医学界新聞

対談・座談会

2009.03.09

座談会

これだけは伝えたい! 消化器外科のやりがいと魅力――
やっぱり外科が好き!

山本雅一氏(東京女子医科大学主任教授・消化器外科学)=司会
高橋慶一氏(がん・感染症センター 都立駒込病院大腸外科部長)
北川雄光氏(慶應義塾大学教授・外科学)


 世界的にもトップレベルの水準の高さを誇るわが国の外科医療。しかし今,確実に外科医の数は減少しています。医療の一翼を担ってきた外科医の不在は,新たな医療問題となりつつあります。“きつい”“プライベートの時間がない”などのイメージが先行しがちな外科ですが,実際の現場はどのような状況にあるのでしょうか。

 本紙では,『レジデントのための これだけは知っておきたい!消化器外科』が,山本雅一氏(東女医大)の編集のもと発刊されたのを機に,消化器外科の第一線で活躍し,実際に若手医師の育成に携わっている専門家による座談会を企画しました。

 「多くの研修医が消化器外科に魅力を感じていても,消化器外科医になることをためらっている。確かに忙しい。一人前になるのに10年近くかかる。訴訟などの問題もある。しかし,それらを考慮しても有り余るほど,消化器外科は魅力に溢れている」(同書序文より)。ぜひその魅力を感じてください。


山本 初期臨床研修が始まってから,外科に人が集まらなくなったと言われます。その理由として,もちろん外科が忙しいということもあると思いますが,指導的立場にある私たちが外科の魅力を十分に伝えきれていないのではないかという気がします。

 そこで本日は,消化器外科の第一線で活躍されている先生方に,外科のやりがいと魅力についてお話しいただきたいと思います。はじめに自己紹介を兼ねて,外科医の道に進まれたきっかけをお話しいただけますか。

高橋 私は学生のころから形成外科や整形外科など,何かを作ったり手を動かしたりするような分野に進み,良性疾患を診たいと思っていました。当時は大学の医局に残る人が多かったのですが,きちんとした手術手技を身につけたいと思い,東京に出ることにしたのです。

 駒込病院は都立病院のなかで規模がいちばん大きいことと,入職試験と卒業試験の日程の兼ね合いで選んだのですが,いざ入ってみたら,がんと感染症を専門とする病院だった(笑)。がんは専門にしたくなかったのに,その後はがん診療にどっぷり浸かることになりました。駒込病院に入って先生たちの手術を見て,「今まで見ていた手術とは違う。ああいう手術を修得したい」と思い,今に至っています。

北川 私は医師になる以上は全身が診られて,命とかかわりあう領域に進みたいと思っていたので,内科と外科のどちらに進むか迷いました。ポリクリで食道がんの患者さんを担当し,私の師匠にあたる安藤暢敏先生(現・東京歯科大学市川総合病院長)が大きな手術を行い術後管理を懸命に行う様子を見て,まさに“命に近い”と感じました。また,自らの手で直に治療を行うというかかわり方が非常に印象に残り,外科を選択しました。

 本学は脳神経外科,心臓血管外科,呼吸器外科,小児外科,一般・消化器外科からなる大外科教室制度をとっています。当時,卒後1年目はすべての診療科を回り,その後2年間関連病院で一般外科の研修をして,4年目に自分の進路を決めることになっていました。私は2年目に済生会神奈川県病院という,当時の交通外傷のメッカともいえる救急病院に行き,睡眠時間が1日2-3時間というなかで鍛えられました。今の学生だと嫌になってしまうかもしれませんが,私は集中治療に携わりたいと思い,4年目に,当時最も集中治療を必要とした食道グループを希望してしまったんです。苦しいほうへ,苦しいほうへ……(笑)。

 今,肝移植などもはたで見ていてうらやましいです。誰にでもできるわけではない手技をもってダイナミックに命を救うところに惹かれます。

山本 私も当初,内科もいいなと迷っていた時期がありました。外科を専攻するきっかけになったのは,大学6年のときに聴いた故・中山恒明先生の食道がんについての講演です。先生のお話が非常に面白く,惹きつけられました。

 折りしも,私が卒業した当時,大学に無給の助手を置かないために定員が非常に限られ,卒業生すら採用されないという状況でした。進路担当の教授から,「外に出てくれ」と言われていました。中山先生も「面白いことをやりたいなら,女子医大へ来い」とおっしゃっていたので,「女子医大で消化器外科をやろうかな」と。それからは,あまり迷うことはなかったです。

指導医との出会いが人生を変える!

山本 先生方のお話をうかがって,何かちょっとしたきっかけがその後の進路を決めるのだと改めて実感しました。

 では,目標とするような先輩やよき指導者に出会ったことで,外科の魅力が増したという経験はありますか。

高橋 最初は,胃を専門にされていた北村正次先生(元・都立墨東病院長)に,金魚のふんのごとくついていました。胃がんの手術で大網切除術(omentectomy)を行うときの北村先生のハサミの使い方は,非常にやわらかいタッチで,それでいてシャープなんです。「他の人と違う。東京は質が違うんだな」というのが第一印象でした。

 その後,森武生先生(現・都立駒込病院名誉院長)に出会ったのですが,北村先生と違い非常にアグレッシブで,お二人からはまったく違うよさを見せていただきました。

 最終的に大腸外科に進もうと思ったのは,高橋孝先生(現・たむら記念病院)が赴任していらしたのがきっかけです。森先生と高橋先生という,その時代の双璧に近いような先生方の手術を見ながら自分でも模索していくうちに,大腸がんの領域は面白いと思うようになりました。

山本 先生方の指導で印象に残っていることはありますか?

高橋 森先生は一匹狼でありながら親分肌。若い医者が大好きで,朝から晩まで面倒を見る先生です。ただし,「優しく」じゃないんですよ。患者の管理,診断,手術をすべて任せる。「考えろ」ですね。気に入らなければ「おまえ,何やってるんだ?」と怒られる。しかしすべて任せられることで,自分が成長していくのがわかりました。そういう面でよき指導者でした。

 一方の高橋先生は臨床解剖に精通している方で,手術中に疑問に思っていることをよく教えていただきました。あるとき,下部進行直腸がんの手術で,Denonvillier's筋膜が骨盤側壁とはどのようにつながっているのかよくわからなかったため,「ここはどうなっているんでしょうか」と質問すると,「全然わかっていないよ」と,ポンと言われました。世界的な権威の先生であってもわからない部分があることがよくわかりました。

 さらに高橋先生は,「この部分は,まだ誰も解明できていない。手術で一例一例経験を重ね,解明することで,臨床解剖はできあがるんだよ」とおっしゃった。術中に自分の経験を述べながら,新しい疑問を投げかけていく姿勢に,外科医としての熱き探究心を教えられました。

北川 私はずっと慶應の系列にいるので名前を挙げるときりがないですが,手技に関しては,2年間関連病院に派遣されていたときの医長,部長の手技が刷り込まれています。今でもハサミの使い方や吻合の手縫いの手順は,そのときに習ったものです。

高橋 私も同じです。最初に習った手法に安心感を覚えるところがあるのでしょう。

北川 善し悪しはありますが,何にしても最初に教わった教育がベースになってしまいますね。ただ,当院は40-50ある関連病院ごとに手技が異なっているため,4年目に各病院から帰ってきたレジデントが集まると,そこでさまざまな手技に出合います。そのことで「こんなやり方もあるのか」と学ぶ機会になり,教室のなかでの切磋琢磨に非常に役立っているようです。

 また,きちんと納得して身につけた手技は一生の宝になります。卒後6年目に,当時入ってきたばかりの腹腔鏡下手術(laparoscope)による胆嚢摘出を行ったのですが,そのときに習った手順やヘラ型電メスの使い方などの基本手技は,現在でも食道・胃の鏡視下手術を行う際に用いています。自分が行うことのできる安全で確実な手術のなかには,これまで踏襲されてきた要素がずっと生きているのだと思います。

山本 指導医の先生方とのかかわりで,印象に残っていることはありますか。

北川 とにかく患者さんの状態を洞察するということを教わりました。大きな手術の術後は頻繁に合併症が起きます。そのときに,「この人は本当に大丈夫か?」という直感,患者さん自身を診て「今何か起こっているぞ」「すぐに手を打たないといけないぞ」ということをキャッチする感性が外科医にとっていかに大事かを学びました。私自身も,患者さんを診てどれだけ感じとることができるか,その洞察力の大切さを若い人たちに伝えています。

山本 私が研修中に影響を受けたのは,膵臓・胆道外科の羽生富士夫先生と肝臓外科の高崎健先生(ともに東京女子医科大学名誉教授)です。羽生先生は,とにかく豪快で,むちゃくちゃ怒られましたが,怒りながら脇でペロッと舌を出すような温かみがありました。北川先生が言われたように「とにかく患者さんのところへ行け」ということと,「目の前で苦しんでいる患者さんを,自分の技術をもって救うことができないのならば,いくら研究論文を書いても外科医ではない」と盛んに言われ,非常に強く印象に残っています。

 高崎先生は手術の名手で,「こんなに手術ってすごいんだ」という感動が自分自身の原動力になったと思っています。先生の指導は森先生と一緒で,やらせて,考えさせて,苦労しながら気づかせる。ですから,前立ち指導をなさるときには相当疲れたのではないかと思いますが,教わる側にとっては非常に役に立ちました。

■誰もが通る!?“向いていないかも……”

山本 研修時代に壁にぶつかったことはありますか。

高橋 思い出したくもないような苦しい思い出はたくさんあります(笑)。最初は外科医になってすぐ,消化管吻合をしてリークしたときです。「自分が手術したからリークしたのではないか」と悩みました。それが2回,3回と続くと,「自分には向いてないのではないか」と。しかしどこが悪いかわからなくて悶々としていたときに,森先生が「ちょっと飲みに行くか」と誘ってくださいました。「俺もそうだったけれど,やり続けて今があるんだ」と勇気を与えてもらった。そういうことの繰り返しでしたね。

山本 北川先生はいかがですか。

北川 私が体力的にも精神的にもいちばんつらかったのは,済生会神奈川県病院時代です。救命救急センターの向かいのアパートに住んでいて,院内ポケベルがちゃんと鳴るんです(笑)。ですから夜は白衣のままアパートへ帰って,ポケベルが鳴ったら駆け付けるという生活をしていました。

 いまだにすべての症例が頭に入っているような濃い1年で,とにかくありとあらゆる多発外傷を診ました。いちばん印象に残っているのは,赴任した年のゴールデンウィークの初めに重症の横隔膜損傷を3例立て続けに経験したことです。何が起こっているのかわからないくらいの外傷を診断・治療するつらさと面白さを,まず最初の衝撃的体験として覚えました。

山本 非常に大変な時期があったことが現在のベースになっているのですね。私は「外科に向いていないのではないか」と思った時期がずいぶんありました。最初に肝臓外科に絞ってしまったので,胃がんや大腸がんの症例経験が少なかったということもあります。あるとき,転移リンパ節が膵臓に浸潤しうまく取れず,高崎先生が来て助けてくださったことがありました。経験が足りないということはわかっていましたが,自分には何かをやり遂げる力がないのではないかと悩みました。しかし,駒込病院に2年間出張して手術をたくさん経験したら元気になりました(笑)。やはり外科は症例をある程度実際に経験したり,見たりすることが必要です。あとは,これを絶対にやり遂げようという気持ちでしょうか。

合併症,術後管理を含めた総合力が求められている

山本 話題を変えて,3人の専門領域が少しずつ違うので,それぞれ最近の動向をお話しいただけますか。

高橋 大腸がん領域で今いちばん注目されているのは直腸がんです。下部直腸がんはこれまで人工肛門を要するマイルズの直腸切断術が標準術式とされていました。しかし,近年括約筋温存手術や肛門温存手術の適用が拡大しています。機能を温存しながらいかに根治性を上げていくかが今後の課題です。

 また,大腸外科の領域はRCTの結果などからも,日本の治療成績は世界のトップクラスと言えます。特に手術については,海外から当院に手術を見学に来た人たちは,口々に「質が違う」と驚きます。

山本 オリジナリティーという点では,側方郭清と自律神経温存手術の2点が海外と異なるのですか。

高橋 欧米では直腸間膜内の全リンパ節郭清(TME)と化学療法が標準治療とされており,日本で行われている側方郭清はアメリカの教科書にすら載っていません。側方郭清により,下部直腸がんの局所再発率が10%以下に抑えられるという研究結果も出ていますし,自律神経温存手術での機能予後も改善されてきているのです。日本の大腸外科医はもっと自信を持っていいと思います。

北川 食道・胃外科は,もともと疾患の頻度が多い日本の発言力が非常に強い領域です。しかし,大腸外科と同じように手術の質が全然違うし,特に食道は欧米とは組織型が違うので,「疾患が違う」と片付けられてしまいます。欧米は下部食道と上部胃の腺がんが多いのですが,日本人は食道だと中部の扁平上皮がん,胃は中下部の胃がんが多いのです。

 欧米では,胃がんも食道がんもケモラディエーションが中心です。胃がんでは,不十分な郭清の後にケモラディエーションが行われていますし,食道がんにいたっては,切除手術が可能なStageⅡ,Ⅲの段階でも,ケモラディエーション単独で治療を行う風潮も一部にはあります。片や日本は胃も食道も中期進行がんに関しては,現時点で手術療法が中心です。

山本 肝胆膵領域では,複雑な解剖や合併症が起こるような煩雑な手術などに積極的に挑戦してきた日本人の業績は,外国でも高く評価されています。

高橋 肝胆膵領域は,非常に多くの知識が求められます。われわれ門外漢が見ると,本当に複雑です。

山本 そこが面白いところです。なにしろ解剖が複雑なので,疾患の種類も多彩で手術も非常にバラエティーに富んでいます。

 近年肝細胞がんにおいても,ラジオ波焼灼療法など内科的治療の適用が増加しています。しかし,手術による治療成績とラジオ波焼灼療法による治療成績を比較すると,ラジオ波焼灼療法の適用ではない腫瘍にまで手をつけている症例があるのではないかと感じます。

 最近の研究では,外科的治療と内科的治療の棲み分けが少しずつわかってきています。外科手術は侵襲性があるため患者さんの負担が大きいですが,根治性という観点では内科的治療より優れています。ですから,互いの利点を生かしながら治療を行うことで,まだまだ外科が活躍できるのではないかと思っています。

北川 今若い人に言いたいのは,これからは集学的治療の時代なので,手術手技だけを勉強するのでは済まなくなっているということです。10年ほど前までは手術が安定して合併症もかなり克服できるようになっていましたが,サルベージ手術の登場により,術後管理の重要性が高まっています。今また外科的侵襲による病態生理を勉強する時代に戻ってきていると感じます。「集学的治療のなかでのよい外科手術とはどういうものか」ということが大きなテーマです。

高橋 大腸がん領域においても肝臓の転移に対する治療の転換に伴い,集学的治療のなかでの大腸外科の今後の位置づけが注目されています。今後は術後化学療法を含めたケアが重要です。

山本 外科としての合併症,術後管理を含めた総合力が要求されているということですね。ただ手術している時代ではない。

北川 そうですね。総合力ということでは,当院は2年前に食道と胃のグループを統合しました。欧米における話題の中心は食道・胃接合部なのですが,日本では伝統的に食道・胃接合部でスパーンと分け,“不可侵条約”がありました(笑)。ですから,国際的に食道・胃接合部にも強い新しい世代を育てたいと思ったのです。

山本 食道・胃接合部のがんは,日本でも増えているのですか。

北川 はい。欧米で急速に増加しているので,数年後には日本でも徐々に増加すると予測しています。

とことん突き詰めてほしい

北川 それから賛否両論ありますが,内視鏡手術は若い人にとって外科を変えたと思います。

山本 そうですね。

北川 私は現在open surgeryでも手術中に胸腔鏡や腹腔鏡を入れて,ポリクリの学生や研修医に「これが反回神経だよ」とか「ここは,こっちからアプローチするんだよ」と,示しながら手術を行っています。以前は術野は執刀医にしか見えず,特に胸の奥,左反回神経の周囲などの様子はまったくわかりませんでした。今はそこを大画面に映し出すことができ,皆ですべてをつぶさに見ながら手技の共有化ができるので,教育効果は絶大です。

高橋 今の研修医はいろいろなチャンスに恵まれていますね。教材が豊富にあり,研修のカリキュラムも非常に系統的に整備されて組まれています。ローテーションで回ってくる研修医はわれわれが研修医のころに比べるとはるかに優秀で,仕事を与えれば何でもきちんとできます。

 しかし最近感じるのは,しつこさが足りないということです。手術するということはすべての責任を持つことで,患者さんに対する態度や術前管理,術後管理など,手術室以外のところで問われる面も多い。例えば術後は患者さんがいつ急変するかわかりません。以前は病院に泊まって患者さんの様子を見に行くのが当たり前でしたが,今は「明日も仕事だし」「何かあったらケータイで呼んで」と帰ってしまうことが多いのです。

山本 とことんやってほしい?

高橋 そうですね。学会発表にしても,臨床を行うなかでの疑問を本気で突き詰めるのが研究であり,学会発表であるわけです。しかし,テーマとなるような疑問が出てきません。「なんだ。そんなことを発表するのか」と批判されることもあるかもしれませんが,それをばねにしてやり続けることで認められることもある。何より,やってみないと新しい発見はできないのです。

北川 初期研修中は外科志望の研修医ばかりではないので,どうしても“お客様”になりがちです。外科はスポーツに近い部分があり,石川遼君じゃないですが,早い時期に体に基本手技を叩き込んで手術を執刀して,責任を持つ立場に立ったほうが外科医としてのライフスタイルは身につきます。大事な時期だけにもったいないです。

高橋 初期研修医は,他科を回ってさまざまな勉強をしているので,ぜひその強みを生かしてほしいと思います。

■「一生打ち込むに値する仕事です」

山本 最後に,医学生,研修医に向けて,外科の魅力をひと言ずつお話しください。

高橋 外科は,患者さんの病気を自分で考えて,“ブラック・ジャック”のように,回復するためのお膳立てをすることができます。内科では下せない領域にも踏み込める。一生打ち込むに値する仕事です。

北川 そのとおりです。大事なのは「外科って意外に楽だよ」「平気だよ」とは言わないことです。私は「きついけど,面白いよ」と言っています。ですから,最近来てくれるレジデントはむしろ質が高い。自分に負荷をかけて,手術がうまくなりたいという人たちが来てくれています。自分を磨けば,磨くほど喜びがあることを知っています。

山本 何か技術を得ようとしたら,何でもつらいことはあります。自分たちの仕事に価値を見出せないときがあるかもしれませんが,「今やっていることは,将来の外科の進歩,外科の患者さんに還元されるのだから,『つまらない仕事』だなんて思わないで」と言いたいです。最終的な目標はもっと高いところにあって,そのための下支えをやっていることを知ってほしいと思います。

北川 また,今はともすると「がんは薬で治る時代だから,外科のやることはもうない」と言う人たちがいます。しかし,外科医がやるべきことは山ほどあります。私自身もいまだに新しい手術方法の開発に取り組んでいるので,チャレンジすべきテーマが山ほどあるということを伝えたいです。

山本 ある意味,手術は毎日がチャレンジです。それから,クリエイティブです。創造性のある領域で,手術をして,見て感激するということがあります。何十年もやってきましたが,外科はやっぱり楽しいです。ぜひ外科の魅力に接してほしいと思います。

(了)


山本 雅一氏
1981年筑波大医学専門学群卒。同年東女医大消化器外科入局。85年同肝外科グループに所属。以後肝癌の外科病理,肝癌外科臨床研究に携わる。89年都立駒込病院,94年都立荏原病院等を経て,99年東女医大消化器外科助教授,2004年同教授,06年より現職。

高橋 慶一氏
1984年山形大医学部卒。同年都立駒込病院外科研修医。87年同医員。93年同医長。2003年同院大腸外科主任を経て,07年より現職。専門は,大腸外科,大腸がんの集学的治療。日本在宅医療学会の世話人でもあり,地域連携パスの導入を推進している。

北川 雄光氏
1986年慶大医学部卒。92年同大病院外科専修医修了。93年カナダ・ブリティッシュコロンビア大に留学。96年川崎市立川崎病院外科副医長,97年慶大医学部外科学助手,2005年同専任講師を経て,07年より現職。

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