医学界新聞

寄稿

2007.10.15

 

【投稿】

新潟県中越沖地震災害救護活動に参加して

渡邊嶺(大森赤十字病院 初期研修医)


 2007年7月16日午前10時13分,新潟県上中越沖を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生し,新潟県柏崎市を中心とする地域に震度6強の揺れが観測されました。

 人的被害は死者11名,重傷者177名,住家被害は全壊1088棟(9月26日現在,新潟県報道資料による)に及び,柏崎刈羽原子力発電所では一時火災が発生し放射性物質の漏洩が確認されました。

 日本赤十字社では7月16日より医療チームを現地に派遣。日本各地の赤十字病院から合計44班の医療チーム,72名の医師を動員して7月29日まで救護活動を行いました。

医師として3か月目での救護活動参加

 今回,大森赤十字病院の災害救護班が出動したのは7月22-24日までの2泊3日で,構成は私を含めた医師2名・看護師3名・主事(事務)2名の計7名,派遣先は原発のある刈羽村でした。業務内容は主に救護所での診療と近隣避難所への巡回診療でした。

 「研修医で誰か,新潟の災害救護に行きたい人はいるか?」

 派遣の話は7月20日,ローテートしていた循環器科の指導医,持田泰行先生より突然聞かされました。他の研修医にも希望を募りましたが皆なかなか予定が合わず,行けるのは私だけでしたので,二つ返事で参加を決めました。しかし20日はちょうど当直で,当直明けの業務を終えて家に帰り,準備をして更にゆっくり休む余裕はあるか,二次災害の可能性もゼロでない,医師となってたった3か月ちょっとの私が行っても十分な働きができるのだろうか,などと不安ばかりが頭に浮かびました。

交代制の救護は的確な患者情報引き継ぎがカギ

 7月22日の朝7時,災害救護服に身を包み,2台のワンボックスカーに分乗して病院を出発。3年前の新潟中越地震にて大きな被害を受けた小千谷市を通りすぎ現地に近づくと,一般車両通行禁止となっていました。報道でよく目にするような大きな地割れなどは目立ちませんでしたが,随所で道全体が波打つ様にゆがんでいるのに驚き,地震の力の大きさを改めて思い知りました。

 午後1時ごろ,柏崎市内にある日本赤十字社の現地対策本部に到着。私たちは埼玉県の小川赤十字病院の救護班とともに救護所と巡回診療を1日ずつ交代で担当することになりました。私たちの前には岩手県の盛岡赤十字病院,茨城県の水戸赤十字病院がやはり2泊3日で救護を行っており,短いスパンでいくつもの救護班が入れ替わり立ち替わりで救護を行っていたようです。

 このようなチームリレーは救護班の疲労を最小限にするという意味で効果的ですが,患者情報等の的確な引き継ぎが行われなければ機能しません。日赤のような救護のノウハウとネットワークをしっかり持つ団体でなければなかなか難しいことであろうと思いました。

 刈羽村のライフライン復旧状況としては,電気は通じていましたがガス・水道は未復旧。医療機関は復旧しており医薬品も不足してはいませんが,総合病院は隣町まで行かなければならず,診療所も村の中には数少ないといった状態でした。飲料水は各避難所で配布され,自衛隊や水道局の給水車も来ているので比較的余裕があるように感じました。食事も十分量供給されていたようで,衛生面に関しても自衛隊の入浴設備や十分な数の手洗い場の付属した簡易トイレがあり,清潔を保つ努力がなされていました。原子力発電所はすぐ近くにあるのですが,発電所の周囲は小高い丘で囲まれて視界には入らず,「あそこが原発だよ」と教えてもらわなければわかりませんでした。

エコノミークラス症候群の検査も

 到着直後より,さっそく刈羽村の刈羽村生涯学習センター「ラピカ」内の1室に設営した仮設の救護所で診療を開始しました。地震で受傷した創傷の包帯交換や,壊れた家の中を片付けた時の擦過傷や釘による刺創,汗疹や虫刺されに加えて感冒症状,急性腸炎,脱水症状,不安症状と受診内容はさまざまでした。災害発生直後には外傷など外科的処置が多く必要とされますが,数日後からは内科疾患が増えてくるようです。受診者数は1日30名程度でしたが,夜間も交代で24時間診療対応を行いました。

 前回の中越地震で取り上げられたエコノミークラス症候群が今回も大きく報道されたため,不安なので検査をして欲しいという方が何人か受診し,病院から持参したポータブルの装置で下肢静脈エコー検査を行いました。

 日赤の救護班の特徴として挙げられるのが,「こころのケア」の専門看護師がいることです。被災者の方々は皆程度の差こそあれ心的外傷を被り,相次ぐ余震に怯え,これからの生活の不安にさらされています。実際,不安で話を聞いてほしいから来たという受診者も数名いらっしゃいました。医師が精神安定剤や睡眠導入薬を処方するだけでなく,こころのケアの専門看護師がじっくりと時間をかけて対応することの重要性を感じました。

 2日目は夕方より付近にある数か所の避難所で巡回診療を行いました。一つひとつの施設の被災者の数は数十名程度で決して多くはありませんでしたが,高齢の要支援者や要介護者を集中して集めた福祉施設もあり,地域の保健師・看護師の方々が意欲的に連携して看護や介護を行っている姿が印象的でした。

 

 最後に1年目の初期研修中に災害救護活動参加の機会を得ることができ,今回の救護への参加を許可してくださった大森赤十字病院の各先生方,日本赤十字社にとても感謝しています。

 また被災された方には心よりお見舞い申し上げ,速やかに復興が進むことを願っています。


渡邊嶺氏
2007年筑波大卒。東医歯大初期臨床研修プログラムの協力病院である大森赤十字病院にて現在研修中。今年の前半は内科系を中心にローテートしている。300床程度の適度な大きさの病院で,親切な指導医に恵まれ非常に満足している。病院は歴史を感じさせるたたずまいがお気に入りだが,改築の予定で残念でならない。将来の志望科は耳鼻咽喉科・頭頸部外科。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook