医学界新聞

 

《連載》

感染症臨床教育の充実をめざして
-学生から専門医まで

〈監修〉青木 眞(サクラ精機顧問)

第7回(最終回)
〈座談会〉

感染症臨床教育の未来

司会=青木 眞氏(監修者)

喜舎場朝和氏 (沖縄県立中部病院内科部長・感染症グループ)
遠藤和郎氏 (沖縄県立中部病院内科副部長・感染症グループ)
古川恵一氏 (聖路加国際病院内科感染症科医長・東大感染症内科非常勤講師)


2626号よりつづく

 本シリーズも最終回を迎えました。今回は,日本における臨床感染症教育の発祥地ともいうべき沖縄県立中部病院で,多くの感染症にかかわる医師を育ててこられた喜舎場朝和先生を交えて,実際に沖縄県立中部病院の研修の様子を聖路加国際病院の古川恵一先生に見学していただいた後に,シリーズの締めくくりの議論を行いました。

 沖縄県立中部病院の出身者はどうして感染症にかかわることが多いのか。何がその背景にあり,どのような教育がなされているのかについても伺いながら,日本の臨床感染症教育の将来展望を語り合いました。

(青木眞)


■初期感染症臨床教育のもたらすもの

「外」に出て初めてわかった 日本の感染症臨床の現状

青木 卒後1年目,2年目の人にとってのインパクトというのは一生を決めるぐらいに大きなものだと思うんです。そこに,喜舎場先生の緊張感みなぎる感染症教育があったというのは,大きなインパクトをもたらす事件だったろうと思います。

喜舎場 たまにシニアレジデントも来ますけれども,私が主に指導対象にしているのは卒後1年次と2年次です。しかも彼らはローテーションでクルクル入れ替わっていきます。1年次は2週間おきに,2年次は2か月ごとに替わります。彼らの特徴,利点は何かというと,要するに何も入っていないということです。そして頭がやわらかい。そこへいくと,私自身もそうですが,ある年代を経てきたら,とてもじゃないけど「洗脳」するのは無理に近い。

 だから,若い人にかかわるのは,非常に気をつかうといえば気をつかうんですけど,反応がピッピッと返ってくるというおもしろさがあります。むしろ指導する側の興味をつないでずっと成り立っているのは,彼らの若さと意欲のなせるわざでもあると思っています。

青木 遠藤先生,どうですか。1年目に研修医が回ってきて,喜舎場先生の感染症を学ぶということが,遠藤先生ご自身を含めた多くの感染症科医を生み出しているのだとすれば,何がそうさせているんでしょう。

遠藤 私も中部病院出身で,最初からここにいますから,何がほかと違うかというのはよくわからないまま初期研修を終わりました。中部病院に特別な感染症診療があるから,将来,感染症に興味を持つというよりも,ここを出ていって初めて,臨床感染症というものが世の中に存在していることに気づくのだと思います。中部病院で普通にやっている感染症診療が,外に出るとあたり前でないのだということに気がついて,もう一度,自分なりに勉強し直す。このような医師を,ある人は「傑出している」と見てくれるし,逆に嫌がる方もおられるかもしれません。

 そのようなことから,感染症以外を専門としていても,ある病院では感染症のコンサルタントにされたり,感染管理をさせられたりという例が多いんだと思います。そして,それがかなり身についてしまって,感染症の専門家としてやっていこうと考えた方もいるんじゃないかと思います。

青木 なるほど。ところで古川先生は,感染症がおもしろいと思われたのはアメリカに行かれてからとおっしゃいましたね(本紙2609号参照)。

古川 日本では受けることのできない指導が,米国では感染症の専門医によって行われていたということですね。臓器にとらわれないで,すべての領域の感染症の患者さんを診療対象として,起炎菌の検出を重要視して,その起炎菌にあった,的確な抗菌薬療法を非常に重要視している。しかも,非常にロジカルな使い方をしているということは,アメリカへ行く以前の研修でも,教育でも受けたことはありませんでした。このことには非常に感動し,興味を持ちました。感染症は,きちんとやれば治る病気だということ,そのことに魅力を強く感じて,専攻するようになったのです。

青木 ある意味,中部病院の卒業生と古川先生のご経験というのは,非常に似ていますよね。中部病院の外へ出て初めて,実は中部病院には非常に有用な感染症診療があったと気づく。古川先生は,米国へ行って初めて非常にいい感染症診療があったということに気づかれた。日本という国が,あまり感染症診療が十分でない環境にあったことを,先にあるいは後に対峙するかたちで知って,米国型の感染症診療に目覚める,あるいは惹かれていくわけです。

研修医と目線を合わせて議論

青木 ところで喜舎場先生は,他の病院で回診をされるとか,ティーチングにあたられるという機会はあまりありませんでしたか。

喜舎場 私は,あまりそういう機会は与えられませんでした。言い訳がましいですけれども,自分の研修医のことだけで精一杯なんですよね。

青木 古川先生はこの座談会の前に,喜舎場先生の回診にもつかれましたが,何か感じられたことはありますか。

古川 まず,研修医を含めて,毎日同じテーブルについて,座って十数人の受け持ちの患者さんの報告を聞いて,ディスカッションされていることに感銘を受けました。本当に患者さんを大事にして診ておられるということがよくわかりましたし,その内容も非常に教育的であると思います。また,喜舎場先生の回診を拝見して,一人ひとりの患者さんとのコミュニケーションを非常に大事にされていることがわかります。患者さんを診るのが好きでいらっしゃるなあと感じまして,私も患者さんを大事にしていきたいということを強く思わされました。

喜舎場 「感染症グループ」としてのチームの成り立ちを少し説明させてください。28年前私が赴任してきた当時のこの病院の内科は,米国式で,指導医と研修医によって構成されるいくつかの似たようなチームに分かれていました。各チームには,順番に従って入院患者が振り分けられましたので,チームの患者層は指導医の専門に関係のないケースミックスであったわけです。それが2,3年経った頃でしょうか,専門科別に分かれたほうがよいということになって,私の場合は公式に標榜するわけにはいきませんが,「感染症グループ」を名乗って,発熱患者,感染症患者を対象とするグループになったわけです。当初私はこの変換に反対したのですが,多数決で押し切られました。しかし専門科別に変わってみてつくづく感じました。患者はやたら多く,医学部を卒業したばかりの研修医の臨床能力はきわめて低く,指導医は極端に少なく,その指導医自身が自分の専門以外の患者を診るのが苦手とあっては,これはもう無理。ケースミックスチームはここでは理想であって現実的ではないと悟りました。同時にまた,せっかく感染症グループとなったからには,自分なりに,できる限り初期臨床感染症教育といえるものを実践することに専念する決心ができたわけです。

 「感染症グループ」では,ベッドサイド・ティーチング&ラーニングをレクチャー形式より重視しています。そしてベッドサイドといっても,いわゆるチャート回診に比重を置いて,患者についてプレゼンテーション・ディスカッションしながら,折にふれて患者に関連したミニレクチャーを加えるように努めています。それからベッドサイドを回っていくというような形でやっています。

古川 中部病院では,感染症科の回診に,ローテーションをしている1年目,2年目の先生がついてまわっています。これは非常によいシステムだと思います。聖路加国際病院では,一番下のレジデントは,各科さまざまな患者を受け持っており,感染症だけにフィックスしているというのは,4年目の感染症科をローテーションしているレジデント,ないしはフェローです。その人たちとは,毎日病棟の回診をしていますが,各病棟のレジデントとは,自分の関係する患者のみについてのディスカッションとなっており,関係していない患者については,学ぶ機会が少ないかもしれません。その点で,今日は考える機会になりました。

青木 古川先生は素晴らしい教育者なのですが,聖路加に入った研修医が全員古川先生に教わるわけじゃないんですよね。もちろん,教育回診とか,コンサルテーションでは教わるけれども,一定の時間,古川先生の下で学ぶチャンスがない。一方,喜舎場先生の場合には,短い期間ではありますが,全員が先生の空気の下に一度は入ります。

遠藤 何年医師をやっても,どの診療科に行っても,発熱の患者さんには比較的頻回にあたります。特に救急室では,1,2年目の研修医が主役になります。救急室の患者さんは,小児も含めて3分の1は,熱を主訴に来られています。発熱へのアプローチについて早いうちから基礎を身につけておくことは,研修医にとっては精神的に安定すると思います。また,理由もなくとんでもない抗菌薬を使ってしまうことも減ります。そして,最も大切なことですが,患者さんが危険な目に遭うことを避けることもできる。ですから,1,2年目に感染症科を回ってくるのはすごくいいですね。

 感染症が好きだからスタンダードな感染症診療を身につけるというのではなくて,外科に行こうが,小児科に行こうが,産婦人科に行こうが,基本的な感染症へのアプローチは,研修医全員ができていることが必要だと思います。もう少し具体的に言いますと,どの診療科の研修医でも,検体が得られればグラム染色をする。静注の抗菌薬を始める前には,すべての診療科で,ほぼ確実に血液培養を採る。これは,中部病院のすべての診療科で,あたり前のようにやられています。これらに基づいて最低限の基本的な発熱疾患へのアプローチと抗菌薬の選択ができるようになっているんじゃないかと思います。これらは,喜舎場先生が二十数年間積み上げられてきた賜物だと思います(図1)。

早期教育とコンサルテーションによるかかわりが標準化のために重要

青木 今,研修病院がだいぶ育ってきています。しかし,一般的に卒後研修で有名なところは,内科や総合内科はいいけれども,それ以外だと,例えば外科はどこかの大学の医局のままだったりしていて,病院全体が標準化された医療をやっているとは限らないというところが少なからずあります。

 その中で,聖路加国際病院や沖縄県立中部病院は,教育側のフルタイムのスタッフも,そこで育った生え抜きの人たちが多いわけです。感染症にかかわらず,臨床医学の基礎をガッチリ教えられた医師が,外科に行き,小児科へ行き,内科へ行っているわけです。そうすることで,病院全体の機能もとてもよくなっていくんですね。ある程度標準的な考え方が,共通認識として各科の間にあるからだと思います。当然,科と科の間の壁も少ないです。

 中部病院では外科や小児科の医師でも,喜舎場先生にコンサルテーションする時には,自分たちのグラム染色が終わっています。それは,彼らがまだ,自分は外科をやるか,小児科をやるかも決めていない1年目に,喜舎場先生の下で,グラム染色もやっていなければ発言も許されないようなカルチャーに触れたあとで,スペシャリティへ進んでいるからなんですよね。これを見ても,非常に早い時期の教育がいかに大事かがわかります。

遠藤 あえて,グラム染色は有用だという前提で話をすると,やっていない研修医を見つけたら注意といいますか,実はカミナリを落とします。あるいは,培養を採らないで抗菌薬の投与を始めた研修医を見たら,いちいち爆弾を落とす。

 これは,実は指導医にとってはすごく手間だし,疲れる話なんですけれども,喜舎場先生はそれをずっとやり続けておられます。

 やっていないのを見つかったら怒られるから仕方なくやるというのは,非常に次元の低い話かもしれません。しかし,先ほどのお話にもあったように研修医は真っ白ですから,真っ白な時には,叱るべきところを叱らないといけないのだと思います。いちいち叱ってくれる人がいるということは,やはり教育病院では重要だと思います。

青木 古川先生は,より国内の現状というのをご存知だと思います。聖路加でさえ,全員に古川先生の息がかからない可能性があるわけです。どうしたら,あるべき感染症教育に研修医が触れるようになるでしょう。

古川 中部病院のように,全員が感染症科を回るというようなシステムが当院でも作られることが,私としても望ましいやり方だと思っています。今後,私も働きかけたいと思ってはいるのですが,それがすぐにはできない現状ですから,レジデント全員に入職時のオリエンテーションで,抗菌薬の使い方などのプリントを渡して話をする時間を何回か持っています。そして,細菌検査室に全員がローテーションをして,そこでグラム染色,抗酸菌染色と培地に植える方法を実習してもらう時間を取って行っています。

 しかしそれを,実際の場で使うことを経験できるのは,おそらく内科と救急だけで,他の科はバラバラで徹底されていません。ただ,一部のレジデントは非常に興味を持ってやってくれますから,それをできるだけ持続させるようにしたいと思っています。

 それから,できるだけわれわれがコンサルテーションを通してかかわることですね。内科のコンサルテーションがいちばん多いのですが,他の科でもレジデントに,どんなことでもわからないことは聞いてもらうようにしています。それを通して教育したいと思っています。毎日,各科のレジデントから何らかのコンサルテーションや質問を受けています。

 ところで,私が中部病院で感心したのは,遠藤先生から分離菌の感染のデータを見せていただいたんですが,耐性菌が少ないことです。(表)

青木 そういうことも,やはりいい感染症の医師がいれば,これだけの結果がでるということですよね。

 沖縄県立中部病院の緑膿菌感受性(2004年)
 全分離菌
 院外院内ICUNICU
検体数310144514851
ピペラシリン96.590.698100
セフォペラゾン92.681.774.3100
セフタジジム97.187.477.7100
アズトレオナム94.286.778.5100
イミペネム96.894.287.2100
トブラマイシン96.595.698100
アミカシン97.499100100
院外とは救命救急センターおよび外来からの提出検体。院内とはICU,NICUを除く病棟からの提出検体。
感受性率(%)は感受性のみで算出した。
NCCLS2003に準拠。
イミペネム耐性株のうちメタロベータラクタマーゼ産生緑膿菌は1症例,2検体であった。

■研修に厳しさを

研修医を叱る理由

青木 私が喜舎場先生に初めてお会いした頃というのは,非常にユニークで厳しい教育者がたくさん中部病院におられました。

 そうした先生方に皆,死ぬほど叱られていたんですけれども,むしろ生き生きとそのユニークな師匠たちについていきましたよね。逆に最近は叱るどころの話じゃないんですね。おだてないとカンファレンスにも来てくれないような研修医が増えてきていますね。

遠藤 なぜ叱るかが大切だと思います。ていねいな言い方をすれば,「ちゃんとやらないと患者さんが悪くなるよ」,ズバリ言うと,「患者が死ぬよ!」ということが究極の理由ですね。

青木 研修医時代,私もよく聞いた言葉ですね。

遠藤 最近はこういうことを言う先生は少なくなりましたが,研修医時代はしばしば言われて過ごしました。だからこそ,必死になって食らいついたわけです。患者さんを悪くするわけにはいかないですから。

 スタッフサイドに立つようになると,叱ったり,呼び出したり,怒鳴りつけたりするのは,ものすごいエネルギーがいることだとわかりました。治療がうまいくいっていたとしても,いちいち呼び出して,「なぜこういうことはしちゃいけないか」という話をすることもあります。言われた側は,それを忘れないものです。

青木 そういう意味では,喜舎場先生はいつも怒っておられたから,エネルギーの塊みたいな方だったんですかね(笑)。

喜舎場 だから,今こういうふうにエネルギーを使い果たした状態です(笑)。

遠藤 いろいろな機会に中部病院の同窓生と会って話すと,必ず叱られた話が出るんですよね。いい意味で一生忘れないんでしょうね。

 新しい教育方針は,研修医を叱りにくい雰囲気になっています。尊重されるべきところもあると思いますが,私個人の実体験に基づいた話をすると,叱られることは決して悪いことではないと感じています。

バランスは非常に難しい

古川 厳しい先生は少なくなりましたし,難しいですね。中部病院出身の先生方のように,皆がそれぞれに乗り越えてくれればいいのですが,最近の若い人たちの様子を見ていると,それで落ち込んでしまったり,心配せざるを得ないようなケースもありますから,どういう指導をしたらいいか,いろいろ考えさせられることがあります。

喜舎場 研修というのは,厳しさと連動すべきものだと思います。やはり血肉にならなきゃいけないわけです。厳しさがなければ,血肉にならないだろうと思いますね。だから私はいつも研修医に言ってるんです。「あなたたちの利点は,若さと意欲。私にはそれが欠けているけれども,言わせてもらえば経験と知識がある。若さと意欲,経験と知識,この2つをいい意味で組み合わせて,よい医療をやっていこう」と。

 そういう状態をなるべく作るようにすると,苦しくて厳しい生活の中にも,楽しみが出てくる可能性があるだろうと思うんですよね。そのためにもう少し,厳しさに堪える。研修医って,そういうものだろう? という思いがあります。

青木 これは,労働時間のことなども入っての話なんですよね。今,研修医の労働時間が守られてるじゃないですか。さらに指導医は遠慮をしているのか,あるいは疲れているのか,あまり熱心に教えないということになると,名前のうえでは卒後研修制度が走ったけれども,その内実はスカスカだなんていうことに,なりかねません。叱る人がいるかいないか,研修が楽か楽でないか,怖いか怖くないかというようなことは,けっこう深い話なんですよね。古川先生は,怖いアテンディングの思い出はあまりないですか。

古川 米国にいた時には,緊張していましたね。プレゼンテーションや報告をする時には,決められた時間内に要領よく完璧にしなければいけないという緊張感がありましたので。厳しい指導といいますが,厳しいというのは,それだけその人を思っていることが裏づけにあるわけで,それだけ親身になっているから厳しくなる。そういうとらえ方をするべきだと思います。

「主治医感」の大切さ

喜舎場 例えば患者の発熱という病態,それを「なんとかしなきゃいかん」「困ったな,困ったな」と私自身が思う,それを研修医が共有しなきゃいけないわけです。

 未熟だから研修医なんですよね。こっちはベテランですから,それ以上に研修医が困らなければ嘘だと思うんですよ。ですから,その「困った」という気持ちをちゃんと持ちなさい,と指導しています。

 患者に対する責任感は非常に大事な感覚だと思うんですよね。私は「主治医感」と言っているんですけど,それを本人がいかに色濃く持っているかが第一のことであって,叱られたのどうのこうのというのは,二の次,三の次のことになってくるはずなんですよね。

■感染症臨床の将来展望

時代が感染症科を応援

青木 最後に感染症臨床教育の将来展望ということで,お話をいただきたいと思います。遠藤先生,先生の後輩たちは感染症に興味を持っている人たちが多くなってきていると思いますが,いかがですか?

遠藤 私が感染症をやろうと思ったのは,十数年前のことです。喜舎場先生に「感染症をやりたいと思うんですけど」と相談した時に,開口一番,「感染症じゃ食えないよ」と言われました。喜舎場先生は,もっと長く苦労されてきましたが,私が決心した十数年前でも,感染症科というのは,沖縄以外ではあまり認知されていませんでした。実はいまだに厚労省は標榜科として認めていません。当時は感染症以外にやりたいものがありませんでしたので,食らいついて今まで来ました。しかし,ここ数年をみてきて,今の若い医師たちに言えることは,「将来はとても明るい」ということです。なぜかというと,時代が僕らを応援してくれているからです。その理由は4つあります。

 1点目は,医療経済がものすごく厳しくなっていて,無駄な医療はできない時代になったということです。入院期間を短く,不要な検査や薬を減らして,治療したい抗菌薬を選ぶ時には高価な新薬に飛びつくのではなく,起炎菌に的を絞った有効で副作用が少なく,安価な薬剤を選ぶ能力が求められます。この厳しい医療経済というのが,感染症科にとって追い風になります。

 2点目として,新興・再興感染症が出現し,それらにある程度対応する能力を持った人が,期待されていることがあげられます。

 また,高齢者の増加および高度医療の提供に伴い,状態の悪い患者さん,つまり免疫不全者が増えています。こういう方の具合が悪くなる原因の多くは感染症です。このような患者さんに対応するためには,基本的な感染症診療に加えて,特別な診療能力が期待されます。これが第3点。

 そして4点目として,患者さんの安全な医療への期待はきわめて高くなっています。耐性菌の出現や院内感染の多発は,病院を危機にさらします。感染症医は院内感染対策の中心的な役割を担いますので,病院の危機管理においても不可欠の存在になります。

 そしてなにより幸いなことに,臨床感染症に興味を持っている若い医師が増えてきています。これから感染症を志す医師たちにとっては,とてもやりやすい環境が整ってきたのではないかと思います。

古川 感染症は,これからの日本でさらに向上することが最も求められている医療の1つの分野です。私は,感染症以外を専攻する医師にも,抗菌薬を適切に使用して感染症の治療をしていくことを,できる限り教育していきたいと思っています。さらには,臓器の感染に留まらず,感染症全体について抗菌薬の適正使用を行うことができて,それをほかの医師に指導できるような感染症専門医を育てるために,できる限りの力を尽くしていきたいと思います。

 感染症に興味を持つ医師も,学生も増えていますので,できるだけそういう人を応援して,微力ながら尽くしていきたいと思っています。

 中部病院は,日本でいちばん古くからこの教育をやってこられて,その成果を上げているということが今日はよくわかりました。中部病院に負けないように,聖路加国際病院でも私どもの特徴を生かして教育をやっていきたいと思っています。

「裾野」を広げる必要がある

青木 しかし現状では,古川先生のような教育者が何人もいないわけです。このままですと,古川先生も,喜舎場先生も燃え尽きてしまうんじゃないかと心配してしまいます。後を追いかける人が,ねずみ講のように増えていく必要がありますね。

喜舎場 おっしゃるとおりですね。とにかく,裾野がもっと広がっていかなければならない。今は,広がりはじめているのかなという段階で,まだ,将来が明るいと言うには,ちょっと早いと思います。

 臨床の現場に感染症医,あるいは抗菌薬の適正な使い方を指導できる医師がいるようになることを希望しますが,一方では抗菌薬は医師であれば誰でも使えるし,現に使っているわけですから,とにかくその適正使用を心がける医師が増えていくように裾野が広がっていけばいいなあと思うんです。

 私自身は,臨床感染症学というのがあるとするならば,その一番下の初期臨床感染症教育をやってきました。感染症というのは広くて,積んでいけば高い分野です(図2)。ですから,若い人たちに期待するところ大であると言いたいですね。

青木 古川先生,いかがですか。

古川 当院でも,専門研修制度を始めていますので,一般内科の研修を行ったあとで臨床感染症に興味のある医師に,感染症科フェローとして1年単位で研修する機会を与えています。また,臨床研究員という制度もあって,そういう人を,1年に1人,2人と採用しています。少しずつですが,感染症の専門研修を受ける人が増えています。臨床感染症の知識を広める指導者になってくれることを願っています。

遠藤 私ができることは,喜舎場先生がおっしゃったように,とにかく目の前にいる研修医に,臨床感染症の基礎を身につけさせることです。まずは足元の裾野が広がらないと,上にも伸びていかない,あるいは裾野が狭いのに上に伸びていくと,すぐに倒れるわけです。私にとっては,中部病院の目の前にいる研修医をきっちり育て上げていくことが具体的な一歩であると考えています。

 そういった中から,後期研修で感染症をやりたいという研修医が現れた時に感染症の刺客のように(笑)育てていくというのが,2つ目のステップです。

青木 よいお話がたくさん出ました。ありがとうございました。


喜舎場朝和氏
1966年京大卒。66-67年京大病院インターン。67-70年琉球政府立金武保養院(結核療養所)内科医師。70-76年米国で卒後臨床研修(フィラデルフィア総合病院インターン,D.C.総合病院内科レジデント,ルイビル大感染症フェロー)。76年12月より沖縄県立中部病院内科勤務,80年内科部長。74年米国内科専門医,76年米国感染症専門医。90年日本内科学会認定医,96年日本感染症学会専門医。

遠藤和郎氏
1986年慈恵医大卒。同年より沖縄県立中部病院で研修開始。研修終了後,国立療養所宮古南静園,沖縄県立宮古病院を経て,93年から中部病院の内科・感染症グループに勤務。内科一般,感染症診療および感染管理に従事。2004年より現職。

古川恵一氏
1978年新潟大卒。新潟市民病院内科を経て79-86年虎の門病院内科レジデント。86-88年カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)一般内科,感染症科クリニカルフェロー。帰国後,聖隷三方原病院総合診療内科ホスピス,ライフプランニングセンター,茅ヶ崎徳洲会総合病院感染症科部長を経て,94-95年ベスイスラエル病院(ニューヨーク)感染症科フェロー。96年より現職。

青木眞氏
1979年弘前大卒。米国感染症内科専門医。沖縄県立中部病院,米国ケンタッキー大,聖路加国際病院感染症科,国立国際医療センターエイズ治療・研究開発センター医療情報室長を経て,2000年よりサクラ精機学術顧問。フリーランスの感染症コンサルタントとして活躍している。著書に『レジデントのための感染症診療マニュアル』(医学書院)がある。