医学界新聞


産業保健スタッフと事業者の役割

連載

2007.04.23

  ストレスマネジメント
その理論と実践

[ 第13回 産業保健スタッフによるケア
産業保健スタッフと事業者の役割 ]

久保田聰美(近森病院総看護師長/高知女子大学大学院)


前回よりつづく

 都内民間病院勤務の小児科医自殺に対し,東京地裁においては過労が原因の「労災」と認定したと報じられています。この裁判が象徴するように,医療従事者の心身の健康は専門職であるがゆえの対策の遅れが目立ちます。しかし,この連載で紹介してきた厚生労働省の「事業所における労働者の心の健康づくりのための指針(以下,メンタルヘルス指針)」の対象は一般企業ばかりではありません。過酷な労働条件が社会問題となっている医療現場にこそ対策が求められているとも言えるでしょう。

 そこで,今回はメンタルヘルス指針で重視されている4つのケアを推進していくための要とも言える産業保健スタッフと,事業者の役割について考えてみたいと思います。

産業保健スタッフとは

 メンタルヘルス指針での産業保健スタッフとは,産業医,衛生管理者,保健師,看護師,心理専門スタッフ(臨床心理士,産業カウンセラー等)を指します。病院では,患者さんへのケアとしてこうした専門スタッフはいても病院の職員の健康づくりのための配置は難しく,また配置されているところでも,他の業務との兼務になりやすい面を持っています。

 これは,一般企業においても同様です。昨今の人員削減の時代の流れからか,いくら法律(労働安全衛生法)で一定の規模以上(常時50名以上の従業員数)の事業場での,産業医,衛生管理者の選任が義務付けられていても,専任のスタッフを配置する事業場はあまり多くはありません。前述のような豊富な産業保健の専任スタッフを配置するのは一部の大企業で,中小企業などでは,大学や病院,診療所に所属の産業医が非常勤で就き,衛生管理者に人事労務関係者,他に看護職(看護師や保健師)が専任スタッフでいれば恵まれているほうかもしれません。

 しかし,こうした厳しい人員配置の中でも,産業保健スタッフに求められる業務は,風邪や体調不良の従業員への対応から法律で定められた健康診断の結果のまとめと事後指導,日々の相談事例や健診結果からみえてくるその事業所の健康問題への総合的アプローチ等多岐に渡ります。メンタルヘルス指針においては,ラインマネジャーを「気づきつなげるKEY Person」とすれば,産業保健スタッフはその気づきを受け止め,事業所内の心の健康問題への対処システムを調整していく「中心的存在」としての役割が求められているのです。

産業保健スタッフの具体的役割

 産業保健スタッフの具体的な役割は,(1)労働者に対する教育研修,(2)職場環境等の改善,(3)労働者等からの相談への対応,(4)職場適応・治療および職場復帰への指導,(5)ネットワークの形成および維持,と多岐にわたり,まさに職場全体のメンタルヘルスシステムの調整役とも言えます。しかし,実際問題としていちばん重要かつ難しい問題は,自分たちがこうした役割が果たせる環境を整えることかもしれません。それは,事業者の理解と協力なくしては進まない問題です。

安全配慮義務と労働災害認定

 わが国の労働衛生行政の施策は,労働災害を減らすことが主な目的と言っても過言ではありません。不幸な労働災害が起こるたびに法律や指針が整備され,産業保健スタッフに求められる役割も多様化してきました。

 メンタルヘルス指針ができた背景も例外ではありません。自殺者が3万人を超え社会問題化した1998年以降,うつ病に代表される精神障害や自殺者の労災認定の申請(図)が急増するのに並行するかたちで通達や指針が出されています。1999年の「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」では,メンタルヘルス不全および自殺に関する業務上外の判断基準が全面的に見直され,2001年12月には「脳・心臓疾患に業務上外の判断基準を変更する通達」(発症前の約6か月間の過重な業務負荷,つまり時間外労働等と発症との関連性の強さを判断する基準が明確に示される),2002年2月には「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」(過重労働による脳・心臓疾患の発現を防ぐため,時間外労働時間の削減,健康管理に係る措置の徹底を事業主に求める)と続いています。

 厳しさを増す一方の労働環境を改善し管理していくことが事業者の「安全配慮義務」として求められているのです。この安全配慮義務とは,最高裁判所の判例で確立された概念で「事業者が労働者に負っている労働契約上の債務で,事業者が労働者に対し,事業遂行のために設置すべき場所,施設もしくは設備などの施設管理または労務の管理にあたって,労働者の生命および健康などを危険から保護するよう配慮すべき義務」と定義されています。また,この安全配慮義務の範囲は,過去の判例の影響を受けて「業務に直接起因する健康障害を起こさないこと」から「業務に直接起因しているとは言えないが,業務と密接な関連を有する健康障害」に広がってきています。その結果,心の健康づくり対策として事業者に求められる安全配慮義務の範囲が,時間外労働の管理に留まらず,予防から職場復帰までを視野にいれた総合的な組織としての対策にまで広がってきているのです。

医療現場の実情

 では,病院の実情はどうでしょうか? 前述の小児科医の自殺労災訴訟では,新聞報道によれば,亡くなられた44歳の小児科医部長は,当該病院の小児科医の不足に伴い月8回の当直をこなすだけでなく,当直明けにも連続勤務もまれではない労働環境(今の救急に対応している病院には共通する状況ですが)のもとでの自殺に遺族が労災を確信し申請しています。しかし,新宿労働基準監督署の当時(2001-04年)の判断は,当直は労働時間とみなされないとして,労働災害とは認定されなかった経緯があります。

 たしかに労働基準法では,第41条において「労働時間規制の適応除外労働者」の中の「監視・継続的な労働に従事する者で行政官庁の許可を得た者」として,「医師または看護師などの宿直勤務も許可条件を満たせば該当する」としています。しかし,この許可条件には,夜間に十分睡眠が取りうることや,急患等への対応は昼間と同態様の労働に従事することが常態であるようなものは適応外である等数多くの条件が明記されています。この裁判の判決では,「同病院の小児科の宿直勤務は,診療の多くが深夜時間帯で,十分な睡眠は確保できず,月8回の当直勤務は精神疾患を発症させる危険性の高いものだった」と指摘しています。

 当時よりもさらに過酷さが増す医療現場において,今回の判決の影響は計り知れないものがあるでしょう。全国の労働基準監督署は,継続的な宿直または日直勤務として許可していた病院や施設の見直しにはいるかもしれません。病院側の安全配慮義務違反を争点とした民事訴訟の結果は,東京地裁において原告の訴えが退けられました。しかし,これで病院における労務管理の現状が肯定されたわけではありません。必要なのはこれ以上犠牲者を出さないための対策であり,医師や看護師などの医療従事者であったとしても,労働者としての最低限の環境を整えることではないのでしょうか。

ライン外の強みを活かした調整

 事業者である病院経営者にしてみれば,最低限の環境を整えたくとも絶対的な人員が足りないという反論もあるでしょう。しかし,今一度病院全体をみてみると,部署間のバラツキ,偏重はないでしょうか。

 病院という組織は利用者が病気を抱える患者であるために不確定要素が多く,簡単に適正配置を決められない難しさがあります。またセクショナリズムやその病院での脈々と続く古い慣習が大きな壁になることも多いようです。そんな組織だからこそ,ライン外に位置する産業保健スタッフの役割が重要になるのです。

 産業保健スタッフは組織における「炭鉱のカナリア」とも言えます。ライン外だからこそセクショナリズムや各部署の利害関係に縛られず,冷静に病院全体をみて微妙な温度差やスタッフの底に流れる危険信号を察知できるのです。そうしたライン外の強みを活かした調整能力を持った産業保健スタッフが,こんな時代だからこそ求められているのではないでしょうか。

(次回につづく)

参考文献
1)管理監督者・産業保健スタッフ等のためのメンタルヘルス指針基礎研修テキスト,中央労働災害防止協会,2006.
2)厚生労働省:職場における自殺の予防と対応,中央労働災害防止協会,2001.
3)厚生労働省労働基準局賃金時間課:改定版2004 労働時間ハンドブック,全国労働基準関係団体連合会,2004.
4)脳・心臓疾患及び精神障害等に係る労災補償状況について,労働基準局労災補償部補償課,2006.


久保田聰美
保健師として働く人の健康づくりに関わったのち,近森病院で看護管理者として勤務。同時に産業カウンセラーとしてメンタルヘルス対策事業に取り組む。1年間休職し研究に専念した後,本年4月に病院に復職。

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