医学界新聞

連載

2007.02.12

 

名郷直樹の研修センター長日記

37R

東京都の電話帳に興味を持つ

名郷直樹   地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院
市立伊東市民病院
横須賀市立うわまち病院
市立奈良病院臨床研修センター長


前回2715号

△月▲日

 ある研修医からの相談。来年の選択研修をどうしたらいいでしょう。初期2年の研修の間に,3か月の選択研修があるのだ。

「内科はどうせ3年目以降にもやるので,3年目以降にはやらないことをやったほうがいいでしょうか。でも将来は内科が基礎になると思うし。放射線や集中治療は,ぜひどこかで研修しておきたいと思っています。整形外科や耳鼻科の診察も身につけたい。皮膚科も他科コンサルトでいちばん多かったし,なんとか研修しておきたい。そう考えると,どうすればいいのか,まったく決まらないんです」

とにかく何でもやりたい。やる気があるのはいいことだ。でも,なんでそんなに何でもやりたいのか。自分自身のことを考えると,むしろ逆で,やらなくてすむことはなるべくやらないですませようとする。彼は若く,私は年をとった,ということか。でも,そんな年でもないし,昔からそうだった気がする。

「何でもいいんじゃないかと思うけど」

これじゃあ,ぜんぜん相談にならない。でも自分自身を振り返るに,自分自身がこれをやりたい,なんて思ったことは,たいがい恥ずかしいようなことだ。何であんなことやりたいと思っていたんだろう。そういうことばかり。大事なことは,そのとき全然興味のなかったことだったりする。5年経って,10年経って,何だ,あのときのあれはこうだったのだ,そんなことばかり。興味を持ったときにはもう手遅れ。だから,手遅れにならないように,興味のないことに興味を持て。

「ぜんぜんやりたくないことをやるっていうのはどうだろう」

研修医はますます意味がわからない。

「東京都の電話帳に興味ある? 東京都の電話帳は,なぜロートレアモンの詩よりも詩なのか。そんな詩があるのだけれど,知ってる?」

もうここまでくると,まったく意味不明。

「内科だろうが,放射線だろうが,耳鼻科だろうが,整形外科だろうか,皮膚科だろうが,それは全部同じだ。東京都の電話帳で言えば,並んでいる名前や電話番号,住所を覚えるという作業だ。そんな研修をするなら,一度ロートレアモンの詩を読んだほうがいいかもしれない。マルドロールの歌,っていう本が売られている。私も読んだことはないのだが,コーモリ傘とミシンの手術台の上の不意の出会い,なんて言っているらしい。それしか知らない。でも,それだけ聞けば十分だ。これはまさに医者の仕事と同じだ。これが詩だとしたら,医者の仕事だって同じくらい詩的なのだ。例えば,胃潰瘍とピロリ菌の塩酸の中での不意の出会い,味噌汁と漬物と高血圧の公民館での不意の出会い,というように」

これ以上やると,気が狂っていると思われる。が,懲りずに続ける。

「しかし,東京都の電話帳は,それより詩的なのだ。そんなふうに思える研修ができれば,何科をまわろうが,そんなことはどうでもいいのだ。循環器をローテート中だったっけ。そうしたら,今,心筋梗塞の患者さんを受け持っているだろう。今している研修は,コレステロールとタバコと血のかたまりの冠動脈の中での不意の出会いだ。確かにそれも重要な研修だ。医師にとってそれだけでも十分詩的だ。でも私がしてほしいのはそんな研修じゃない。その患者さんも,多分電話帳に載っているだろう。ほんの1行で。その1行の向こう側,不意に出会う「もの」としての患者さんでなく,ひとつの流れの中にある「こと」としての患者さん。流行の言葉で言えば,その電話帳の1行の背景のナラティブ,そんなことだ。同窓会の名簿でも見てごらん。東京都の電話帳とは違って見えるだろう。いろんなことを思い出すに違いない。でも医師である以上,見ず知らずの患者さんに向き合うのだ。その患者さんの背景には,あなたが同窓会名簿を見て思い出すような,同じ何かがつまっているのだ」

と,ここでようやく私も正気に戻る。こんなことは,私の頭の中だけにとどめておいたほうがよさそうだ。とても伝えられる自信がない。しかし,言うだけ言うか。でも,実際に研修医に言えたのは,いつも言っているような,お説教じみた,たったこれだけ。

「やりたいことがたくさんあるのはすばらしい。好きなように決めればいいんじゃないだろうか。ただ私が研修してほしいのはそういうことだけじゃないんだな。放射線に興味があって,整形外科に興味があって,皮膚科にも興味があって,そうした興味は,ぜひ持続させてくれ。ただそれに付け加えて,この患者さんに対する興味,あの患者さんに対する興味,そんなことがもっと重要なんだ」

次回につづく


名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。

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