討されていますが,今定員数を増やしても,実際に効果が出るのは10年後です。100年に一度の不況と言われるほど経済が不振に陥り,医療に対する国民の不満もふくれあがるなか,10年後の医療制度はどうなっているのか。

 現在進められている一つひとつの政策がその場しのぎのパッチワークになっていて,将来を長期的にとらえた大きなビジョン,グランドデザインがありません。なぜかというと,医療をめぐる課題についてのprinciple(基本的理念,普遍的な原理原則)を理解していないからです。

 私は常々,グローバル化し,刻一刻と変わっていく社会の変化に対応していくためには,歴史に学び,普遍的な価値観や叡智を理解することが必要だと主張しています。しかし現在は,その原則が非常に崩れてきていると感じます。メディアも当事者である大学医学部も医師も,長期的なグランドデザインを描けず,元気のない沈滞感が日本全体を覆っています。

 木村先生は,米国で15年間小児外科医として仕事をされて,現在は日本でも各地で講演や若手医師の教育をなさっていますが,“医療崩壊”と言われる現象についてどのように感じていらっしゃいますか。

木村 “医療崩壊”の源流をたどれば医師不足に行き着きます。医師不足の解消には絶対数の補充はもちろん重要ですが,医師のパフォーマンスおよび医師の偏在を論じなければ意味がありません。

 私が勤務していたアイオワ大学病院では,1人の外科系医師が1年に約360件の手術を行います。日本の大学病院で年に100件手術を行う医師はほとんどいないでしょう。この違いの背景には,病院の運営方針,手術室数,麻酔医数,医師の支援人員などさまざまな要素があります。それらを解決し医師のパフォーマンスを向上させれば,医師不足を緩和する十分な余地があります。黒川先生がおっしゃるように,医学部の定員を増やしても効果が出るのは10年先です。医師のパフォーマンスの向上は,今すぐ着手して直ちに効果が期待できる手段なのです。

 小松秀樹氏の『医療崩壊』(朝日新聞社)に出てくる「診療現場を立ち去る医師」の心情は理解できます。例えば病院の方針や複雑な内部事情によって緊急患者の入院治療ができないという場合,医師は無力感に陥り“立ち去り”たくなるのです。

 私が23年前,日本を“立ち去って”移った米国の大学病院は,「患者の受益最優先」という理念を掲げ,患者ケアに必要なあらゆる支援をしてくれました。これで臨床現場を立ち去ったら罰が当たります(笑)。

「医師臨床研修制度は“医療崩壊”とは関係ない」

木村 医師の偏在における最大の元凶は医科大学院です。日本の医科大学院の定員は,医学部卒業生とほぼ同人数に設定されています。仮に医学部卒業生全員が4年制の医科大学院に進むとすると,膨大な数の医師が社会から大学院に収奪されてしまいます。一方,米国で卒後大学院に進学する医師はほとんどゼロです。

黒川 若い医師の囲い込みですね。

木村 医学教育にはかなりの額の社会資本が使われています。学生が臨床医として医療に尽くすと願っての出費です。若手医師を大学院が囲い込んでしまえば,医療現場のマンパワーが不足して当然でしょう。矛盾しています。

 日本では医師臨床研修制度の発足以来,新卒医師の大学病院離れが起こりました。人手不足に困った大学医局関係者は,政府に働きかけて臨床研修制度の見直しを求めました。安全な医療提供のため有能な医師の育成をめざして始めた研修制度を自分たちの都合で壊そうとしている。日本の医療は原理原則を欠いているのが問題です。

黒川 私は医道審議会医師分科会の医師臨床研修検討部会委員の1人として臨床研修制度の立ち上げにかかわりました。その際に重視したのは,さまざまな背景を持つ人間が“混ざる”必要があるということです。自分たちが育てた学生と他大出身の学生が混ざることで,より開かれた“研修の場”を通して,大学の教育の質が常に評価され,問われることになり,大学にいい学生を育てるという緊張感が生まれるからです。

 “立ち去り型サボタージュ”の原因は,「医師の臨床研修を義務化したからだ」と言う人もいますが,それは本質とはぜんぜん関係ない。厚労省が2007年9月に公表した臨床研修に関する調査結果を見ると,市中病院で研修を受けた62%の医師が「満足している」と評価しているのに対し,大学病院での研修に「満足している」と答えた研修医は43%です。大学は自分の立場でしかものを見ていない。何が大事かというprincipleを忘れては駄目ですよ。

医学教育には一貫したフィロソフィーを

木村 米国の医学教育は,AMA(American Medical Association:米国医師会)とAAMC(Association of American Medical Colleges:米国医学部協会)から同数の委員で構成するLCME(Liaison Committee on Medical Education:医学教育連絡委員会)という民間団体が仕切っています。LCMEは医学部の基準設定,監査,認定,存廃の決定権を持っていますが,次代の医師育成は政府には任せておけない,医師のあるべき姿は自分たちプロの医師が決めるという一貫した強いフィロソフィーに支えられています。

 日本では,医療政策は厚労省,医学教育および研究は文科省と2省に分かれているのが問題です。医学教育から卒後研修,医療政策まで一貫した監督組織があれば,今の医療が抱える多くの問題は解決されるでしょう。米国では医師会がその任を果たしています。

黒川 私は以前から,米国のようにメディカルスクールの導入が不可欠だと言っています。すべての医学部をメディカルスクールにする必要はありませんが,一部で導入して選択肢を提示することが必要です。

 なぜなら,今のままでは人材の無駄になり得る問題をはらんでいるからです。日本の学生は18歳で医師の道に進むことを選びますが,成績がいいから学校や家族に期待されて「医者になれ」と言われて入学してきた人も多い。ですから,医学を学ぶうちに「医師に向いていない」「本当はやりたいことがあった」と気づく学生が出てきます。まじめで非常に能力が高いのに,臨床実習になると元気がなくなってしまう人もいる。医学からの転向を勧めても踏ん切りがつかない。そうして鬱々としているのは誰のためにもなりません。

 その理由としてのひとつの問題は,医学部を途中で辞めたら高卒の資格しかないことです。医学部4年次終了時に何らかの資格を与えて,他の分野での就職を可能にしたり,健康関係の資格試験を与えることができればいいのですが,これもできません。といって卒業させてしまっても,いつまでも国家試験の浪人をせざるを得ない可能性は高い。4年制大学を卒業して医学部へ来た学士入学だと,見込みがなければいくらでも辞めさせられる,辞める選択肢が学生にも出てくる。ミスマッチを解消して人材を活かすという意味でも,メディカルスクールという選択肢は必要なのです。

木村 私も医学部の4+4年制に賛成です。米国の医学生は全員が4年制大学卒業生ですから医療への理解と使命感は,日本の高卒の医学生と比べると成熟しています。学生は在学中に受けた国家試験が不合格だと卒業できません。不合格者を育てた医学部の責任ですから,合格するまで教育のやり直しです。日本でも卒業直前に国家試験を受験しますが,合否の発表は卒業後なので,不合格者は国試浪人になってしまいます。医学部のドロップアウトや国試浪人を救済するセーフティネットがないのは残酷です。

黒川 メディカルスクールには,進学する前に何らかの社会経験を積んでから入ってくる人たちも少なくない(入学生の20-30%)のです。日本はいまだに新卒者が重視される社会ですが,多様な価値観に触れ,さまざまな背景を持った人と混ざり合うことは,個人としての活動の場も多く,コミュニケーション能力,社会性などの素養が必要な医師にとっては,非常に重要です。

■縦割り社会の時代は終わった

黒川 最近は大学に残る若手医師が減り,基礎研究が衰退すると言う人もいますね。

木村 日本の医学部には研究を重視する伝統がありますが,卒業生全員が研究する必要はない。今の院生たちの論文がどれほどの頻度で引用されているか,貢献度を調べてみる必要があります。

 アイオワ大学には解剖や生理などの基礎医学に約120人の教授がいます。彼らの給料はそれぞれが獲得したグラント(研究助成金)がカバーするので,大学の人件費支出はほとんどゼロです。グラント獲得のための肩書きと研究の場所を提供する代わりに学生の授業をしてもらうという極めて資本主義的な関係にあるのです(笑)。

黒川 大学はアシスタントプロフェッサーのポストや最初の2-3年の準備金は出してくれますが,「グラントは自分で取ってこい。取れなかったらアウト」です。本当に大変な世界ですよ。

木村 臨床系教授の給与体系も日本と違って,診療,研修医指導,医学生教育,研究,科の運営などそれぞれの業務に応じて給料の出所が異なります。例えば研究を行う際には勤務時間の何%を研究にあてるか申告させられ,仮に20%と申告すると,翌月から給料が20%差し引かれます。減ったぶんはグラントから研究者人件費として埋め合わせができる仕組みです。学生教育に10%ならそのぶんは医学部長から,研修医指導が30%ならそれは病院からという具合に業務ごとに分割して支給される。日本も文科省の科研費で人件費をカバーできれば,大学の出費が減って授業料を安くできますよ。ただ,そのほうがフェアではあるのですが,まるで身体をバラバラにされたような気持ちになりますよ(笑)。

黒川 仕事に比例して給料の額が異なるということですね。ですから,臨床医としてよい仕事をする,質の高い研究をする,学生の教育に重点を置く,そのそれぞれが別に評価され,対価の範囲が計算され,加算されていくのです。一方日本の大学病院の医師は,教育,診療,研究を同時に抱えて多忙でありながらも,規定の給与しかもらえません。ですから,教授や院長といった組織としてのポストが人生の目標になってしまうのです。

木村 そうですね。日本の教授と准教授では力も収入も教授のほうが上に決まっています。米国では同じ科で准教授のほうが教授よりも給料が多い場合も珍しくありません。体力に優る若い准教授が教授より多くの患者さんを診ると,診療費の増収に応じて自身の収入に反映するという仕組みです。働きぶりが金銭で評価されるので,立ち去り型の医療崩壊は起こりません。

黒川 米国は日本のように縦割りではなくアメーバみたいな組織だから,絶対に強いですよ。

日本の現場は変えられる

黒川 ここ数年,大学では大学院部局化が進められました。しかし,大学院が主体になると,病院は大学院附属病院となり,「いったい何をするところなのか?」と言わざるを得ない。つまり,今までの学部教授の場合は大学院を兼任という位置づけなので,必ずしも研究を重視しなくてもよかったわけです。しかし,大学院というのはそもそも研究者を育てる部門なのだから,学部教授と大学院教授のクライテリアは異なります。そういうことに疑問を持たずにきて,後になって「臨床系大学院は何をするのか」なんて騒ぎ始めた。

木村 日本の医科大学院制度は検討の必要がありますね。それと関連して,私は大学病院が医学部附属の研究機関であること自体が不自然だと思います。大学病院は大学全体の予算の3分の1を稼ぐ現業なのですよ。200億円もの年収のある組織の運営を医学部教授会に任せておいて法人としてのガバナンスはどう保つのか,病院経営の専門家はいなくていいのか疑問です。医学部附属だと人事ひとつにも文科省の許可が要る。それなら大学直属の法人病院に変えたほうがいいという発想が湧いて当然ですね。

 この発想により,広島大学病院は2004年に“医学部附属病院”から“大学病院”に改編されました。4年経過したところですが,旧国立大学医学部附属病院のなかでは経営がいいという評判です。法人病院になると,数の足りない手術室を効率よく使用するため7-15時と15-20時のダブルシフトにすることや,高額医療機器の利用度(utilization ratio)を高めるためCTやMRなどを2シフトで1日16時間稼動することも可能です。そのためにはナースや技師の増員が必要ですが,人件費は設備のフル回転による増収が吸収してくれます。

 アイオワ大学病院はもちろんこうした発想で動いています。同院は650床の大学病院ですが,外科系全科が35の手術室をフルに使用し,250人の外科系医師が1年間に9万件の手術を行っています。

黒川 そうすると医師1人あたり360件……。カルテと退院のサマリーを書くだけで大変だ(笑)。日本だと,その時間のほうが長くなってしまいます。

木村 カルテやサマリーはすべて口述録音しスクリプターに文章に起こしてもらうので,われわれ医師はサインするだけです。この方法は日本の病院でもぜひ取り入れるといいです。医師は多額の社会資本が投入された高価な人的資源です。米国の病院は私たち医師をタレントと見なし扱います。診療以外のお金にならない仕事はすべてスタッフにさせ,医師の持つ原資を最大限有効に使うという発想です。医師のパフォーマンスを低いままにして救急患者を診療できないのは犯罪です。日本の医療現場はアイデア次第でいくらでも変えられる可能性があります。

黒川 そういう発想の転換ができない。違う現場の実体験がないからわからないのでしょう。

木村 現状を改善しようにも,病院経営や医療制度に関する基礎的なデータがないのに驚きます。例えば医師不足の問題について日本の医師1人が毎月どれほどの時間を使って何人の患者を診ているかを知ろうと思ってもデータが見つかりません。

 アイオワ大学病院では年に2度,3週間にわたってそれぞれの医師が毎日24時間,何時から何時まで何をしていたかという調査を行います。調査には睡眠や食事の時間も含まれます。この調査で何%の時間を患者さんのケアに使い,何%が雑用に使われたかがわかります。医師が雑用に長時間を使いそれが診療の妨げになったとわかれば,雑用をカバーするスタッフをつける。医師には「もっとお金になる診療の現場で働かせる」という仕掛けです(笑)。これが病院経営のコツなのです。

■地域全体で医療の方向性を考える時代

黒川 日本では,専門医別の定数を定めるという話もなかなか進みません。

木村 米国の各科卒後研修プログラムは,ACGME(Accreditation Council for Graduate Medical Education:卒後医学教育認可評議会)が定めた全米統一規格で実施されます。各科別に経験症例数,研修年限,定員の決まった研修を認定施設で修了しなければ専門医資格が得られません。専門医資格のない医師は診療報酬の請求ができないのです。医師免許を持っていても診療を業として生きていけない仕組みです。

 病院が無資格の医師に診療させると,監査の上,病院閉鎖になる可能性があります。米国の医師は国試合格による医師免許に加えて,内科,外科,小児科などそれぞれの科の免許(専門医資格)がいるのです。この制度は患者さんの安全を確保する目的で1980年代に設定されました。

黒川 質の高いトレーニングを行うには,人的・物的な設備が不可欠です。そこにどう投資するかが問われているのです。日本の悪いところは,専門とする診療科や働く場所が制限なく自分で選択できることです。タイやマレーシアでは医師は必ず5年程度は地方で勤務しなくてはいけないし,ドイツでも人口あたりの疾患の割り当てがあって,開業の自由や場所の選択権は限定されています。各診療科に必要な医師数を把握することは可能なのに,本当に診療科も地域もすべて医師個人の自由選択でいいのか。

 東京を例にとると,お茶の水近辺には大学病院や総合病院がいくつもあって,半径2キロ程度のところにたくさんの大病院があります。そして各病院が脳外科,循環器内科などほとんどの診療科を揃えて,医師不足と言っている。しかし,すべての病院にすべての診療科がある必要はない。このような範囲であれば,脳外科の中心的なセンターはA病院に置いて,少し状態が落ち着いたらB病院に転院する,というように,皆でリソースをつくればいいのです。医療職が動くのです。ある種のオープンシステムですね。広島大学に比べれば,少し場所を広げて考えるということです。リソースが1か所に集まれば,「医師が足りない」「24時間の救急を断る」なんてことはあり得ません。社会の要請にも応えられます。

 地方だったら,基幹病院をオープンシステムにして,24時間,開業している内科や小児科も皆で交替しながら診療にあたればいい。小児科は時間外診療が多いので,救急は内科も外科も一緒に診る。そうすれば,いろんな症例を診られるし,複数で診療を行うことで,エラーも少なくなります。

 地域を俯瞰すれば,どういう診療科がどこにいくつあればいいのかは,年間の症例数からもすぐにわかります。しかも,今は慢性疾患や高齢者が多いという手がかりもある。どこに医療のフォーカスをシフトすればいいのかは明らかです。

多様な働き方ができる現場づくりも重要

黒川 病院を集約化してセンターをつくれば,おのずと人も集まってきます。スタッフの働き方も多様でいい。独立するなどして辞めた人も,週に1回はセンターに来て手術をして,それを若い人に見せる。あるいは「私は,半分の仕事はここでします。残りの半分の給料はよそでもらいます」という人がいてもいいでしょう。そういうことを始めると,カルテの共有やクリニカルパスの導入が進み,標準化された医療が広い地域で提供できるようになるのです。

 センターの収入が上がったら,それは皆で分ける。センターは,あくまでも場所とスタッフを貸している“サービス提供施設”なのです。

木村 それが実現できたら,各疾患の治療の標準化を図ることもできるし,医療全体の質を向上させ,コストを下げることも可能ですね。

黒川 はい。しかしながら,今の日本では,例えば厚労大臣が「医学部の定員を増やそう」と,あまりにも根拠のない政治的な発言をします。最近では新生児ICUを全大学病院に設置すると言い出した。まったくprincipleが理解できていないのです。

 私は2003年の「医療計画の見直し等に関する検討会」(第5次医療計画)で座長を務めたのですが,このときの大きな問題は,小児救急と産科医不足でした。小児科代表の医師はすぐに「小児科をどうしてくれるんだ」という話をするわけです。皆自分の立場,自分の経験からしか発言しない。

 また,2006年に救急のいわゆる“たらい回し”により妊婦が脳内出血で死亡した奈良県北部には,5病院に脳外科医が10人いることが,その後の厚労省の調査でわかりました。「集約化してセンターをつくり,各病院の医師や看護師が患者さんと一緒にセンターに移動して診療を行うようにすればいい。皆で1つの施設を使えば医師一人ひとりが疲弊せずに済む」と提案しました。すると,「理屈はそうですが,1か所に集まって診療を行うと,“この病院の収入が減るから困る”と言われて実現できない」と。皆自分たちの都合でものを言っていますが,今は地域全体でコスト,提供する医療の質,医療人の負担等を考えて適正化の方向を考え,その道筋を共有しながら改革を進めることが大事なのです。

木村 米国の診療報酬システムでは,医師の技術料と病院の費用を別個に請求すると別個に支払われます。日本では病院が両者をまとめて請求し,受けた報酬のなかから医師に給料を払うシステムです。例えばクリニックを開業している医師が患者さんを病院に預かってもらって,そこへ自分が出向いて手術や回診その他の診療を行っても,診療報酬はすべて病院に支払われる仕組みです。病院が受け取った診療報酬のなかから往診や手術や回診の謝礼として開業医に支払うことはできますが,分離が明確でないのでもめごとの原因になる可能性がありますね。

黒川 そうですね。しかし,オープンシステムにしてその医師に週1回手術をお願いする,もしくは患者さんのところへ来てもらうようにすれば,若い医師のトレーニングにもなります。質の高い医療提供と,さらに患者の満足度,外科であれば1人あたりのよい環境での手術数の増加は,医師の満足度にもつながるでしょう。さらに手術件数が増えるので,その増収分をprofessional feeやteaching feeとして支払ってもいいでしょう。手術の症例数が増え,医師,看護師の技術が向上すれば,患者さんも集まってくる。この辺の知恵を出しながら,よい循環をつくっていくことが今の日本の医療には必要なのです。

木村 今回の対談で,日本の医療における諸問題への対処は,個別に技術的な応急処置が行われているという印象を持ちました。医学教育,卒後研修,医療制度を連動のもとに改善するには,それぞれの関係者が共通のprincipleに立つことが必須です。米国では教育も研修も医療も「患者の治療と受益のためにある」というprincipleで関係者を束ねて成果を挙げています。これを契機に「医療のprincipleは何か」という議論が起きることを期待します。

(了)


黒川清氏
1962年東大医学部卒,67年同大学院修了。69年渡米。73年南カリフォルニア大医学部内科准教授,79年UCLA医学部内科教授などを経て帰国。83年東大第4内科助教授,89年同大第1内科教授,96年東海大医学部長。2005年特定非営利活動法人日本医療政策機構代表理事,06年より政策研究大学院大学教授。国際内科学会議会長(2000-02年),日本学術会議会長(03-06年),内閣特別顧問(06年-)などを歴任。『大学病院革命』(日経BP社)など著書多数。わが国の医療制度のみならず,世界に対しても発信を続ける。

木村健氏
1963年神戸大医学部卒。70年兵庫県立こども病院勤務。72-73年ボストンフローティング病院小児外科チーフレジデント,74年兵庫県立こども病院小児外科部長。86年渡米。87年アイオワ大外科准教授。90年同教授。92年同小児外科主任教授。2001年アイオワ大名誉教授。American Surgical Association正会員(96年)。著書に『オペのイチロー,世界を斬る!』(松柏社)など。現在ハワイに在住。年に数回日本を訪れ医学教育,卒後研修,医療制度の現状改善のための講演や執筆活動を精力的に行っている。

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