医学界新聞

インタビュー

2007.05.21

 

【interview】
吉良健司氏(在宅りはびり研究所・所長/理学療法士)
に聞く

在宅は急性期ほどの機能回復はない。
でも,人間としての復権,本当の意味でのリハビリテーションがここにある。


 2000年に始まった介護保険制度も7年目を迎えるが,訪問リハビリテーションのサービス提供量は当初期待されたほど増えていない。制度創設当初から危機を訴えてきた吉良健司氏は,仲間の療法士らとともに訪問リハの人材育成カリキュラム作成に着手。このたび,その成果を『はじめての訪問リハビリテーション』として一冊の本にまとめた。編者の吉良氏に,在宅で求められるスキルや仕事の醍醐味について聞いた。


■訪問リハの人材育成が進まない理由

――いま,訪問リハビリテーション(以下,訪問リハ)はどのような現状でしょうか。

吉良 高齢化が急速に進む中,国としては「病院から在宅へ」というねらいでさまざまな制度の見直しを進めています。しかし制度改革のスピードに,訪問リハを担う人材の育成が追いついていません。

 その変化の煽りをもっとも受けていているのは,高齢者・要介護者ではないでしょうか。急性期・回復期の後,受け皿となる在宅でのサービスが不足していて十分なリハビリができず,思い描いたような生活ができていないのが現状です。

――介護保険において,訪問リハの普及は伸び悩んでいるのでしょうか。

吉良 介護給付費実態調査(2005年12月審査分)のデータをもとに推計すると,居宅サービスのうち訪問リハは,病院・診療所・老人保健施設からの訪問と,訪問看護からの訪問を合わせても3.5%に過ぎません(図)。ちなみに,訪問介護は44%,訪問看護は10%です。

 訪問リハのニーズが本来どのくらいなのか不明な部分はあります。ただ,リハビリは要支援から重度まで対象の幅が広いですし,訪問看護と同程度かそれ以上,つまり10%を超えるくらいの潜在的なニーズがあるのではないかと考えています。

医学的視点だけでは在宅の問題は解決できない

――なぜ人材育成が進まないのでしょう。

吉良 興味を持つ療法士はたくさんいるのですが,みんな二の足を踏んでしまうのが現状です。病院と在宅の違いにとまどって,何をやればいいかわからなくなってしまうのですね。

 在宅は,医学的な視点だけでは解決できない問題がたくさんあります。機能低下を起こす要因がたくさんあって,それが医学的なものに限らないというのが重要な点です。例えば,住宅環境です。部屋の入り口の敷居に2cmの段差があるだけでも,歩行の不安定な人を転倒に至らしめます。あるいは転倒に至らずとも,骨折して寝たきりになるのが恐いので,用心して動かなくなります。

――療法士の役割としては,まずその原因に気づくことでしょうか。

吉良 そうですね。ご自宅に帰られる時には,皆さん希望を持っています。病院の平行棒で歩くことができれば,家でも歩けると考えます。でも,実際に家で歩いてみると,じゅうたんが敷いてあったり,ゴミ箱が置いてあったり,電動ベッドの配線があったりと,いろいろなバリアがあるんですね。そうしたものにつまずいたりして恐怖感を持つと,歩かなくなってしまうのです。訪問に行き始めたら「その人がなぜ歩行を恐がっているか」と,気持ちの奥底にひっかかっている部分を探る必要があります。

――原因は,ご本人の口から出てこないかもしれないですね。

吉良 原因を自覚している場合とそうでない場合があるので,こちらがアセスメントして突き止めていかなければいけません。原因がわかったら,次は恐怖感を取り去るように対処します。例えば,敷居を越える動作練習を反復したり,場合によっては手すりの設置をしたりして,「これだったら大丈夫だね」と安心してもらうのです。

 ベッドから起きたくない,歩きたくない……。こうした場合に原因を探っていくと,実は歩いてつまずいたとか,小さなトラウマが原因になっていることがあります。結果的に廃用性の機能低下を起こしてしまう。昔はできていたことができなくなって,家庭の中での役割が果たせなくなる。それで精神的に落ち込み,ひどい人は認知症の症状が出てくることもあります。

――悪循環ですね。

吉良 そうです。急性期・回復期で高めてきた身体機能・生活能力を在宅につなげていく,その専門的な介入が訪問リハビリテーションです。そこでは,医学的視点だけではない,いわば“ひとりの生活者をみる視点”が必要ではないでしょうか。しかし,こうしたことが専門技術として十分に体系化されていない現状なので,若い療法士がつまずいてしまうのだと思います。

社会人としてのスキルが必要

吉良 それと,訪問サービスの特性に基づく立ち居振る舞いを習得することも必要でしょう。病院はいわば医療者の「城」ですから患者さんは「治してもらっている」という意識が強くて,本音を言わず我慢します。ところが在宅はご本人の「城」なので,医療者が不快な行動を取ると,たちまち怒られます。病院の中でずっと働いていると,サービス業従事者としての立ち居振る舞い,社会人としての基本的マナーが十分にトレーニングされずにきてしまうことがあります。在宅では,こういったマナーもスキルとして身につけておかないと,技術を提供する以前の問題として,受け容れてもらえなくなってしまう状況が起こり得ます。

 例えば,風邪気味の療法士が咳払いを何度かしたりすると,「今日はもういい」と言われてしまうことがあります。低体力の方にとって風邪は致命傷に至る恐い病気なので,ご家族も咳に対して神経質になります。病院であれば許されてしまうこともありますが,訪問の際に咳はできません。これまで誰もこういったことを教えてくれなかったので,経験の中で学んでいくしかないのですね。

■現場で蓄積したノウハウを若い療法士に

――『はじめての訪問リハビリテーション』は,そうした問題意識から生まれたものなのですね。

吉良 一昨年まで7年間,東京の診療所に勤務していたのですが,私が上京した1999年に「とうきょう訪問リハビリテーション研究会」という会が立ち上がって,そこで多くの療法士と出会いました。会員との情報交換では人材確保が共通の課題になっていて,介護保険制度施行後もその状況は変わらなかったのですね。「このままでは社会のニーズに応えられるほど人材は増えない」と危機感を抱いて,人材育成プログラムの必要性を研究会で訴えたのがきっかけです。

 ちょうど東京都の介護保険課も同じような問題意識を持っていて,強い後ろ盾を得た後,2004年に「訪問リハビリテーション人材育成カリキュラム検討委員会」を「とうきょう訪問リハビリテーション研究会」の中で発足させました。まずはカリキュラムの章立てをつくり,できた章立てを皆で分担する。次に各自がまとめた内容をプレゼンして,ディスカッションを行う。こうして1年間くらい議論を重ねて,翌年の2005年に第1回訪問リハビリテーション初級者研修会を開くことができたのです。

 その後,蓄積したノウハウ,各講師がつくったプレゼンの内容を全国の療法士にも伝えようということで,講師の皆さんに執筆者としてご参画いただいて,今回出版の運びとなったわけです。

――では,検討委員会で議論を重ねてつくったカリキュラムが本の骨格になっているわけですね。研修会は業務の流れに添った講義や事例を踏まえたディスカッションがあったり,趣向を凝らした内容だったそうですね。

吉良 たいていの研修会では,制度の説明だとか有名な専門家の講演が中心です。しかし,訪問リハをやり始めた人,あるいはこれから始める人というのは,「明日訪問する時にどうしたらいいのか」という,先輩から教えてもらうような,現場のノウハウがほしいわけですね。ですから,私どもの研修は実践力を高めていこうという趣旨でつくりました。

 研修会から生まれてきたこの本も,現場のノウハウの蓄積です。私は12年ほど訪問を行っていますが,決して成功体験ばかりではありません。むしろ多くの失敗体験もしてきました。できれば皆さんには同じ間違いをしてほしくない。私が12年間でできるようになったことは1―2年で到達して,あとの8年でさらに次のステップに進んでもらいたいと願っています。そのための実践的ノウハウ集です。

在宅のセンスを磨く

――在宅は事前に訓練できない,“想定外”の出来事がたくさんあると思います。事例を通してセンスを磨いて,新たな事例で対処能力を活かすのも大事なのでしょうね。

吉良 その在宅のセンスというのは,病院に長く勤めていると失われる場合があります。病院の急性期・回復期にあっては時間の制約もあって,脳卒中片麻痺や大腿骨頸部骨折といったように生物学的に捉える見方が強調されます。もちろん在宅でも,医学的視点は前提条件として重要ですが,「ひとりの人間としての生活や障害を見る」センスこそ重要なのです。

 例えば,歩行機能レベルが低下した人にどうアプローチしていくか。病院であれば,筋力訓練や歩行訓練をして能力を高めるという方法を取ります。しかし,それはある程度本人のモチベーションがないとできません。在宅では,思い描いていた生活ができなかったりして落ち込んでいる人も多いので,そういう人に筋力訓練をやっても,なかなか生活に根づかないのです。

 ところが,その人がひ孫さんに対して特別な思いがあるのなら,「ひ孫さんの家に行くために歩けるようになりましょう」という生活目標を立てることができます。ひ孫さんの家の玄関に三段の段差があるなら,「それを超えられるだけの階段昇降能力を持ちましょう」と,その人の価値観を大切にした分析をもとに,目標設定を提案します。

 ただ漠然と機能回復をめざしても意欲は出ませんが,「歩く意味」が本人の中で明確になれば,自然と意欲が出ます。

――ふだんからコミュニケーションを取っていることが前提ですね。

吉良 そうです。「ひ孫さんの家に行こうよ」という提案をするためには,その人がどのような価値観,生活歴を持ち,どのような家族関係なのかといった部分にまでアンテナを張っている必要があります。

――誰に対しても「ひ孫さんのところへ行こうよ」では,実は仲が悪かった場合……(笑)。

吉良 そういうことだってありますからね。そこはセンスが問われるところなのです。

「人間としての」回復にかかわる喜び

――最後の質問となりますが,訪問リハの醍醐味はなんでしょうか。

吉良 けっこう難しい質問で,私もまだ自分の中でうまく整理できていません。私は急性期・回復期の病院で仕事をしたこともあって,その時期もリハビリテーションの面白さを実感しました。寝たきりだった人が歩けると,療法士としてはすごくやりがいを感じました。ただ,自宅に帰ると,思うように生活ができない。障害を生活の場で初めて感じて,人生につまずいてしまうのです。

――実体験として,そういう患者さんを見てこられたのですか。

吉良 山ほどいます。ニコニコ手を振りながら退院した人でも,家に帰ってしばらくすると閉じこもってしまったり。われわれ療法士が急性期・回復期で努力したことが,なかなか在宅で活かされていません。その部分を担いたいと思って,訪問リハを始めました。

 急性期・回復期と違って,在宅に戻ってからは,そう簡単に機能が回復しないのは事実です。ただ,うまくやれば回復しないはずの人が回復することがある。それは機能的に回復する部分もありますし,もっと醍醐味を感じるのは,人間としての回復です。

 例えば,脳卒中片麻痺で自分の将来を悲観している方が,療法士の専門的な介入で気持ちが前向きになって,町内会など地域の活動に参加したり,遠くに住んでいる親族のところへ遊びに行ったりする。そうやって,たとえ障害が残ったとしても,人間として生活を回復されていく場合がけっこうあるのです。そういう人を見ると,「ああ,人間ってすごいなあ」と思いますよね。

 リハビリテーションの理念のいちばん大切なところは,障害があったとしても,その人らしく再び生活を創造していくことだと思うのです。在宅は急性期ほどの機能の回復はないかもしれませんが,人間としての復権,本当の意味でのリハビリテーションがここにはあります。目の前の「患者さん」が,「家長の○○さん」になったり,「社長の○○さん」に戻ったりする。そのプロセスに参画することでリハビリテーションの奥深さを痛感して,もうこの仕事をやめられなくなるのです(笑)。

――後進の療法士が増えることを願っています。ありがとうございました。

◆在宅りはびり研究所の事業内容や各種訪問リハビリテーション研修会の情報は,下記HPから閲覧できます。
 URL=http://www17.plala.or.jp/hhri


吉良健司氏
1992年高知リハビリテーション学院,佛教大社会学部卒。近森リハビリテーション病院,たいとう診療所を経て,2006年1月に,「在宅りはびり研究所」を設立。リハビリテーション修士(筑波大大学院教育学部修士課程修了),介護支援専門員。編著書に『訪問リハビリ入門』(日本看護協会出版会,2001年),『はじめての訪問リハビリテーション』(医学書院,2007年)。

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