医学界新聞

連載

2007.01.15

 

名郷直樹の研修センター長日記

36R

教えないことで教える

名郷直樹  地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院
市立伊東市民病院
横須賀市立うわまち病院
市立奈良病院臨床研修センター長


前回2710号

×□月▲×日

 師走,師が走る,という月である。当然のことながら,医師は走らなくてはいけない。年末年始だからといって休んではいられない。師走のもともとの意味がどうだったか知らないが,医師にとってはまさに師走である。かく言う私も,休みのない年末年始をずっと続けてきた。しかし今年はちょっと違うんだな。週2回の外来以外,医師をほとんど辞めてしまって,もう師走ではないのだ。働き始めて,初めての年末年始続きでの休みである。なんだ,私がしたいことのひとつは,休むことだったんだ。そんなことを初めて自覚する。今までよく働いてきたということだ。まあいいじゃないか,許してくれ。休み慣れていないので,ついつい言い訳したくなる。

 そんないまだかつてない年末年始を,いったいどうやって過ごそうか。やはりここは家族でしょう。大晦日は家族みんなで,そばでも食べながら,家族団らんで,と思っていたのだが,これがまたうまくいかない。子どもたちは,それぞれの友達とおでかけ,初詣だったり,部屋にこもってテレビだったり,ゲームだったり。リビングには誰もいない。残った妻はどうかといえば,二人でさびしくそばを食べ。一人より,二人の方がさびしいな。それでも,まだそばを一緒に食うところまではいい。そばを食べ終わり,一段落,さて,これから二人でややさびしい家族団らん,そこで妻が言う。別に正月だからって,いつもと一緒じゃない。眠いから先に寝るわ。まあ確かにそうなんだが。親孝行,したいときには親はなし,なんていうが,家族孝行,したいときに家族なしである。誰もこちらの都合なんかに合わせてはくれない。冷静に考えれば至極当然の状況で,そんな私の都合に合わせるようなことをしていたら,これまでのみんなの生活が成り立っていかなかったのである。当然の報いである。何でオレがせっかくうちにいるというのに,お前らはうちにいないんだ。そんな勝手が通るはずもない。ばかばかしいほど当たり前のこと。
 しかし,これも考えようである。よくぞここまで育ってくれた。これまでの家族に対する自立の促し(まあこれまで放っておいただけであるが)が浸透し,誰ももう休みの日に父親なんか必要としていない。よくぞ私の背中をみて,ぐれることもなく育ってくれた。むしろぐれるべきだったのかもしれないが。そんなことを書いて,自分の背中が実際のところどうだったのか。そんなことが気になる。見るにたえない背中だったのかもしれない。そもそもオレの背中なんて見ちゃいないのかもしれない。オレの背中ではなく,テレビやゲームを見ていただけかもしれない。あるいは他人の背中を見ていたりして。
 しかし,これも考えようである。これはとてもいいことだ。高校時代の担任が言っていたっけ。
 「わたしなんか,自分の子どもはほったらかしで,親はあっても子は育つ,だわ」
 自分が親になって十数年を経て,そんな言葉を思い出した。とにかくいろいろ思い出す。今日のこと,明日のことより,昨日のことばかり。振り返るだけが人生なのさ。すぐ横道にそれる。
 話を戻そう。やっぱりいい先生はいいこと言ってるな。親はあっても子は育つ。親はないほうがいいかもしれない。せめて害にならないように。そんな消極的な親でいいのか。そんなご意見もあろうかと思いますが,でも案外よかったのかもしれない。そんな時代だ。親がいるために虐待がある。親がいなければ虐待もない。親はなくとも子は育つ。それがむしろ基本。親があると,かえって害である。ないほうがいい面もある。さらに,害のある親だとしても,たいがいはそれを乗り越えて,それでも子どもは育つ。

 自分は,子どもたちにいったいどんな教育をしてきたのだろう。しかし,そもそも教育とは何か。だめだ,また悪い癖が出る。大晦日くらい,質問をやめたらどうか。
 教育なんていわなくても,子どもたちに何か伝えることはできたのかもしれない。少しはできた気がする。でも,教えることなんかできない。学ぶのは彼らだ。できるのは彼らが学ぶことだけ。なぜって,教えると学ばなくなるから。学ばなくなるようでは教えることはできない。教えられない中で学ぶこと。親はなくても子は育つ。あるいは教えられるという邪魔が入る中で自ら学ぶこと。親はあっても子は育つ。

 子どもにこうなってほしいと思うことはあるけれども,親の思うように育てたいなんて思うとろくなことはない。そうはいかないから。こうなってほしいとは思っても,そう育つかどうかは別問題,どう育っても大丈夫と受け入れられること。自分自身が,こうなりたいと思ってこうなったのでないにもかかわらず,そうした自分自身を受け入れることで,ここまで来たように。
 教えないことで教える。そんな高度な教育ができていたんじゃないか。それは父ちゃん,調子に乗りすぎた。子どもだって,そう言うかもしれない。もちろんほとんどすべて子どもたちのおかげというしかないのだが,ただ教えないことで教える以外に教える方法があっただろうか。親はあっても子は育つ。もちろんなくたって育つのだ。

 教えないことで教える。研修医教育にもぜひ応用したい。何だ,また仕事のことか。せっかくの休みなのに。しかしそうはいっても,大晦日の孤独なリビングで,テレビは行く年来る年だ。1年前,4月からの新しい仕事へ向け,不安と期待が入り混じった,なんとも言えない気分の中,それでも何か,浮き浮きしていて。1年たった今はどうか? 今年はどんな年になるのやら。振り返るのはこれくらいにして,たまには明日のことも考えたほうがいい。
 というわけで,明日,元旦の朝,昼過ぎまでゆっくり寝よう。

次回につづく


名郷直樹

1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。

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