医学界新聞

連載

2008.09.29

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第136回

帰ってきたハリーとルイーズ

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2797号よりつづく

 日本では,相変わらず「医療についても,公を減らして民を増やせ」と主張する向きが後を絶たないようだが,そういった人々がお手本と推奨する米国の医療保険制度は,いま,絶望的な状況に陥っている。

米国の絶望を示す「7分の1」

 「民」を主体とする米国の医療保険制度の絶望的状況を象徴するのが「7分の1」という数字である。国全体としてGDPの「7分の1」を超える巨額の医療費を費やしているにもかかわらず,医療へのアクセスが保障されない無保険者が,なんと,人口の「7分の1」を占めているのである。

 「民」で医療保険制度を運営したときに大量の無保険者が出現するのは「宿命」といってよく,無保険者を減らそうとすれば「公」が介入せざるを得ないのは米国も例外ではない。米国の医療保険制度に「公」が介入した実例としては,1965年のメディケア(高齢者)・メディケイド(低所得者)の二大公的保険制度創設が有名であるが,現在,米国の無保険者を形成するのは,これらの公的制度で救済されない「65歳未満,かつ,メディケイドの受給資格を与えられるほどの極貧状態にはない階層」が主流となっている。

 さらなる「公」の介入で,こういった人々の無保険状態を解消しようとしたのが,第一期クリントン政権による1993年の医療保険制度改革の試みだった。当初は国民の支持率も高く,大統領夫人ヒラリー・クリントンが先頭に立って仕切った皆保険制実現運動は成功するかに見えたが,最終的には保険会社を中心とした経済界による巻き返しが功を奏し,皆保険制実現の動きは頓挫した。

 クリントン改革をつぶす上でいちばん効果があったのが,保険企業団体がスポンサーとなって作成したテレビCMだった。CMは,ハリー(夫)とルイーズ(妻)の中年夫婦に,「皆保険制が実現したら,今より保険料が高くなる上,政府が仕切るのでサービスも悪くなる」と,クリントン改革に対する懸念を語らせる趣向だったが,「国民の7人に1人を占める無保険者が新たに制度に加わるのだから,今より悪くなるに違いない」と有保険者の恐怖を煽る作戦は見事に成功,世論の大勢を一気に反対へと変えてしまったのだった。

クリントン改革の失敗,「準無保険者」化の進行

 クリントン改革が失敗した後,当然のこととはいえ,米国の医療をめぐる事情は悪化の一途をたどった。例えば,医療費は,総額が1兆ドル(1995年)から2兆ドル(2005年),一人当たりの額で3800ドル(1995年)から6700ドル(2005年)と,それぞれ10年の間にほぼ倍増した()。一方,無保険者の率はずっと人口の15%程度と横ばいではあったものの,その背景でメディケイド受給者が3600万人(1995年)から5600万人(2004年)と5割以上増加,「公」の守備範囲を広げることで,無保険者の増加を抑えてきた。

 「公」の守備範囲を広げれば財政負担が増えるのは必然で,メディケイド支出は1995年の1200億ドルから2004年には2600億ドルと倍以上に拡大した。財政負担増に対してメディケイドの給付制限を強化する州が続出したことは以前(2624号)にも紹介したとおりだが,「サービスの量と質の制限」という観点からいうと,メディケイド受給者の「準無保険者」化が進行しているといってよく,いわば,この間,米国では,準無保険者を増やすことで無保険者の増加を抑えてきたのである。

 一方,クリントン改革の頓挫後,雇用主の民間保険料負担も1993年の1580億ドルから2005年の3670億ドルと倍以上に増え,企業経営を圧迫し続けた。そのよい実例が,米自動車メーカーが破産の危機に瀕している事実だが,危機を招いた最大の原因が過大な医療費負担にあることは周知の事実であり,いまや,三大自動車企業のトップがホワイトハウスに出向いて「米国もカナダのような国営医療保険制度にしてほしい」と陳情する時代となっているのである。

「公を増やせ」と主張する雇用主団体

 かくして,米国の医療保険制度は,「公」を向いても「民」を向いても真っ暗という状況になっているのだが,最近,テレビに,15年前のハリーとルイーズ夫妻が戻ってきて話題になっている。クリントン改革をつぶしたときと同じ役者二人が15歳年を取ってキャンペーンCMに再登場しているのだが,15年前に「負担が増えたりサービスが悪くなったりする」と有保険者の「利己的」な恐怖心を煽った二人が,今回は,「保険料が払えずに無保険となってしまった友人に癌が見つかった」と同情することで,「いまのままの状況が続けば,明日は自分が無保険者になるかもしれない」と,正反対の立場から有保険者の恐怖心を煽っているのである。

 今回のCMは,二人に「誰が次の大統領になっても,医療の問題がトップ・プライオリティにならなければいけない」と,明瞭に政治のアクションを期待する結論を語らせているが,注目されるのは,ファミリーズUSA(消費者団体),米癌学会,米病院協会等と並んで,全米独立企業連盟(雇用主団体)が,CMのスポンサーとして名を連ねていることである。15年前にはクリントン改革に反対した雇用主たちが,消費者団体と共同で医療改革の必要性を強調,「無保険者を減らせ(=公を増やせ)」と主張する時代となっているのである。

この項つづく

註)以下,数字は,“Health, United States, 2007”(米保健省発行)に拠った。

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