医学界新聞

寄稿

2008.09.29

【寄稿】

患者とともに歩むための言葉の提案

吉岡 泰夫(国立国語研究所研究開発部門上席研究員)


 「説明したのに,全然理解していなかった」「説明されたけれど,よく分からない」など,臨床現場において,医療者と患者が互いに理解しあえないと感じるとき,それは立場の違いだけでなく,用いている「言葉」というコミュニケーションツール自体が異なっているのではないか。そういった視点から,医療コミュニケーションの適切化を目的とした,学際的な取り組みが行われている。

 本稿では,国立国語研究所による「病院の言葉を分かりやすくする提案」の概要と,医療現場におけるコミュニケーション研究の経緯について吉岡泰夫氏にご寄稿いただいた。専門家同士が協働することの意義についても考える機会としたい。

(本紙編集室)


学際的連携による医療コミュニケーション研究の出発

 近年医療現場では,患者中心の医療,患者参加型医療を推進するために,患者・家族と医療従事者が,ラポールに基づく信頼関係,闘病の同志(医療チーム)と言える協力関係を築くこと,また,両者の情報共有による合意の形成,患者参加型の意思決定が重視されるようになりました。

 これらの目標は,患者・家族と医療従事者のコミュニケーションに関する言語問題を解明し,問題解決のためのコミュニケーション適切化を図ることによって達成可能です。安全で信頼される,患者満足度の高い医療を実践するためにも,医療コミュニケーションの適切化は重要な課題です。

 医療コミュニケーション研究を,社会言語学と医学・医学教育学の学際的連携チームで始めたきっかけは,熊本大学で医療面接教育を担当していた早野恵子氏との出会いです。医師に求められるコミュニケーション・スキルの獲得を目的とし,OSCEによる評価も始まった医療面接教育の中身を充実させるためには異分野の同志の連携が必要だったのです。私たちは,志を同じくする医師・言語学者で研究チームを結成して,「医療における専門家と非専門家のコミュニケーションの適切化のための社会言語学的研究」という学術振興会科学研究費補助金による研究を2005年から開始しました。

医療コミュニケーション適切化の2つの課題

 私たちは,医療の専門家と非専門家双方を対象にした各種調査に基づいて,医療コミュニケーション適切化の具体的な課題を探索しました。その結果,大きく分けると,次の2つの課題があることが分かりました。

(1)情報の共有,合意の形成に役立つコミュニケーションの工夫

 国立国語研究所が実施した2004年度世論調査によると,医師から難解な言葉で説明を受けた経験がある人は国民の約4割を占めていました。また,8割以上の人が難解な専門用語の分かりやすく噛み砕いた説明や言い換えを求めていました。情報の共有のためには,まずは,専門家が非専門家に歩み寄って,分かりやすく伝える工夫をすべきです。そうすることが患者への説明能力を高めることにもつながります。

 難解な医学・医療用語の中には,患者・家族が理解する必要性が高く,症状説明やインフォームド・コンセントなどで使わざるを得ない言葉もあります。的確な言い換えが困難で,むやみに一般語に言い換えると誤解を招く専門用語もあります。また,説明を加えることがさらに高度な医学知識を提供することになり,非専門家の理解をいっそう困難にする専門用語もあります。

 ですから,患者・家族が理解する必要性の高い医学・医療用語から優先的に,分かりやすく,誤解を招かない説明や言い換えを検討する必要があります。情報の共有の核心は,医療の限界や不確実性,リスクをも共有することです。

(2)信頼関係・協力関係を築くコミュニケーションの工夫

 世論調査では,癌の告知などよくない知らせを伝える場面で,医師のコミュニケーションに期待することも尋ねました。医師には患者・家族の気持ちに配慮して,露骨さを和らげた表現などコミュニケーションの工夫をしてほしい,それによって不安や心配を軽減し,医師と信頼関係・協力関係を築きたいと多くの国民が望んでいました。

 さらに,3つの病院で患者を対象にインタビュー調査を行いました。患者を「~さま」ではなく「~さん」と呼んでほしいという人が9割以上,患者に対して,過剰な敬語はやめて簡素な敬語を使ってほしいという人が8割,敬語は必要ないという人が2割と,圧倒的多数がお互いの心理的距離を縮める親しみやすいコミュニケーションを望んでいました。その理由を尋ねたところ,「患者と医師は,何でも話せて,何でも相談できる関係になるべきだから」「信頼関係を築くべきだから」などが多数派でした。

 このような相手に配慮したコミュニケーションの工夫は,すべて「ポライトネス・ストラテジー」に含まれます。これをポライトネス理論の重要概念を踏まえて日本語に訳すと「調和のとれた人間関係を築き維持するために行う,相手に配慮した言語行動」です。

病院の言葉を分かりやすくする提案

 (1)の課題については現在,国立国語研究所に「病院の言葉」委員会を設立し,「病院の言葉を分かりやすくする提案」というプロジェクトを遂行しています。この提案は,医療従事者が患者・家族に分かりやすく説明する指針となり,情報の共有を助ける手引きとなることを目指しています。患者・家族にとって,どのような言葉が分かりにくいのか,どのような誤解をしているか,医師と患者双方を対象とする調査に基づいて問題の類型を明らかにし,問題解決のための工夫を類型ごとに具体的に解説します。病院の言葉を分かりやすくする工夫の5類型と取り上げる言葉の一例を紹介します。

 1つひとつの言葉について,[言い換え,説明][こんな誤解がある][効果的な言葉遣い][患者はここが知りたい][ここに注意][患者と医師の対話例][複合語][関連語]という項目を設けて具体的な工夫を提案します。

 委員会は,日本医学教育学会をはじめ,日本プライマリ・ケア学会,日本医師会,日本薬剤師会,日本看護協会の代表,地域医療を担う医師など医療の専門家と,非専門家として患者会代表,および,言語学・コミュニケーション論・法律・新聞・放送の専門家というように,広範な分野の同志で編成しました。提案の必要性,そのための学際的連携の重要性を共感し,意気投合した委員ばかりで,議論はいつも白熱します。

 現在,提案の内容を練り上げているところで,今年10月ごろに中間発表を,2009年3月ごろに本発表を行う予定です。委員会の設立趣意書,委員名簿,議事要旨,提案の基盤となる調査データなどは,すでに国立国語研究所ホームページに公開しています。

A.日常語で言い換えを
浸潤,生検,寛解,MRSA,イレウス
B.分かりやすい説明を
炎症,抗体,潰瘍,ウイルス,対症療法
C.誤解の回避を
合併症,ショック,糖尿病,食間
D.不安の軽減を
腫瘍,予後,緩和ケア,ホスピス,ステロイド
E.重要な新概念の普及を
インフォームドコンセント,セカンドオピニオン,クリニカルパス,QOL,PET

ポライトネス・ストラテジー教育プログラム

 (2)の課題については,新たに「医療コミュニケーションを適切化するポライトネス・ストラテジーの研究と資料の提供」という学術振興会科学研究費補助金による研究を2007年から開始しました。調査研究の成果は,『プライマリ・ケア』31巻1号(2008年3月)の論文「『~さま』と『~さん』」,『医学教育』39巻4号(2008年8月)の論文「良好な患者医師関係を築くコミュニケーションに効果的なポライトネス・ストラテジー」,第40回日本医学教育学会(2008年7月)の発表「医療コミュニケーション適切化に有効なポライトネス・ストラテジー教育プログラム」などで公表しています。

 今後の課題は,研修医教育で有効性が確認できたポライトネス・ストラテジー教育プログラムを,学生の医療面接教育や,医師,看護師,薬剤師,検査技師,医療秘書など医療従事者の教育に活用して,臨床現場の医療コミュニケーションの適切化を支援していくことです。

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