医学界新聞

インタビュー

2008.07.21



【interview】

今求められる医療安全教育とは
業務上の危険を認識・判断できる看護師の育成

川村 治子氏(杏林大学保健学部教授)に聞く


 基礎教育において,いまや医療安全教育の充実は必須の課題である。免許を持たない学生が,学内演習や臨地実習においていかにリアリティを持って学ぶことができるか,各学校でさまざまな取り組みが行われている。しかしながら,入職した新人看護職員からは,“不安”という声がいまだに多く聞かれる。第138回医学書院看護学セミナー講師で,多方面から医療安全に尽力している川村治子氏に,医療安全教育において今必要なことは何か,そしてそれをいかに実現させていくべきか,お話をうかがった。


患者さんを傷つけない看護師になるのは大変なこと

――川村先生が看護の医療安全に本格的に取り組もうと思われたのは,どのようなきっかけがあったのですか。

川村 私は,内科医として臨床を15年経験したのち,旧国立病院・療養所を所管する地方の役所に勤務しました。そのときに管轄下の病院の医療事故について考える立場になったのがそもそもの始まりです。横浜市大病院の事故の4年ほど前のことです。

 しかし,本格的にかかわることになったのは,横浜市大病院手術患者誤認事故が起きたときに立ち上げられた厚生省(当時)の検討会のメンバーに加えていただき,その直後,補助金をいただいて研究班を立ち上げてからです。そのなかで看護師の「ヒヤリ・ハット事例」を全国規模で1万事例を収集したことが大きなきっかけになりました。

 当初の目的は,看護師のヒヤリ・ハット事例を通して病院のシステム上の問題を考えることでした。しかし,自由記載の事例を読み続け,整理していくなかで,看護業務の多様さや深さに改めて気づかされました。

 看護職を選ぶ方は,病気の人を助けたい,役に立ちたいという思いで志した方が大半だと思います。けれど,いつも最前線で多様な業務をこなすわけですから,むしろ,患者さんを傷つけない看護師になることがどれほど大変なことか,またそのために学ばなければならないことがどれほど多いことかと,とても驚きました。

新人はなぜ“不安でたまらない”のか

――新入看護師や学生はよく,「現場で働くことが不安でたまらない」と言います。医療安全教育は,基礎教育において必須の項目とされているにもかかわらず,なぜそのような状況になってしまうのでしょうか。

川村 最近は,以前に比べるとより実践的な医療安全教育を目指して工夫している学校が増えてきました。それでも,現場に出たときに多様な看護業務に対応できるようになるにはほど遠いということでしょうか。これは「安全教育」に限ったことではないと思います。

 国家試験を経たあとの新人はたくさんの知識を持っているにもかかわらず,現場に出たら手も足も出なくなってしまいます。それは,個々の看護技術は学習してきていても,実務としての業務の理解ができていないことも大きな要因ではないでしょうか。ですから,学習してきたことが,現実の業務と結びつけられないのです。卒業前に,知識を現場の業務で使えるように整理しなおすことが必要ではないかと思います。

 また,免許を持たない学生にとって,患者さんに対する実技能力の習得には限界があります。これはもう仕方ないことです。しかし,技術に関連する危険や,技術を受ける患者さんに及ぶ可能性のある危険を判断するトレーニングはできますし,教育の中でしなければならないと思います。

逸脱事例から安全を考える

川村 通常の教育では,看護技術を教える際に正しい手順を教えます。その中で,「確認」を伝え,安全も習得させようとします。私は逆の道筋をたどりました。たくさんの間違いや不適切な事例から,安全でより適切な看護を考えてきました。それはとてもよかったと思います。どこが危険か,どこで間違いやすいかというポイントが明瞭になったんですね。正しい手順は1つですが,間違いや不適切の内容も,起きる状況もさまざまです。ですから,逸脱した事例をみることで,安全教育がより具体的で実務的になっていくと思います。

 今は,全国レベルでヒヤリ・ハット事例が収集され,整理されています。教員が技術を教える際に,関連する事例を活用してほしいと思っています。私は,食事介助中の誤嚥の事例によって,嚥下障害の病態と嚥下障害のある患者さんへの適切な食事介助のポイントを本当によく理解できました。

 確認の必要性は分かっているのです。確認するつもりが,つい忘れてしまう。「どうして確認しなかったのか」と問われるよりも,正しい手順の安全上の意味や,間違いやすいポイント,そこで間違うと何が起きるのかということを,具体的に教えることの方が,よほど確認行動につながるのではないでしょうか。

――今回のカリキュラム改正では,臨地実習における複数患者受け持ちが挙げられています。

川村 複数の患者さんを受け持つことで,少しでも臨床現場に近づく経験をさせたいという狙いは分かります。けれど1名を受け持つ実習の単純倍数的な実習になるのなら,正直なところ,どうかな? と思っています。

 実習で複数の患者さんを受け持ったとしても,免許を持たない学生が受け持つことのできる患者さんは,病態的に安定した患者さんでしょうし,主体的にかかわれるのは,危険度の少ない療養上の世話に限られます。ですからそれよりも,現場の中堅看護師に1対1で学生を付き添わせて,複数の患者さんへの多様な看護行動を時間軸の中で詳細に観察・記録させ,後でそれぞれのシーンにおいて,安全上必要な知識や判断,仕事の進め方,人との連携のあり方などを考えさせるといった実習が1-2日あってもよいのでないかと思うのです。いわば,看護師の行動を通じて,学生に一種の疑似体験をさせるようなものですね。

――見学実習にしても,視点が違うだけで学ぶことはずいぶん違いますね。

川村 いろいろな気づきがあると思います。もちろん,そうした実習前には,1日の業務の流れを想定した,シナリオによるケーススタディなどを通して知識を整理しておく必要があります。

■ケーススタディで“統合”する

――具体的に,どのようなシナリオを作成するのが有効でしょうか。

川村 実際の現場では,病態や障害など背景の異なる患者さんを受け持ち,さまざまな診療の補助業務を行いつつ,その間に食事や排泄介助をしたり,ナースコールを受けたり,検査室から患者呼び出しがあって対応したり,新入院患者を受けたり,退院予定患者に指導したり,記録を書いたり,そうこうしていると,患者さんが急変したりして,慌てて対応しなければならないこともあります。さまざまな仕事が錯綜しながら,時間が流れていきます。

 ですから,多少作為的になってもいいので,重要なことや復習しておきたいことをうまく盛り込みながら「ある看護師の1日」のようなシナリオをつくります。そして,1日をいくつかのシーンに切り分けながら,それぞれのシーンで安全上必要な観察と判断,安全な手技を復習しつつ確認するような演習を行います。

 その際には,知識だけでなく,その場その場での仕事の優先順位を学んだり,他のスタッフに応援を求めることなどの現実的処理の仕方も含めて学習するようにします。いわば紙面上での臨床想定訓練ですね。こうした演習を繰り返し行っておくと,現場に出ても応用が利くようになると思います。それが“統合”ではないかと思っています。

医療安全は看護の質や面白さも高めるはず

川村 多数の医療職で構成される医療ですが,職種によって危険度は違います。患者さんに直接及ぶ行為を多くする職種,その行為が危険な職種ほど医療事故にさらされやすくなります。間違ったり,不適切な行為をすれば,ダイレクトに患者さんに影響してしまうわけですね。特に看護師は,診療の補助,療養上の世話において,患者さんにかかわることが圧倒的に多いので,医療安全上学ばなければならないことも,他の職種よりはるかに広くて深いのです。

 医療安全教育のゴールは,患者さんと業務上の危険をきちんと認識・判断できるようになることです。そのためには,まず,患者さんの病態などの背景を理解することが最も重要ではないかと思っています。きちんと理解して医療行為やケアを行うことは,看護の質を高めるはずですし,看護の仕事がもっと楽しくなることにもつながると思います。

――最近,「看護業務とは何か」という議論がありますが,川村先生は看護業務の深さに驚いたということを,以前からおっしゃっていますよね。

川村 ええ。特に療養上の世話の深さですね。診療の補助で求められることは,「○○を間違わない」など,患者さんが誰であっても同じです。そういう意味で,診療の補助における安全行為は絶対的なものです。

 しかし,療養上の世話は違います。患者さんの障害や疾患によって,何が安全で適切なケアかが変わります。例えば,体位変換一つとっても,患者さんの呼吸や循環,運動・感覚障害などを考慮に入れて行わなければなりません。また,転倒させないためには,身体的なものに,さらに性格や心理も含めて考えておく必要があります。療養上の世話の安全は,疾患や障害に対する知識と観察力に加えて,感性もかなり要求される仕事です。全職業人生をかけて深めていく道のように思えました。

看護学セミナーに向けて

川村 貴重なヒヤリ・ハット事例を1万もいただいたのですから,なんとしても医療安全教育に活かしたいと思ってきました。これまで,行為者,援助者としての看護師の医療安全教育に関しては,『医療安全ワークブック』『ヒヤリ・ハット11,000事例によるエラーマップ完全本』などで,なんとかフィードバックできたように思っています。

 しかし,1つやり残していることがあるんですね。それは,1万事例の中に,患者さんの病態の観察や評価がうまくいかなかったために医師への報告が遅れ,重大な事件になりかけた事例や,患者さんが夜中に人知れず亡くなっているのを発見したケースがかなり挙げられていたことです。

 看護師には,患者さんの病態の観察という,もう一つの重要な仕事があります。24時間患者さんの最前線にいる唯一の職種ですから,患者さんに緊急度の高い病態変化が起きかけたとき,看護師の観察と判断力が患者さんの生死を分けることも珍しくありません。これからは,こうしたヒヤリ・ハット事例も医療安全教育に活かしたいと思っています。

 8月に開催されるセミナーでは,現場で看護師が遭遇する,観察と判断を必要とする状況の例を挙げ,フィジカルアセスメントを絡めながらお話ししたいと思っています。

――ありがとうございました。


川村治子氏
1978年金沢大医学部卒。主に内科,呼吸器アレルギー,心身医学の臨床に従事。92年九大大学院にて医学博士。93年旧厚生省九州地方医務局医療課長を経て,97年杏林大保健学部保健学科助教授,98年同教授,現在に至る。主な著書に,『医療安全ワークブック(第2版)』『書きたくなるヒヤリ・ハット報告――体験から学ぶ看護事故防止のツボ』『ヒヤリ・ハット報告が教える内服与薬事故防止』『ヒヤリ・ハット11,000事例によるエラーマップ完全本』『系統看護学講座 別巻16医療安全』(いずれも医学書院)など。

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