医学界新聞

 

【特集】

もう一度「身体」から始めよう
介護に,リハに,医療に生かす「古武術の知」


 武術研究者・甲野善紀氏(註1)の活動が雑誌・テレビなどで大きく取り上げられる中,医療・福祉の世界でも,古武術などの日本古来の身体運用とその知に関心が高まっている。弊紙連載「古武術介護入門」にDVDによる解説を加えてまとめた単行本『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』を8月に上梓した介護福祉士・岡田慎一郎氏の活動を中心に,広がりを見せる“「身体」を問い直す試み”の展開を追った。


客観的身体から感覚的身体へ

 さる7月2日,岡田氏は,現場で使える福祉住環境コーディネーター育成をめざした実践塾(註2)にゲスト講師として参加した。主催する福井義幸氏と,同塾で定期的に「感覚的身体観」をテーマとした講習会を行っている理学療法士・北村啓氏の3名にお話をうかがった。(以下,ダイジェストで掲載)

身体の使い方を変えていくなかで感じる「何か」

――福井さんの開講している「福祉住環境コーディネーター実践塾」は,福祉住環境コーディネーターが対象ということですが,身体の見方を根本から見直す北村さん,古武術の身体技法を介護に取り入れた岡田さんと,ユニークな講師陣ですね。

福井 各論的なことや,マニュアル的なことは一切やっていませんからね。塾生には初回から,宿題として,飛び込みで福祉事務所に行ってもらうんですよ。そうすると,ほとんどの人が門前払いを体験する。現場っていうのはそういうこともあるんだ,というところからスタートしてもらってます。

 北村さんとは,僕が10年前に脊髄損傷を起こしてしまった後,最初のリハビリを担当してくれてからの付き合いですね。岡田さんとは,2005年9月2日付の『シルバー新報』に,「腰を痛めない介護技術」といった趣旨で講義されている記事を見たのがきっかけです。ただ実際,岡田さんにお会いしてみると,腰痛予防の話はどこかにいってしまって,もっと根本的なところからやろうということになりましたが。

岡田 腰痛になる,っていうのはどこか,身体の使い方に無理があるということだと思うんですが,介護の世界ではなぜか腰痛になったことを「よく働いた勲章」のように扱っているという話で盛り上がりましたね。

 僕は,福井さんが腰痛の問題に対して「腰回りの筋肉を鍛えて予防しよう」といった一般的な考えは持っておられなくて,最初から「感覚のコントロールの問題じゃないか」とおっしゃっていたのが印象的でした。

 実際,講習会でも福井さんは「目先の技術」をほとんど要求されませんでした。昨年くらいから,いろんなところから「古武術介護を教えてくれ」と招かれるようになりましたが,普通は皆さん,現場ですぐ使える介護技術を求めてくる。当たり前ですけど(笑)。

 しかし,福井さんの関心は,その先に広がる世界にあるんですよね。とにかく,身体の使い方を変えていくなかで感じる「何か」に焦点をあてて講義してくれ,介護技術は副産物でいいよ,というご依頼でした。これが,僕にとってはすごくうれしかったです。

福井 基本的な身体の使い方ができていない人は,いい仕事ができません。それは,どんな仕事でも同じです。それに,話を聞いてすぐわかって,明日から役に立つなんてものは,だいたいろくなもんじゃありませんよ(笑)。

「役に立つ」から一度離れる

北村 僕の講義(参照)は岡田さんと少し方向性は違いますが,いずれにしても,感覚的な身体運用の世界を学ぶ1つの意義は,「違う自分と出会う」ということです。そのためには実用性や有用性はいったん忘れたほうがいいんですよね。夏炉冬扇(かろとうせん)という言葉がありますが,役立たずのものを追求したほうが,違う自分に出会えるんです。

 もちろん,岡田さんの介護技術はいいものだと思うし,現場で役立ててもらえばいいんだけど,その「役に立つ」ということにあまりこだわっていると,ある壁が越えられないということですね。社会的有用性を軸に見ている限り,どうしても身体は「道具」になってしまいます。

 例えば,福井さんは脊髄損傷で,社会的には障害者ですけれど,見方を変えると,福井さんの麻痺側こそ「純粋な身体」だと思うんですよ。福井さん自身が意図したものではないのだけれど,福井さんの下半身はさまざまな価値観から自由だということです。私の知り合いで,尊敬する木彫彩漆工芸職人の方は,「身体がまったく動けなくて,意思表示ができない人こそが,国の宝です」って言っていますからね。

福井 じゃあ,僕の下半身は国宝だね(笑)。まあ,僕も「足が動いたらいいなあ」って思うことはありますよ。でも,精神的には何も不自由してません。

北村 社会的有用性っていうのは1つの見方に過ぎないんですが,それがすべてだと思ってしまうと不幸です。

入り口としての「古武術介護」

――実用性という観点が,本質的な身体との向き合い方を妨げる,といったお話の一方で岡田さんは「現場の介護に役立つものを」という視点を強調されています。

岡田 そうですね。講習会に来る人は,やはり何かを必要として参加されるわけで,やはり何か「答え」を提供しなくてはいけないのだと思います。その後,そこを足がかりに,だんだんと本質的な身体の使い方,感覚の世界に興味を持っていただければいいんじゃないでしょうか。

 そういうことでいうと,最近招かれたある老人病院での講習会はよかったなと思っています。そこでは,出向くといきなり患者さんのところに連れて行かれ,スタッフの方から「ちょっと,この患者さんを動かしてみてもらえませんか?」と言われたんですよ(笑)。

北村 すごい病院だね(笑)。

岡田 驚きました。その患者さんは認知症があって,片麻痺なんですが,唯一自由に動く片手だけで,看護師さんを殴ったりするらしいんですね。

 それを聞いて頭に浮かんだのは,北村さんの講義にもあった,「身体接触は基本的に暴力である。したがって技が必要となる」というお話でした。「持ち上げられている」という感触をできるだけ少なくすれば,患者さんも暴れないんじゃないかと考え,それを意識しながら抱えてみたところ,ほとんど抵抗が生じなかった。

 ここでおもしろかったのは,参加者の1人が,「この方がなんで暴力をふるっていたのかはじめてわかった気がした」とおっしゃったことでした。「自分たちは正しい技術を使っているから間違いはない。暴力をふるうこの方が悪い」と思っていたが,違うんじゃないか。暴力を振るわせてしまうような「何か」を,この方に感じさせてしまっていたのではないかと思った,というんですね。

 僕の技術を通して新たな発想の転換が生じた。これがうれしかったんです。だから,入り口としては具体的,技術的なものであっても,そういった感覚の変化につながっていくといいのかな,と思っています。

(後略。全文は弊社『訪問看護と介護』9月号に掲載)

註1)甲野善紀氏:武術研究者。他流儀や異分野との交流を重ねつつ,武術研究を行う。スポーツ関係をはじめ各界の専門家に影響を与えており,近年では岡田慎一郎氏の活動を中心に,介護・看護関係者からもその身体技法や術理に注目が集まっている。
註2)福祉住環境コーディネーター実践塾:地域住環境研究所(福井義幸代表)では,2005年4月から「福祉住環境コーディネーター実践塾」を開講している。「現場で使える人材育成」をテーマに,マニュアルを超えた人材育成をめざしている。


岡田慎一郎氏
介護福祉士。身体障害者,高齢者施設の介護職員を経て,介護講師に。従来の身体介助法に疑問を抱く中,武術研究者・甲野善紀氏が説く古武術の身体操法に感銘を受け,以後師事する。2005年の朝日カルチャーセンターでの講座開講以降,新聞,雑誌,テレビ等多くのメディアにおいて,独自の身体介助法と発想法を展開し,話題を集めている。岡田慎一郎氏公式サイト(URL=http://shinichiro-okada.com/)。

北村啓氏
七沢リハビリテーション病院脳血管センター理学療法士。武術研究者・甲野善紀氏との出会いをきっかけに,6年前から野口整体で知られる身体教育研究所にて野口裕之氏に師事し,その身体感覚の展開を臨床に応用し,より有効で新しい技術体系の開発に日々努めている。2002年より,身体感覚技法研究会公開研修会を開催し,身体感覚を呼び覚ます教育活動を行っている。

福井義幸氏
地域住環境研究所代表。熊谷組横浜支店建築部勤務後,1996年に受傷した脊髄損傷をきっかけに福祉住環境事業に取り組む。耐震補強など,建築分野で大きな業績を上げる一方,福祉住環境コーディネーター協会理事として,「福祉住環境コーディネーター実践塾」の運営をはじめとした後進の教育・指導に一層力を入れている。地域住環境研究所(URL=http://www16.plala.or.jp/jukankyo/)。