医学界新聞

2008.02.25



MEDICAL LIBRARY 書評・新刊案内

看護師の働き方を経済学から読み解く
看護のポリティカル・エコノミー

角田 由佳 著

《評 者》安川 文朗(同志社大医療政策・経営研究センター長)

必要とされる「看護のポリティカル・エコノミー」

 長年,看護を経済学の視点から分析し続けている著者が「看護管理」誌に連載してきた本書の核心部分には,「看護労働環境をどう向上できるか」という,看護への深い共感と看護師の思いを代弁する熱意が満ちていると同時に,看護師にもっと自らを客観的に見つめ直してほしいというメッセージも込められているように思える。

 本書は,看護の関係者に向けて書かれたものであるが,読み手にとって「すらすらと理解しやすい」本であるかといえば,必ずしもそうではない。「経済学から読み解く」という表題のとおり,第1章では情報の非対称性,不確実性,外部性などの経済学用語が登場し,医療や看護ではサービスの品質や価値が「価格」という尺度で正しく評価されにくいために,政府がサービス提供に規制をかけることで,過剰消費や不当なサービス供給を抑止することが必要だ,という経済学的ロジックが展開される。また第4章では,わが国の診療報酬が看護師の能力を十分反映していないために,結果として高い賃金を要求する技能の高い看護師に対する需要が低下し,低賃金で雇用可能な技能の低い看護師の需要が増える,といった看護労働需給のメカニズムを解説し,病院経営の合理性と看護配置の不合理性とのギャップの解消を訴えている。さらに第5章では,結婚・出産や夫の所得などに影響を受ける女性労働者の特質が,看護師の労働供給にも色濃く反映しており,看護労働でもきちんとした就業支援策が必要であることを,厚生労働省や看護協会のデータを駆使して指摘している。そして,本書の中でもっともユニークで刺激的な第8章,第9章では,看護労働における「市場の階層性」の存在と,職務の価値に応じた賃金支払いの原則が,看護師の職能からすればもっと自由であるべき労働移動を不自由にし,職能や経験に見合った報酬獲得を阻害していること,そしてこうした労働市場の二重性が今日の看護労働力不足のひとつの源泉になっている事実を,著者自身の研究成果から解説している。たしかに,このような理解や理論的結論は,経済学というツールの使用によってはじめて見えてくる側面であり,看護労働や労働環境の問題を正しく理解するうえで,本書が大変重要な視点を提供していることは間違いない。

 しかし,論述の革新性や妥当性,分析視点のユニークさは,物事の理解を進める必要条件ではあっても十分条件ではない。本書を十分「読み解いた」読者が,自身の知的好奇心を刺激され,さらに進んで実際の看護現場で指摘された課題と取り組むためには,実はいったん,本書の論述根拠あるいは本書が提示する政策的提案に対する,厳しいクリティークを読者自身が行う必要がある。つまり,本書に見出される「なんとなくわかるけれどなんとなく理解できない感」あるいは「現場の目からみた違和感」に,読者自身で「挑戦状」をたたきつけてほしいのである。医療サービスの特性をそのまま看護サービスの理解につなげることは本当にできるのだろうか? このロジックに挑戦するためには,読者が「看護サービスとはこんなものだ」という明快な反論を展開しなければならない。また看護師ははじめからある種差別された賃金体系に甘んじざるを得ないというテーゼを論駁するためには,看護師自身の職務特性や技能の可視的な評価のあり方について逆提案をする必要があるだろう。

 本書が出版された最大の意義と貢献は,看護にこうした“議論”を巻き起こすことではないだろうか。看護師に深く共感する本書の「表」のテイストの裏に潜む,いわば寝ぼけ眼に「活を入れる」挑戦的な隠し味を,ぜひ多くの看護関係者に味わってもらいたいと切望する。

A5・頁192 定価3,360円(税5%込)医学書院ISBN978-4-260-00511-1


看護師の臨床の『知』
看護職生涯発達学の視点から

佐藤 紀子 著

《評 者》井部 俊子(聖路加看護大学長)

看護職生涯発達学を立ち上げた『知』への意気込みが伝わる力作

 「看護師が臨床で経験を積むことの意味を考え続けて,20年の歳月を過ごしてきた」著者は,「20年前,臨床で主任看護師として仕事をしていた」頃,次のような看護師たちの暗黙の了解に注目した。「A看護師は,今日は大部屋と重症一人をもっても大丈夫」「B看護師は,大部屋と個室を二つ担当できるよね」という朝の打ち合わせの会話であった。しかし,何を根拠にそうした会話が成り立っているのかについては明確な回答がなかった。「思えば,私はその疑問に答えを出そうと,看護学の研究者として今日まで仕事をしてきた」という筆者の,長い思索の旅の記録が本書である。

 第1章では,10人のエキスパートナースたちのナラティブが紹介され,第2章では,看護師が臨床で用いている『知』の特徴が構造化される。16人の看護師の語りを分析した研究結果から,看護師が臨床で用いている『知』には「閉ざされた『知』」,「相互作用の『知』」,「関わりの『知』」があり,それぞれの『知』のパターンには異なった様相をもつ看護師の「存在の仕方」,「意味の捉え方」,「関心のあり方」があると記述する。

 閉ざされた『知』を用いるとき,看護師は身を固く緊張させ,身構え,クライアントを受け入れられずにおり,クライアントと自分が自由に存在する場ではなく「私の世界」にいる。看護師は自分を生かした仕事をしていないと感じ,関心はクライアントに向かっていない。

 相互作用の『知』を用いると,看護師は開かれた世界に存在し,クライアントとの関係は緊張と圧迫感はなく肩の力を抜いて振る舞っている。クライアントの以前の状況やいつもの様子などと比較して観察し予測をしつつ今の現象の意味を捉え,関心をクライアントに向けている。

 関わりの『知』を用いると,看護師は自由に広い空間のなかにいてクライアントに配慮する世界を造り出す。今そこで起こっていることの意味を,過去の多くの事例との関連で瞬時にまるごと把握し,クライアントの関心に気遣うという特徴をもっていると記述している。

 こうした『知』の獲得過程を,反省的実践(ショーン)や臨床技能の習得段階(べナー)を援用して考察を深める。看護師が,一人前から熟達者へと変化する際に必要な要件は,痛みを伴う経験が必要であり,行為という身体知を用い,現実と四つに取り組むコミットメントが重要であると論じる。

 第3章の『知』の文献検討において,暗黙知から形式知の創造が検討される。

 看護師の「身体に根ざした知性」に注目し,「看護職生涯発達学」という領域を立ち上げた著者の意気込みが伝わる力作である。

B6・頁248 定価1,890円(税5%込)医学書院ISBN978-4-260-00562-3

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