医学界新聞

 

連載(18)

    新医学教育学入門

教育者中心から  
学習者中心へ
  

学習者評価とプログラム評価

  
大西弘高 国際医学大学(マレーシア)・医学教育研究室上級講師


2551号よりつづく

異文化受容能力の教育

 今回はカリキュラム(教育プログラム)開発の視点から,プログラム評価について考えてみましょう。沖縄アジア医大では,琉球地方特有の文化や米国との特別な関係を活かしたカリキュラム開発を1つの目玉にしたいと考え,医学教育開発協力室の比嘉先生が,行動医学講座の金城先生とともに異文化受容能力(cross-cultural competency)の改善を目的としたカリキュラムの開発に着手しました。

比嘉 このテーマはカリキュラム開発が特に難しいものの1つだと感じています。文献にあたってみても,あまり目を惹くようなカリキュラムの紹介はされていませんでした。
金城 そうでしょうね。米国ならネイティブ・アメリカンとか,オーストラリアならアボリジニといった被差別的な立場にあった原住民との関わりで学習機会を見つけようという試みはいくつかありましたが,日本にはそういった問題で医師が対応を迫られることもあまりなかったでしょうし……。
比嘉 米国のようにさまざまな文化圏の人たちが政治,宗教,人種といった違いを越えて暮らしているところとは状況が違いますものね。
金城 異文化の問題って,行き着くところ,自分たちの文化や生活を見直し,固定観念を取り払うというところに最も意味があるのではないでしょうか。
比嘉 うーん,深い問題ですね。誰がどのように教えると,もっとも教育上のインパクトがあるのでしょう?
金城 例えば,戦争体験のある人たちと話し,米国による沖縄統治,日本という国家のあり方について問い直すようなディスカッションをするのはどうでしょうか。
比嘉 なるほど,私は最近,多くの学生が次々と米国留学を希望したりするので,日本の医療,沖縄の医療について学生がどのように考えているのかが気にかかっていたところです。
金城 何となく,教育者の一般的な固定観念として「日本国のために」というような右寄りの物言いが望ましくないという考え方が強かったのではないかと感じてきました。でも,それこそ文化を変な方向に片寄らせていると言えなくもありません。
比嘉 イメージが掴めてきました。では,(1)日本とは,(2)沖縄とは,という2つの柱で自分たちの文化や生活を見直し,教育方法には体験談を聞きにいく体験型学習とディスカッションを用い,評価方法にはポートフォリオを用いることにしましょう。文献では低学年の時に学習してそれっきりという大学がほとんどでしたが,1年で大学に染まっていないうちに深く学び,4年では1年で学んだことを再度復習し,6年で選択実習によりさらに深めることも可能というような流れにしたいと思います。
金城 これがなぜ「異文化受容能力のカリキュラムなのか」と不思議に思う教員もいるかもしれませんが,医師になった時,患者とコミュニケーションが取れない人がいる1つの要因は,さまざまな意味で患者との文化差が大きすぎるということではないかなと思うのです。とにかく,健康問題以外のことについて,一般の人たちの話に耳を傾けるという体験をするだけでも,後々の異文化受容能力は伸びると思いますよ。
比嘉 伸びたことを客観的評価によって示すことは可能でしょうか?
金城 例えば,今の2-3年生には,4年の時のカリキュラムだけを導入し,今の1年生には早速カリキュラムを導入してみるとします。3年後に今の1年生が4年になったときに書いたレポートと,今の2-3年が4年になった時のレポートの内容を比較すれば,教育機会が2回の場合と1回だけの場合の比較ができますよね。
比嘉 それなら,カリキュラム委員長もOKをくれそうです。いろいろとアイデアをいただきありがとうございました。

プログラム評価の視点

 新しいカリキュラムの導入を考慮する際,そのカリキュラムが本当に教育効果を上げたのかを確認し,今後もそのカリキュラムを存続させたいと考えるのが常でしょう。では,そのカリキュラムの教育効果をどうやって確認すればいいのでしょうか。時に見かける最も原始的な方法は,「このカリキュラムに対する学生からの評判はよかったようだ」「2-3人の学生からこのカリキュラムを続けてほしいと言われた」という一般的評判やエピソードのレベルに留まるプログラム評価です。公式な評価としてはかなり不十分であると言わざるを得ません。
 次いで,学生の成績を見渡す方法があります。例えば,医師国家試験の大学別合格率を比較するというのは,1つの非常に明確な指標です。国家試験合格率という指標は信頼性も高いですが,今回テーマとなった「異文化受容能力」というような側面を測定できるとは考えにくいでしょう。
 学生にアンケートを配布して,このプログラムがよかったかどうかを尋ねるというのはこういった新しいプログラムの評価によく利用される方法ですが,学生の満足度を尋ねているだけと批判されることもあります。また,比較の対象がないため,「目新しいからよい」というような主観的な判断のみでプログラムの良悪が判断される危険性もあります。では,プログラム評価を系統的に行なうにはどうすればいいでしょうか。
 まず,プログラムを評価する方法は,学習者の成績をまとめるだけではないということは理解したほうがよいでしょう。授業の評価については,成績の改善だけでなく学生から講師を評価する視点も重要です。卒後臨床研修プログラムに関しては,図1のようにさらにさまざまな視点からの評価が可能になります。
 評価のレベル設定については,Kirkpatrickによる4段階の方法が便利です(図2)。ただ,異文化受容能力については,実際の行動変容を捉えることはかなり難しく,社会的なアウトカムに影響したかを知ることはほとんど不可能だと思われます。
 次いで,評価デザインの問題があります(表1)。上の例では学年の違いにより受けるカリキュラムの回数が違う点を利用し,この2群を比較しようとしており,一種の準実験と言えます。ただ,入学年次が違う学年同士を比較するため,近年のように1年毎に医学教育の内容に対する学生の注目度が上がっていると考えるなら,後の学年の方が深い学習をしていても,それがカリキュラムの違いによるものかどうか結論づけにくいという問題は起こるでしょう。
 表1を見ると真の実験デザインに惹かれる人が多いでしょうが,実際には薬剤効果判定の偽薬にあたるものが準備しにくい,教える側が教育プログラムの違いを意識してしまい心理的影響が生じるなど,克服しにくい問題が多いのです。それだけに,より弱いデザインが敢えて選択されることも少なくありません。それらからいかに偏りのない結論を導き出すかが,教育評価研究の最も難しい点と言えるでしょう。
 評価に用いる情報源により,主観的データと客観的データ,質的データと量的データに分けることもできます(表2)。一見,客観的データ,量的データのほうが確実な結論を導きそうな印象もありますが,医師国家試験による各大学のカリキュラム評価のように,ある偏った一面しか評価できない危険性もあります。よって,これらのバランスを上手く計画することが重要です。
 次回は,医師免許に関わる試験など客観的評価の最新理論についてご紹介したいと思います。

*今回の記事中に登場する人物,施設は架空のものです。