医学界新聞

連載

2007.02.05

  〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第101回

本論休題
無保険社会に終止符を
打つための新たな動き

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2716号よりつづく

 1月8日,映画『ターミネーター』などの主演で知られるカリフォルニア州知事,アーノルド・シュワルツェネッガーが,同州における皆保険制創設を実現するための新政策を提案した。現在,何ら医療保険を有しない無保険者は,米国全体で約4700万人(国民の7人に1人)に達するが,カリフォルニア州は,「無保険社会」米国の中でも,実に州民の5人に1人(650万人)が無保険者と,最悪の状態にあるだけに,シュワルツェネッガーが無保険社会に終止符を打つ「ターミネーター」となることができるかどうか,全米の注目を集めている。

無保険社会の原因

 そもそも,米国の無保険社会がここまで深刻化した大元の原因は,医療保険を民間に委ね,市場原理の下で運営してきたことにあった。例えば,「医療損失(medical loss)」という言葉があるが,これは,保険会社が加入者から徴収した保険料のうちどれだけを被保険者の医療費に使ったかという割合を示す数字であり,保険業界においては,各企業の経営状況を示す重要な指標とされている。この医療損失が85を越えると,ウォール・ストリートから「経営に問題あり」の烙印を押されて株価が下がってしまうので,保険会社の経営者が株主の利益を守ろうとすると,「医療にできるだけ金を使わない」という戦略を採らざるを得ない。現在,連邦政府が運営する高齢者医療保険の医療損失が98であるのに対し,民間医療保険の医療損失の平均は81と言われている。サービスを受ける側にとって,「公」と「民」のどちらの保険が効率がよいかは,医療損失の数字一つを比較しただけでも一目瞭然だろう。

 というわけで,市場原理の下,米国の保険会社は,健常者を優先的に保険に加入させる「サクランボ摘み」(cherry picking:「いいとこ取り」の意)とか,医療サービスの質と量に厳しい制限を課す「利用審査」とか,患者の受療意欲を削ぐための「ハイ・デダクティブル」とか,あの手この手の手段を編み出して「医療に金を使わない」ことに全力を傾注しているが,それもこれも「医療損失」を減らすことが至上命題となっているからに他ならない。

無保険者ほど有病率が高い悲惨な状況

 こういった米保険会社の「困った」経営手法の数々の中でも,社会に無保険者が増え続けることに一番大きく寄与しているのは「サクランボ摘み」である。有病者の保険加入を拒否するという直接的な方法(註1)に加え,個人加入の保険料をべらぼうに高くするなどの間接的な方法(註2)で,意図的に有病者の保険加入を阻んでいるのである。

 かくして毎年無保険者が増え続けるだけでなく,無保険者ほど有病率が高いという,悲惨な状況が現出する事態となっているのであるが,90年代初めにクリントン政権が皆保険制創設に失敗したことが祟り,いま,連邦政府レベルで皆保険制創設が政策目標として語られる機会は皆無と言ってよく,「諦め」ムードが蔓延している。

 しかし,連邦政府レベルでは諦められているものの,最近,州政府レベルで無保険社会に終止符を打とうとする努力が全米に広がり始めている。今回のシュワルツェネッガー構想も,そういった「州レベルでの改革」という全米的なうねりの中で登場したものであるが,州レベルでの改革に先鞭をつけたのがマサチューセッツ州である。

マサチューセッツ州の試み

 マサチューセッツ州が07年度から新たに実施している皆保険制の眼目は,(1)医療保険に加入しない個人・事業主に対し,州税上の「ペナルティ」を課すという方法で保険加入を「義務化」したこと,(2)「超」低所得者用に州政府が運営する医療保険「メディケイド」とは別に,年収4万8000ドル未満(3人家族の場合)の「低・中所得者」が加入できる「公」的医療保険を創設したことである。新制度創設に尽力したのは,06年末まで知事であったミック・ロムニー(共和党)であるが,ロムニーは「皆保険制創設」という「勲章」をひっさげて,08年の大統領選への出馬を宣言したばかりである。

 ただ,マサチューセッツ州の場合,無保険者は州民10人に対しわずかに1人と,全米の中でも無保険者の割合は少ない。シュワルツェネッガー構想は,実は,マサチューセッツの新制度をモデルとして作られたものであるが,無保険率が倍近いだけに,マサチューセッツよりもはるかに巨額なコストが必要となることは避け得ない。120億ドル(約1兆4400億円)と見積もられるコストを補う一助として,シュワルツェネッガーは,「皆保険制になったら潤うはずだ」と,医師・病院の収入からそれぞれ2%,4%の「新税」を徴収することを提唱しているが,当然のことながらカリフォルニア医師会は即刻新税への反対を表明した。

翻って日本では……

 マサチューセッツやカリフォルニアの州レベルでの改革が成功するかどうか,いま全米が注視しているが,いわば,「民」の医療保険制度の失敗が作ってしまった無保険社会という「つけ」を,「公」の役割を増やすことで解消しようとしていると言ってよい。それに引き替え,日本では,米国民がうらやむような皆保険制を見事に成功させてきたというのに,いま,「医療費の公的給付抑制」とか「混合診療解禁(「自由診療」部分の大幅拡大)」とか,「公を減らして民を増やした」アメリカ型の制度に変えようと躍起になっているのだから,とても正気の沙汰とは思えない。

この項つづく


註1:有病者の保険加入を拒否することを州法で禁止している州もある。
註2:保険会社が,従業員に有病者が少ない大企業との大口契約を優先した結果,医療保険は,実質的に「健常者用の比較的低価格の保険」と「有病者用のべらぼうに高価格の保険」とに二極化してしまった。

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