イラクテロ外傷治療プログラムに参加して(中川崇)
寄稿
2007.09.17
【寄稿】
イラクテロ外傷治療プログラムに参加して
中川崇(東京大学大学院医学系研究科)東にパレスチナとイスラエル。北にシリア。南にサウジアラビア。そして西にイラク。複雑な中東情勢のまっただ中にありながら,国王アブドゥッラー2世の絶妙な外交手腕と経済政策により,平和と安定した経済発展を享受する国,ヨルダン。私はその首都アンマンで1か月あまり,国境なき医師団の人道支援活動に参加した。かつて同団はイラク国内でテロ被害者等の治療を行っていたが,同国内の急激な情勢悪化によってイラクより撤退。昨年から拠点を隣国のアンマンに移し,イラクの被害者の治療に当たっている。
イラクの現状とシビアな症例
テロの被害者は老若男女を問わない。5歳の息子を爆弾テロで失い,自身も両上肢に熱傷を負った主婦。受傷後数か月経っても癒合しない下腿の開放骨折を抱えた初老の男性。爆発によって下顎の半分を失った3歳の女の子。全身に大やけどを負ったクルド人の17歳の少女もいた。大学や外傷センターでそれなりの場数を踏んだと自負していたが,活動当初は個々の症例のシビアさに当惑せざるを得なかった。特に私が専門とする形成外科的症例では正解というべき治療法がなく,症例ごとに術式を「考案」する必要があった。参考になる術式はないか,いいアイデアはないか。文献をあさり,かつての同僚や上司に意見を求め,紙にペンで手術をシミュレートする日々が続いた。よい術式が浮かばず眠れぬ夜もあった。幸い潤沢なインターネット資源が準備されており,こうした模索に大いに役立った。
平和で活気のあふれる街アンマンと,悲惨な患者たちの現状はあまりに対照的である。バグダッドとアンマンは距離にしてたった800km,飛行機で2時間ほどの距離しかない。民間定期便も就航しており,ほぼ毎日数便が往復している。地理的にも交通的にもこれほど近く,また同じアラブ諸国であるにもかかわらず,その市民生活はまったく異なる。イラク国内では日本で報じられる以上の爆弾テロ,誘拐,殺人が横行しており,その犠牲者は連日50名を下回ることはないという。対してアンマンでは,女性が夜中に一人歩きできるほど安全で,医師団の女性スタッフもよく一人で町中を買物に歩いていた。この極端な差異は,政治というものがいかに市民の生活に影響を及ぼすか,また治安と経済という国家の基本的基盤を破壊することがどれだけ罪深いことかをよく示している。
治療上の問題
国境なき医師団のアンマンでの人道支援活動は,アンマン市内にある赤新月社(日本でいう赤十字社)病院で,一部の病室,手術室を借り受けて行われている。活動の性質上,緊急医療は行えないため,主に外傷後の治癒遷延,熱傷後の瘢痕拘縮,機能や構造の喪失か治療対象となる。こういった疾患は専門性の高い手術が必要となり,上記のような特殊な症例ばかりということもあいまって,同活動に参加している医師,スタッフは常に何らかの困難に直面していた。特に彼らを神経質にさせていたのは創感染と軟部組織欠損であった。幸いに私の担当した症例では皆無だったが,主に下腿開放骨折患者を中心に慢性骨髄炎,軟部組織感染が非常に多く,軟部組織の壊死を併発して難治性潰瘍化し,入院期間を大幅に延ばしていた。もちろんこれは患者にとってはさらに大きな困難であった。治療以前の問題
こうした困難を抱えながらも,アンマンの病院にたどり着けた人々はまだ幸いである。実はこの活動における最大の問題は,患者をヨルダンに入国させることができないということであった。イラク戦争後の新イラク政府はいまだ脆弱であり,基本的な治安維持すらままならない。そんな状況下では個人へのパスポート発行などとても手が回るものではない。そのため,多くのイラク市民はパスポートの取得が困難なのである。やむを得ず,治療を希望する患者たちも,多くはパスポートやビザを持たぬままアンマン空港へと向かう。しかし,空港の入国審査で,多くの患者が入国を拒否されるのである。しかもある患者は入国を許可され,ある患者はされない。入国許可の基準がまったく不明瞭であり,同医師団も対策の立てようがないという。許可されなかった患者は,そのままバグダッドへと飛行機で強制送還される。「アンマン一日旅行」,そう皮肉るスタッフもいた。その渡航費用は同医師団の負担となり,一人当たり20万円近くが無為に消えていった。
アンマンでの生活
こうした諸問題の一方,アンマンでの私の生活は実に快適だった。安全に問題ないどころか,気候,食べ物,人々,すべてが満足のいくものだった。ヨルダンは国中にさまざまな遺跡や観光スポットがあり,ヨーロッパを中心に世界中から観光客が訪れる。物価も安く,食べ物も美味である。休日には近郊の遺跡や,かの有名な死海を訪れたりもした。死海では確かに誰でもプカプカと浮くことができることが確認できた。もちろんこういった余暇も充実したものであったが,この活動に参加した最大の「甲斐」は,やはりすべての患者から感謝してもらったことであろう。無償に近い形で援助しているのだから当然だろうとの向きもあろうが,こうした活動でも実際には必ずしも感謝されるものではないらしい。特に救命治療ではないこうした慢性期の治療では,患者の不満も出やすいとのこと。
実のところ,毎日の手術を内心ヒヤヒヤしながらこなしていたのであるが,術後の患者とその家族の満面の笑みと感謝の言葉は,こうしたストレスを補ってあまりある外科医としての喜びを与えてくれた。
一人の初老の患者がいた。彼は白髪で,アラブ人男性らしくヒゲを蓄え,長らく下腿の軟部組織欠損が遷延し退院できなかった。彼の創を皮弁形成術で閉鎖したところ,彼は大変喜び,バグダッドの自宅にぜひ招待したいという。バグダッドは外国人にはあまりにも危険なので,冗談かと思い笑いながら断ったところ,「うちはバグダッド空港のすぐ近くだ,バグダッド空港はアメリカ軍ががっちりガードしていて安全だから,うちも安全だ」という。さらには,「うちには武装したガードマンが30人いるから大丈夫!」とのことであった。皆笑っていたが,おそらく彼が裕福な家を持っており,そのような者はガードマンが多数必要であることがうかがい知れ,イラクの現状に思いを馳せずにはいられなかった。
アンマン滞在日数は33日間。22名の患者に対し全身麻酔下に26件の手術を行った。出発の際は多くのスタッフ,患者が別れを惜しんでくれた。忘れられぬ記憶となるだろう。
中川崇氏
2000年東大医学部卒。東大病院,東京警察病院,自治医大病院,都立墨東病院などに勤務(形成外科)。07年東大大学院医学系研究科博士課程修了。同年5-6月に,ヨルダンにてイラクテロ被害者の外傷治療活動に参加。 |
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