医学界新聞


書を捨てず,家に行こう

寄稿

2008.03.10



【寄稿】

大学病院と在宅医療
-書を捨てず,家に行こう-

鶴岡 優子(自治医科大学附属病院総合診療部/自治医科大学地域医療学センター・地域医療学部門)


 大学病院を出て患者宅へ向かう。車は白のカローラ。手動式の窓を開けると,心地よい風が入る。車内は定員いっぱいの5名。総合診療部のスタッフ2名,看護師,ローテート中のレジデント,そして医学生。

 自治医大は栃木県下野市にある。大学周囲は都会化が進むが,少し車を走らせると畑が広がる。患者宅に到着する。東京から来た学生に質問する。「ビニールハウスの中の白いすだれのようなもの,何かわかりますか?」

 「えー,包帯ですか?」「在宅医療だけに? でも違います」「んー,わかりません」答えは,かんぴょうである。ユウガオの実を収穫し,機械でひも状にむき,日中干して乾物とする。ここはかんぴょう農家なのだ。

 部屋に入ると,脳梗塞で寝たきりとなった患者と介護をする嫁がいる。嫁は日の出前からかんぴょうをむき,干して,家事をして,オムツ交換をして,褥創の処置を行っていた。「孫の守りまで加わると少し大変だけどね」さらりと言われびっくりする。「褥創の処置を少し変えてみましょうか?」

 「患者の生活を支える」はずの在宅医療は家族の生活によって支えられている。それを現場で実感する。

歴史的背景と活動内容

 「地域医療を担う人材の育成」という建学の精神をもつ自治医大は,在宅医療を長年継続してきた稀有な大学病院である。その歴史は1983年地域家庭診療センターの開設に遡る。大学病院の急患室を改造した僻地診療所のモデルだった1)。地域の医療機関であり,教育機関でもあった。2000年には総合診療部ができ,それらを継承した。

 最近の登録患者は,10名前後と多くはない。かつては脳血管障害などで寝たきりの患者がほとんどだったが,近年がん末期などの患者が多くなった。実際2004年度からの3年間を振り返ると,訪問件数は減少傾向にあるが,臨時や時間外の往診は増えていた。この3年で17名亡くなったが,そのうちがん患者は6名で,すべて自宅死であった。

 2006年から,訪問看護はすべて院外のステーションと連携し,ケアマネジャーを含めた外部との交流は増えている。在宅ケアチームは院内外問わず,プロフェッショナル同士の連携になるが,職能だけでなく,受けた教育,視点がさまざまであり,カンファレンスは大変役立った。

大勢で診る,シェアする

 ひっそりと継続してきたザイタク(身内では親しみこめて在宅医療をこう呼んだ)であるが,関わった医師の数は実に多い。2003年からは担当医が兼任スタッフ3名でほぼ固定となったが,それ以前は4か月ごとに担当医が変わる時代があった。また24時間体制のため,10-20名で宅直を輪番しており,普段診ていない患者からコールされ,初めての家に往診して,そのまま死亡確認になることもある。

 大人数のチームゆえ,サマリーを充実させることと,時間と情報を共有することを重視してきた。週1回在宅スタッフのミーティングをして,毎週サマリーシートを更新し総合診療部全体で共有している。

 幸いこの教室には患者を「地域の中の生活者」としてみる土台がすでにできていた。導入依頼がくると,まずレジデントとスタッフで情報を集め,患者・家族と面会する。病棟担当医や看護師とも会い,できれば外部から招いてカンファレンスを開き,ザイタクでの治療方針をまとめる。作成した導入サマリーは総合診療部全体に提示し,宅直のみのスタッフへと情報を共有していく2)。実際こうすると,導入準備に相当の手間と時間がかかるが,レジデントの教育効果を考えると悪いことばかりではない。

ローテートする医師の存在

 多くの若いレジデントと一緒に往診をしてきた。1-2か月の短い期間なので,病状安定期だと1,2回しか会えない。介護用品の使い方を説明してくれる家族がある。「毎回同じ説明をすみません。でも有難いです」とお礼を言うと,「医学教育に貢献するということは,それがまた患者に返ってくることだからね」と言われた。本当に有難いと思った。

 こんなこともあった。96歳の女性。戦後,農家をしながら6人の子供を育て上げた。ゲートボールのメダリストだったが,横になる時間が増えていた。全国から学生が来ると,ご家族も交えて,ご当地話で盛り上がった。しかし次第に衰弱が進み,奥の薄暗い部屋のふとんに寝たきりになった。レジデントは,巧みな言葉と介助で患者を縁側に誘った。光のなかに出た瞬間,とてもいい笑顔だった(写真)。ザイタクでは,「いつもと同じ生活」が目標になることがある。

 レジデントは院内外の他科,多科をローテートしている,これもポイントだ。彼らにザイタク目線があるとコトがうまくすすむ。急性期を担う病棟医のつらさ,専門医の事情もわかるため,よい通訳となってくれることがある。

さまざまな連携

 私たちが初めてザイタクで担当した肺癌患者は,さきの縁側エスコートの医師が専門科ローテート中に紹介してくれた。胸水から診断された肺癌で,胸膜癒着術後の退院だという。家族は本人に告知しないことを望み,緩和ケアの場を入院かザイタクにするかで意見が分かれていた。導入はかなり難しいと思ったが,病棟医がザイタクを選択肢としてあげてくれたことがうれしかった。

 この治療方針については院内電話で専門医に気軽にコンサルトできた。院外の経験豊富なケアマネジャー,訪問看護を中心にケアチームが結成され,家族内にザイタク派が増えていった。

 バックベッドの存在も大きかった。一番近い病院にも外来通院されレ線フォローを継続した。やりとりの手紙には「悪化の場合は入院含め当院でも対応しますので」とあり,安心してまめに連絡をとった。導入から4か月,やっと家族の意見がまとまった。家族も一緒のところで,本人に病状について話をした。普段口を開かぬ妻が言った。「私はおじいちゃんをずっと看ていたい」息子も言った。「家でもみんな協力するよ」本人はだまったままだった。

 翌日,竹でウケ(川魚をとるしかけ)を作りながら「家が一番いい」とぽつりと言った。それから1か月後,自宅で家族にウチワで扇いでもらいながら亡くなった。大学病院完結ではなく,地域連携の中での看取りだった。

ザイタク劇場

 ザイタクでは登場人物が多いことに驚く。主役は患者で,準主役は家族だ。脇役は多職種大勢だが,医療が生活の一部にすぎないと考えると,医師はあきらかに端役である。主役以外はそれぞれ意見も異なり,舵とりは容易でない。大体誰が舵をとるのがよいかもわからなくなる。しかし病状が動く時,医師は舵取りを期待される。主役と大勢の脇役の前で,高い臨床能力を要求される。検査も処置も行いやすい病院ではなく,家という舞台で。

 大学病院という特殊な劇団の一員として,ザイタクの端役を経験し多くのことを学んだ。ザイタクは,生と死が日常で,シナリオのないドラマだ。価値観がぶつかりあうドラマだ。やり直すことのできないドラマだ。

 そして,つくづく自分は「人間力」が足りないと思う。まずは「想像力」をつける訓練をしたい。実際見えるもの,見えないものから,患者の生活,人生を想像する。痛みや苦しさ,喜びを想像する。家族の負担や悲しさを想像する。プロ集団の仕事や考えを想像する。

 ザイタクは人生経験の浅い医師に,世間知らずの医師に,想像するためのヒントをくれる。実に魅力的だ。

 「家は,いますぐ劇場になりたがっている。さあ,書を捨てず,家に行こう」

 主役の患者が望むなら。

(文献)
1)前沢政次:プライマリケア教育と在宅医療,日在医会誌,5(2):138-140, 2004
2)鶴岡浩樹,鶴岡優子,天海陽子,梶井英治:大学病院における在宅医療-導入サマリーシート,日在医会誌,9(1):143-148, 2007


鶴岡優子氏
1993年順天堂大医学部卒。旭中央病院にて初期研修後,95年自治医大地域医療学へ。96年藤沢町民病院,2001年ケース・ウエスタン・リザーブ大家庭医療学を経て03年より現職。04年から07年夏まで,在宅医長。研究テーマはプライマリ・ケアを軸に代替医療,在宅医療,ワークライフバランスと広がり,収拾がつかない。共通項は「多様化する価値観」。08年春,夫と「つるかめ診療所」を立ち上げる。

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