都心の辺境
連載
2007.07.09
名郷直樹の研修センター長日記 |
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都心の辺境
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(前回2735号)
△月×○日
勤務先が変わった。へき地診療所から,海に近い半島の病院へ,ついには都心の病院へと流れ着いた。ただ都心といっても,都心のはずれである。都心のはずれ,って,都心なのか,はずれなのか,よくわからないけど,そういうのがいい。川をわたれば隣の県という位置である。一般的に言えば,前の病院よりよほど都会なのだが,この都心のはずれは,自分にとってもフィットする。素敵なロケーションだ。
「すべての文化は辺境から始まる」
誰が言ったか忘れたけれど,新しいことを始めるには辺境に限る。辺境の都心から,都心の辺境へ。4年以上前,村にいたときには,その中心部にいた。そして今,その逆の,都心のはずれにいる。2つの場所は似ているようで違うようで,でも少し違いが明確になった。へき地診療所時代,村の中心部にいたのがいけなかったのかもしれない,そう思う。
1時間半かけての電車通勤。これはまた大きなチャンスかもしれない。村にいたときは,毎日車で5分の通勤であった。今は6時台に徒歩で駅へ行き,7時前の電車に乗って,途中1回の乗り換えを経て,都心の辺境をめざす。行きは東へ,帰りは西へ,懐かしい歌がよみがえる。電車は今日もすし詰め,延びる線路が拍車をかける。満員,いつも満員。床に老婆が倒れるスペースはない。倒れようものなら宙吊り状態だ。私の荷物は,手を放しても決して下へ落ちることはない。常に宙吊りだ。どこへも行き着かず,宙ぶらりんのまま,私自身の日記のように。
しかし,都心の都心を過ぎて,都心の辺境へ向かい始めると,これまでがうそであるかのように電車はすいてくる。大部分の人は,乗ったときから降りるときまですし詰め状態で,何もいいことなく電車を降りていく。しかし,私は都心の都心へと通勤する人たちを都心に置き去りにして,再び辺境へと向かうのである。上りと下りを一度に経験できる,なんと贅沢な電車通勤だろう。
都心の辺境へと向かう電車に置き去りにされた人々は,いったいどこへ向かうのか。こうまで苦労してたどり着いた先には,いったいどんな素敵な仕事が待っているのか。この拷問のような満員電車に見合うだけの素敵な仕事。ぜひ私もやってみたい。そう書いてはっとする。人生は買い物である。人生は等価交換である。そういう考えが染み付いている。すし詰め電車に見合う仕事,まったくさもしい考えだ。
しかし現実はどうか。そんな等価交換のうまい話があるわけもなく,奪われるばかりの人生が転がっている。満員電車で奪われ,降りたホームの人ごみで奪われ,上りの階段で奪われ,改札の列で奪われ,次のホームまでの通路で奪われ,常に奪われている。しかし通勤で奪われたエネルギーは,どこへ行くのか。エネルギー保存の法則はここでも成り立つのか。どこかでおいしい思いをしているやつがいるに違いない。私もおいしい思いがしたい。こんな満員電車で一生終わるのはいやだ。それを,奪われる,でなく,与える人生,と言えればよいが,誰もそんな余裕をなくしている。せめて,人生は修行である,というところか。死ぬまで修行なのだと。
私自身は,都心までの電車は修行,そこからは少し旅行気分で,毎日の通勤を楽しむ。これからは辺境の時代だ。都会に住みながら,都心の辺境に触れることで,何かを保っている。都心を過ぎて辺境へ向かう電車は快適だ。快適さによって保たれるもの。満員電車と比べてそれはますますはっきりする。ギューギュー詰めの上り電車を眺めながら,下り方向へ向かう。
電車を降りると,これから都心へ向かう怒涛の人ごみにしばしもまれる。この駅の人の流れは戦争である。ホームからホームへと移動する人たちと,改札へ向かう人がまともに交差するのである。ぶつかりそうになりながら,ぶつかりながら,無言の視線を感じながら,チッとか舌打ちを聞きながら,改札へ向かう。改札を出て,駅前のバスターミナルから,他の路線バスよりはひと回り小さな,チョロQといわれる病院行きの路線バスに乗る。一,二度はクラクションが鳴る,駅前の雑踏を過ぎ,坂を上って,病院に向かう。ここからは下り方向へ上る。へき地の診療所も同じだった。都会から離れ,下り方向へ上る。上りきったところに村の中心部があった。
ここも坂を上りきったところに病院がある。まだ築3年の新しい病院である。辺境にはふさわしくない巨大な建物だ。玄関を入ると,右側に病院の医師一覧のボードがある。臨床研修センターのところの最初に,自分の名前を確認する。気持ちは変わらない。
「やり直せるうちは,何度でもやるよ」
(次回につづく)
本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。 |
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名郷直樹の研修センター長日記(終了)
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