医学界新聞

寄稿

2007.03.05

  【視点】
大規模臨床試験とその報道のあり方

桑島巌(東京都老人医療センター副院長)


はじめに

 近年,ますます加熱する医学雑誌やジャーナルの医薬品の広告合戦に眉をひそめる読者も少なくない。さすがに日本製薬工業協会もたまりかね,今年1月から自主規制に踏み切ったことは一応の評価に値するが,本質的な改訂であるかどうかは今後の推移を見守る必要があろう。医薬品の中でもとくに市場が大きい降圧薬の広告が氾濫しているが,高血圧の専門医でもあり,かつ実際に薬を処方する立場から,相次いで発表される大規模臨床試験の報道のあり方について意見を述べる。

1.EBMと医薬品報道

 EBM(evidence-based medicine)が治療学に浸透して以来,その根幹となるエビデンス作りは製薬企業にとって重要な命題となった。自社製品のエビデンスを作り出すために,大企業は大金を投じて大規模臨床試験を企画実施するようになった。そして,その結果は相次いで国際学会などで発表され,それがlate breakingとして学会の大きな目玉ともなり,エビデンスと称され大々的に販売促進に利用されるという構図が一般化している。2006年の国際高血圧学会でもわが国からいくつかの大規模臨床試験の結果が発表されて話題になっているが,例外なくスポンサー企業の降圧薬が対照に比して優れているかのような結論を導き出している。しかも論文化されて十分な吟味がされていないにもかかわらずメディアを使って大勢の専門家に絶賛させるという手法を用いている。大規模臨床試験の結果が適正に評価されないまま広告欄に掲載され,実地医家の目にさらされることは好ましいことではない。

2.企業主導型大規模臨床試験の問題点

 大規模臨床試験も数年前までは,医師も被験者も試験薬か対照薬か隠されるという厳格な無作為二重盲検法が一般的であった。しかしPROBE法という,医師も被験者も服薬内容がわかったまま試験を実施する,簡易ではあるが作為的要因が入り込みやすい方法にとって代わられるようになってから,臨床試験の信頼性は大きく揺らぎ始めている。

 社運を賭けて,実施した大規模臨床試験で自社製品優位という結果が出れば問題はないが,そうなるとは限らない。もし自社製品が対照薬やプラセボと同等あるいは劣るといった場合の対応が問題である。このような時,企業のとる方策として,(1)試験に対する支援を途中で打ち切り,強引に中止に追い込む,(2)論文として発表させない,(3)統計を駆使した後ろ付け解析によって自社製品に有利な結果を探す,(4)二次エンドポイントの中から少しでも自社製品に有利なところを見つけ出し,その部分のみを派手に宣伝する,などの方策がとられる。最近の調査によると,大規模臨床試験でも,公的機関の主導によって企業からの経済的支援なしに行われた試験と,製薬企業の経済的支援を受けて行われた試験における試験薬が好ましいと発表される割合は,前者の39.5%に比較して,後者では65.4%と著しく高いという(JAMA2006:295:2270)。

3.最近の臨床試験の特徴

 そもそも最近の循環器病薬の臨床試験では,一次エンドポイントでは試験薬と比較薬との間に有意差が出にくくなっているのが特徴である。その最大の理由の一つは脳心血管合併症の発症がきわめて少なくなっていることであろう。いまや循環器疾患の診療においてはスタチン薬や抗血小板薬の処方が標準化され,しかも降圧目標値もより低く設定されているために,試験のアウトカムである心血管イベント発症は生じにくい状況にあるのである。その結果,一次,二次エンドポイントに有意差はつかなくなるために,試験実施者は,コンピュータを駆使して後ろ付けサブ解析を行い,なんとか試験薬優位の結論を導き出そうと工夫する。しかし実はエンドポイントの発症数が少ない中でのサブ解析結果は,偶然性がきわめて高くなることは認識しておくべきである。

 大規模臨床試験によるエビデンスはEBMの根幹をなすものではあるが,それが正しく評価され,実地医家に正確に伝えられてこそ生かされるのである。その意味では製薬企業,ジャーナリスト,そして専門医の責任はきわめて大きいといえよう。


桑島巌
略歴/1971年岩手医大卒。73年東京都養育院付属病院勤務。80年より2年間米国Ochner研究所留学。82年東京都老人医療センター循環器科医長,97年同部長を経て,2005年より現職。

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