医学界新聞

 

〔座談会〕21世紀先端医学の行方


永田和宏氏
京都大学再生医科学
研究所教授
 
宮坂昌之氏
大阪大学大学院教授
 
宮坂信之氏
東京医科歯科大学教授


 先端医学と呼ばれる分野では,分子生物学,細胞生物学,遺伝学,生化学,免疫学などを駆使した種々の新しい手法が用いられ,新しい知識が日々生み出されている。これに伴い用語はますます複雑化し,その種類も飛躍的に増加している。個々の単語の理解なしに医科学について語ることができないのと同様に,専門用語を理解せずに新しい学問や概念を正確に理解することはできない。
 そこで本号では,先ごろ刊行された『分子生物学・免疫学キーワード辞典 第2版』(医学書院)の編集に当られた3氏に,初版以後10年の推移をうかがうとともに,「新しいキーワード辞典」のあるべき姿をお聞きした。


■20世紀から21世紀に向けて

アンビバレンツな思いが

──まず最初に,第2版ができた時の感想をうかがいたいと思います。
永田 初版以来10年の間に,新しい言葉が爆発的に増えたので,最初から大変な作業になると想像していましたが,はじめてみると実際その通りで,最後の段階になってもまだ抜けている言葉があったのではないかというのが実感です。
 ただその間,常にアンビバレントな気持ちがありました。1つには免疫学には多くのターミノロジーがあって,それがわからないと,おもしろいストーリーがあるにもかかわらず全体がぼやけてしまうようなところがあるので,言葉を簡単に説明した本があれば便利だろうと思っていました。
 同時に「免疫選択」「免疫寛容」「免疫記憶」にしても,免疫学は単語の集合体ではなく,生物が成長過程においておりなす複雑なプロセスの学問ですから,単語をいくら説明しても,免疫学のおもしろいところはわかってもらえないと思っていました。
 つまり一方では,言葉を簡単に説明した本があれば免疫学を簡単に理解してもらうにはよいかもしれないけれども,反面では言葉がわかることによってかえって免疫学のおもしろさが薄れてしまうのではないかという思いもありました。「早く作らなければいけない」という気持ちと同時に,「早く作ってもよいのか」という思いがありました。しかし,免疫学のように多細胞体によって初めて形成し得る複雑な生物学的プロセスを記述し,解説するところまではいけないので,必然的に役割は限られると思います。最もアップ・トゥ・デートな言葉を集めて,できるだけわかりやすく説明したものができてうれしいというのが正直な感想です。
──最先端の「キーワード辞典」ですから,凝縮したい部分と広げたい部分という互いに矛盾した要素があったかと思います。特に永田先生が担当された分子生物学・細胞生物学の分野は,遺伝子からゲノムまで広がりをもって出てきたと思いますが。
永田 キーワードというのはシジフォスのようなもので,どの程度までカバーできているかということは,作った側としてはいつも気になるところです。
 これはすべての辞書について言える宿命的なものですが,「何が落ちて,何が入っているか」は非常に重要です。内容は書き手に依存するわけですが,われわれ編集に携わる者にはそこが問われるわけです。
 例えば,第1版が発刊された時のトピックスは,PCRでしたが,今回は「RNAi」です。第2版の編集を始めたのが5年前ですが,当時はこの言葉はありませんでした。
 ことほど左様に,言葉というのはその時どきに出てくるわけで,そういうダイナミックな言葉の戦闘のようなものがあって,作る側はそれがどういうふうに動いていくかということが実感できる場にいるわけです。ですから今回も,何が入っていないかが気になってしまいますが,これは編集の醍醐味であると同時に,編者の業(ごう)としか言いようがないように思います。

「木を見て森を見ず」か,「言葉の森」の中の迷子か

──基礎免疫と臨床免疫の両方をご担当なさっている宮坂信之先生は,教育する立場にもおられますがいかがでしょうか。
宮坂(信) 第2版が出てよかったと思うのは,現在この種のよい辞書があまりないことです。臨床にいる人たちは,いわゆる「言葉の森」の中で迷子になっています。
 ここ10-20年間に,疾患の病態の解析,診断,治療とあらゆる面で,免疫学・分子生物学が怒涛のように押し寄せて,その中で翻弄されて溺れかけ,迷子になってしまっているのが実状です。
 現代の研修医たちの世代は「マニュアル世代」や「マンガ世代」と言われ,簡単に書いてあるものしか読もうとしません。そういう人たちが,この新しい辞書を使って「言葉の森」の中から自力で出ることができるという点で意味があると思います。
永田 初版が出た時に,「木を見て森を見ず」という比喩を話しましたが,道に迷う迷い方には2つあるでしょう。森に入って迷う場合と,森に入る入り方さえわからないという迷い方です。
 そういう点からは,現在も分子生物学・細胞生物学・免疫学それぞれの「森」にさえ入れないという状況にあると思います。ですから「このへんから入ってください」という意味で,よいきっかけになるのではないでしょうか。

サイエンスのおもしろさ

宮坂(昌) そういう観点から逆に心配なことは,そういう人たちがこれを見て,「簡単にわかった」と思ってしまうことです。
 目の前の局面は理解できても,免疫学や細胞生物学の本当のおもしろさをわかってもらうことを阻害する面もあります。
永田 しかし,若い人たちには導入としてはよいのではないでしょうか。
 私が学生にいつも言うことは,「なぜサイエンスをやるのか」ということです。それは,自分と関係のないことに対する興味です。自分の専門のことをやるのはおもしろいに決まっていますが,他人のしていることに興味を持てるかどうか。これがサイエンスを研究する喜びだと思います。
 ところが自分の専門外については,まったくわからないし,どこから入ったらよいのかもわからない。そういう点で,学生に自分の専門以外のサイエンスに興味を持ってもらうためには,導入部分で役立つのではないかと思います。自分の知らない言葉に入って,別の分野に進んでいく。そのための足場になる本だと思います。
宮坂(昌) この本がその助けとなれば,それに越したことはありません。
宮坂(信) ターミノロジーがきちんと理解できないと,臨床面においても共通の土俵に乗れませんから,永田先生がおっしゃったように,同じ土俵に乗る取っ掛かりとしてはよいのではないかと思います。
宮坂(昌) 第2版では図表をたくさん入れたことも,「マニュアル世代」の人たちにとってわかりやすいでしょうね。

現在進行形の辞典

永田 初版と大きく異なる点は,枚数にメリハリをつけて重要な項目については枚数が大幅に増えたことで,単に語句の解説だけでなく,一種の総説のようになっていることです。よく読んで味わってみると,筆者がどう考えているかということもわかるようになっていますね。
宮坂(昌) そうですね。前版は記述そのものが短いものが多かったけれども,今回はかなり包括的な説明が多いですね。
永田 「事典」的な要素がふんだんに盛り込まれていますね。
──執筆者もご苦労されたと思いますが,編者の方々は原稿を査読し,わかりやすい文体で,明快さを持ち,均一の形で揃える作業を数年掛かりでなさったわけですが,何か印象に残っていることはありますか。
永田 10年経っても変わらない記述を求められる場合もあります。ところが第2版を査読して感じたことは,書き換えざるを得なくなる言葉が選ばれているということです。進展の激しい言葉を選んでいるという実感がありました。
宮坂(信) もう1つは,言葉の意味あいが,時代とともに変ってきているということがあります。意味が変わってきた古い言葉もありますね。
永田 そういう意味では,オーソライズされた辞典とは違って,いつも現在進行形の辞典だという気がします。
宮坂(昌) もちろん辞書にはフォーマットがあって,だいたい書き方が決まっています。なるべくそれにあわせて直した部分もありましたが,私はもとの記述をなるべく生かそうと思いました。「こういうふうに考えたいのだ」という思い入れをもって書いてあるようなところでは,なるべくそれを残すようにしました。
 スペキュレーションが多くて,先までいきすぎた部分は削ったものもあります。しかし,普通の辞書では省かれるかもしれないけれども,それを入れたほうがおもしろいだろう,これがあるほうがよくわかるかもしれないという用語については,わざと省かずに入れたつもりです。
永田 それから,重複をあまり恐れなかったということも大きな特徴ですね。ある語に「それについてはこの語を参照」というようにすると,コンサイスにはなるけれども使う側は大変です。ですから,バックグラウンドを含めて,そこの項目だけ読んでも一応理解できる形になったと思います。

言葉が分野を創る

──「ストレスタンパク質」のように,別の名で表記される用語もあり,未知の読者にとって,他と同一のものであるかどうか即座にわからない用語もあります。一方で多数の英語の略語が氾濫していますね。
永田 辞書に限ったことではありませんが,「言葉が分野を創っていく」ということがあります。
 例えば「分子シャペロン」という言葉が出た時に,1つの分野が確立しました。つまり,HSPといっていた時は,個々バラバラであったものが,シャペロンという言葉が出ることによってフォールディング(folding)を助ける,ある一群のタンパク質があるという概念ができて,個々別々の現象だったものが1つの見方で統一できるようになりました。これはやはり,言葉の持っている力だと思います。
 もともと,「ヌクレオソーム」の機能を称して「シャペロン」と呼んだのですが,それをまったく新しく,HSPなど一群のタンパクを「シャペロン」という言葉で呼んだのです。介添え役ですから,他のタンパクのフォールディングを助けて,それがちゃんとフォールディングしたら自分は身を引くというようなタンパクです。それを「シャペロン」と呼ぼうということになったら,「これもシャペロンにあてはまる。これもそうだ」とバラバラだったものがどんどん見えてきて,統合され,その分野が確立したわけです。やはり,「概念を創る」ということは大事なことで,概念というのは言葉に由来するものです。
 われわれの分野でいうと,「品質管理機構」という言葉があります。タンパク質の品質管理機構です。それが出てきて,それとのからみで「フォールディング異常病」という概念も出てきた。そして,いままでは個々の神経変性疾患とか,プリオン病とか言っていたものが「フォールディング異常病」という概念で理解できるようになり,雑多だった現象が統一して見えるようになる。
 これは言葉の魔力でもあるし,言葉をきちんと規定することが1つの分野を創ることだと思いますね。

新ワードに見る時代の推移

──「CD」の分類表が巻末に入りましたが,あれも雑多な名称を統一する試みですが,人泣かせではないでしょうか。
宮坂(昌) 「CD分類」は白血球に限らず,細胞表面や分化抗原を番号化したものです。細胞内のタンパク質にも番号をつけようとしている人もいますが,もっとわからなくなってしまうかもしれませんね。
 「ケモカイン(chemokine)」などは,わずか数年の間に30ぐらいまであります。ケモカインレセプターもそうです。いずれも番号制になっています。しかし,「サイトカイン」でも「ケモカイン」もそうですが,そういう言葉ができるとともに,学問が飛躍的に広がりました。
宮坂(信) そうですね。うまい言葉を創ったものだと思います。
──そういう意味では,免疫学の領域は特に難しいのではないでしょうか。
宮坂(信) それはお互いに言えることだと思います。おそらく,同じ医学・生物学の領域でも,少し分野が変わっただけで,使っている意味あいが違うことがあります。しかしこの辞典では,異分野の方同士が1つに集まることができたわけです。分子生物学と免疫学が組み合わされただけでも,よいコンビネーションだと思います。

文化の総体の中に組み込まれたサイエンス

永田 1990年代に多田富雄先生がお書きになった『免疫の意味論』が大仏次郎賞を受賞されましたが,あれは画期的な出来事だったと言えます。つまり,サイエンスの世界からはみ出して,文化の中に溶け込んだのです。あの中に,「自己」の問題も「非自己」の問題も出てきます。文科系の人たちは,自分たちの専売特許だと思っていた「自己」「非自己」という問題が,実はサイエンスの最も大きな問題だということを認識したわけです。逆にいうと,サイエンスは今や文化の総体の中に組み込まれている概念だと思いますね。
 この辞典の初版が出た時には「基礎から臨床につなぐ」というコンセプトがあったと思います。しかし,今やもっと大きな意味で,日本の文化総体を理解するためには,サイエンスの言葉を知ることが不可欠ではないかと思います。少し大げさに言えば,文化の総体を知るためにも,こうした辞典が果すべき役割は大きいと思います。
 多田先生のご本は,文科系の研究者や一般の人も多数読んでいました。評論家もコメントして,大変多くの人があの本に言及していました。しかし,彼らが本当に免疫のおもしろさを理解したかとなると,いささか疑問を抱かざるを得ません。
 「自己と非自己」に象徴されるように,言葉の表面のおもしろさにとどまっているところがあると思います。やはり多くの人に免疫学の,ひいてはサイエンスの本当のおもしろさを知ってほしいと思いますね。
宮坂(昌) 先ほど永田先生が言われたように,そこから何かがはじまっていくかもしれませんし,またそれを期待したいですね。
永田 特にこの頃は,新聞などに「再生医学」などという言葉が頻繁に出てきます。ちょっとしたコメントは出ますが,あれだけ読んでもわからないと思います。一般的にもある意味でサイエンスのターミノロジーを知らないと,文化の総体が理解できない時代になりつつあると思います。

■21世紀を迎えた先端医学

「分子同士の相互作用」と「言葉同士の相互作用」

永田 ところで,今年はワトソン・クリックのDNA構造発見から,ちょうど50年が経ちました。また,ヒトゲノムプロジェクトがほぼ終わり,遺伝子の総数はほぼ2万3千であるということも明らかになりました。
 そういう時点から振り返ってみますと,これまでは,新しい遺伝子を発見するところに「ロマン」を感じていたわけです。
 しかし,これからの先端医学について思いを巡らせてみますと,当然まだわからないこともたくさんありますが,今後のサイエンスの主たるターゲットは「分子と分子の相互作用」ではないかと思います。つまり,お互いがどんな相互作用をしながら機能を発揮していくかということです。
 それをこの辞典の文脈から言うと,「言葉と言葉の相互作用」がどうなっているかということになると思います。この語とこの語はどんなインタラクションをして,どういう相互関係になっているのかということが,今回の辞典ではクローズアップされてきたような気がします。
 先ほど話題になった,「同義語の多さ」という問題や「重複」という問題も含めて,この言葉とこの言葉と密接に関連している。「見よ」項目などが多く入ってきて,言葉が孤立しておらず,それぞれの関係の中でおさまっているという感じが強くしました。新版に150頁ものインデックスを設け,英和・和英どちらからも引けるようにしたのもそのためです。
 全体の構造の中で,その語がどこにおさまるのかをきちんと規定できるようでないと,これからは意味がなくなってくると思います。
宮坂(昌) 言葉と言葉をつないで,「こことここのストーリーがつながっている」とわからせるためにはよかったと思います。非常に大切なことだと思いますね。

「引く」だけでなく,「読む楽しみ」もある

──書物としての形態をもった辞典と,パブメド(PubMed)などを比較した場合,本型の辞書に未来はあるでしょうか。
宮坂(昌) この本をCD-ROMにすれば,辞書ならアステで引くところをクリックで次々飛んでいく,いわゆるサーフィンができるようになるので,もっと便利になるでしょう。ただ,インターネットでパブメドを使って文献検索をしたり,知りたいことを調べた後で,必要なものはやはりプリントアウトしていますよ。
宮坂(信) 決してペーパーレスにはできないですよ。ペーパーにはペーパーのよさがあります。
宮坂(昌) 本の形ですと,索引を見ながら自分でwebをつないでいかなければならないけれども,コンピュータならクリックだけでweb化できます。
宮坂(信) ただ,パブメドというのは基本的に論文をサーチしていくものですね。その論文を最初から最後まで読まないとある程度の理解に達しない。
 しかし本の場合は一目瞭然で,コンパクトにディスクリプション(description)できるわけですから,そういう意味で層別化はきちんとできていますね。
永田 私もそう思います。機能性の面だけでいえばCD-ROMが便利ですが,それは機能の問題です。
 しかし一方では,めくっていって「あれ?」と目にとまるものがあります。そういう意味では,辞書というのはただ単に「引く」だけではなく,「読む楽しみ」もありますね。CD-ROMになると,おそらくその楽しみはなくなるでしょう。

ノーベル賞受賞者ブレンナー

──「読む楽しみ」と言えば,去年のノーベル生理学医学賞がシドニー・ブレンナー(Sydney Brenner)でしたが,ちょうど辞典の編集が押し迫った時にその発表がありました。彼の研究は線虫ですが,そのニュースが入ってきて感動しました。そういう歴史的なおもしろさが,この辞書を読んでいて感じられます。
宮坂(昌) 分子生物学の分野でも,「ファンクショナル・ジェノミクス(functional genomics)」というものを語る時に絶対に抜かすことができないのが線虫,つまりシー・エレガンス(C. elegans)です。
 先ほどRNAiの話が出ましたが,あれはまさにシー・エレガンスでできたものです。それが哺乳類にも使えるようになった。この辞書の「シー・エレガンス」のところにシドニー・ブレンナーの話も記載してあって,ホッとしたのですが。
──ブレンナーは,宮坂昌之先生がバーゼル免疫研究所に入る時の試験委員だったとお聞きしていますが。
宮坂(昌) 「外部評価委員」と言うわれわれ研究員の業績を評価する人でした。その時,シー・エレガンスの話をしていましたのでよく覚えています。
 特定の細胞が特定の場所に移っていく,いわゆる細胞系譜といって,この細胞からは何ができ,こちらからは何ができるということを詳細に調べ,シー・エレガンスの個体の全系譜が作れるはずだという話をしていました。私は「すごいことを考える人だな」と思いました。分子生物学者のブレンナーがもうゲノムから離れて,細胞や細胞間相互作用,いわゆる個体としてのインテグリティーというところへ頭がいっているのは大変印象的でしたね。

「専門分化」と「共通言語」

永田 それと関係して言えば,分子生物学のターミノロジーは細胞生物学とは少し違うのではないかと思うところがあります。やはり基本は細胞生物学ですね。分子生物学は,この本の初版の時には「いま起きつつある学問」という形で,読者を獲得するにはよかったのですけれども。
宮坂(昌) 免疫学は当初は細胞生物学とはかなり離れていた。ところが,細胞生物学も免疫学も進歩して,実は細胞生物学のプリンシプルをそのまま免疫学が使っていることがわかってきた。ですから,いま免疫学をやっている人は,その根本に細胞生物学があることを知ってはいるのですが,10年前までは免疫学はひとり歩きしていた。
永田 免疫学は頑固だから,他を認めようとしないの(笑)。「非自己」を認めず,「寛容」ではない(笑)。
宮坂(昌) いや,そんなことはない(笑)。
永田 何といっても細胞生物学が基本です。
宮坂(昌) そうでしょうね。個体の発生はそこから始まっているわけだからね。
永田 すべてをつなぐ共通の言葉が分子生物学の言葉ですね。
宮坂(昌) この辞典は,「免疫学には難解な言葉が多い,わかりにくい」ということから始まってきたのですよね。当時の免疫学はともかくワーッと広がり,概念が先に進んだ。「こんなにおもしろい現象がある」とそこに言葉をつけていったから,きちんとしたディスクリプションがあまりない。文字面だけの言葉みたいなものがかなりたくさんあったような気がしますね。
宮坂(信) それに,ノーメンクレイチャー(nomenclature)も混乱していた。
宮坂(昌) そこからだんだん遺伝子の裏づけがついてきて,「考えはそうかもしれないけれども,中身がありません」という現象がいくつか分子レベルでわかってきたわけです。

「視覚化」とプレゼンテーション

宮坂(昌) 技術的なことからいくと,個々の図は,執筆者に提供してもらったものがほとんどそのまま載っています。
 わかりやすい形にするためには,メディカル・イラストレーターやサイエンティフィック・イラストレーターにお願いして,統一した形での図が入るとよいですね。
宮坂(信) それはわが国全般に言える問題点で,きちんと描ける専門的なメディカル・イラストレーターがあまりいません。
 それから,日本人はプレゼンテーションが下手ですね。色彩で見せたり,三次元画像や動画で見せるのが苦手なのと,日本によいイラストレーターがいないのは,たぶん同じような意味合いがあると思います。
宮坂(昌) そんなことはないと思う。例えばアニメーションなどは,日本は圧倒的に強いでしょう。
宮坂(信) しかし,科学の分野にはほとんどいませんね。
宮坂(昌) それは,科学の分野ではそういうことがあまり重要だと思われてこなかったからでしょうね。
 しかし,科学を図示化するのは大事な仕事ですね。これは教育の中でものすごく大きな要素です。いかに物事を視覚化して,簡潔に相手に伝えるか。
宮坂(昌) 先ほど,「言葉が分野を創る」という話で,シャペロンのことが話題に出ましたが,そういうことを一語で言い表すことで1つのブレークスルーが出てくるのと同様,図を描くことで「あ,そうなんだ!」というブレークスルーが出てくることもあります。よいイラストは,先ほどのディスクリプションと同じぐらい重要でしょう。
永田 その通りですね。内容がわかっていないと図というのは描けません。そして,いろいろなものをそこに入れ込んでいっても駄目になってしまうから,必要なものだけをそこに置いて,それぞれの関係を示すことが必要です。読むほうも文章だけでは理解できないことが,図を見ることでパッと理解できることがあります。
宮坂(昌) 個々の人は,全体のコンテクストを知らずに描かざるを得ないわけで,そこに難しいところがあるでしょうね。

用語の表記と日本語

──編集作業で大変だったのは,遺伝子の表記と遺伝子産物の表記です。イタリックにするとどうか,最初は大文字か,あるいはすべて小文字にするというような問題が多かったですね。
宮坂(昌) 編集側としては大変でした。
宮坂(信) すべてに整合性をもって統一しなければいけませんが,執筆者は少しずつ違って書いてきます。専門の人が書いていながら,必ずしも統一されていない。そこに整合性を持たせることは,一番大変だったのではないですか。
──国際的にはどうなのでしょうか。
永田 論文などでは常に問題になるところです。人によっても,ジャーナルによっても違いますからね。
宮坂(昌) 難しいですね。先ほど重複しているものを省かなかったという話が出ましたが,それでかなり重なってしまう部分があって,後になって,せっかく書いていただいた文章を削ってしまったということもありました。
永田 強引な組み合わせもありました。
宮坂(昌) 最後の頃に,cross-referenceを始めて,「ああしまった!ここが重なっている」というのが出てきましたね。やむを得ないことではあるのですが,あの作業は少し辛かったですね。もう少しコンピュータに入れて検索するようなことをやらないと,人力の作業で一定のレベルにもっていくのは難しくなりますね。
──言語音の表記も難しい問題ですね。特に「アポトーシスか,アポプトーシスか」という問題がありますが,外国の方は,どのように発音されるのでしょうか。
宮坂(信) 両方の言い方をしますね。
永田 でも,「プ」の音が少し入ります。
宮坂(昌) そのほうが多いと思いますが,これは日本語に問題があって,日本語のカタカナは全部後ろに母音が入るでしょう?だから,「アポプトーシス」になってしまう。でも,あの「プ」は「p」だけで母音が入っていません。だから,アポプトーシスというのは,発音からいえばそもそも間違いです。アポトーシスと言うほうが,はるかに英語の発音に近いです。
宮坂(信) pをサイレントにすると発音しやすいのでしょう。もともと「プトーシス」という言葉が医学用語であるのだから。
永田 外国人が話していても,pが聞こえる時と聞こえない時がありますね。
──日本語の表記は難しいですね。
宮坂(昌) 説明しにくいけれども難しい。外国人でも,「アポトーシスか,アポプトーシスか?」って言ったりしますよ。
宮坂(昌) 外国人でも,語源を知らない人にとっては,「この言葉は何だ?」ということになるでしょう。しかし,何度も言ってみればわかりますが,pを発音しないほうが読みやすいです。

後続する次世代に向けて

宮坂(昌) 第2版は英語索引もつけてあるので,そういう面はわかりやすくしてありますが,先ほども言いましたが,いまだに「これも抜けている」というものがあります。例えば,「GPCR(G-protein coupled receptor)」はよく使う言葉です。索引にはあるのだけれども,見出しとしてはないですね。そういう新語は,どうやったら追加できるのかと…。
宮坂(信) 例えば,いま臨床の分野で革命的なのは「生物学的製剤」(biological agent)ですが,それもないですね。そういうものは山ほどあるでしょう。
宮坂(昌) これがCD-ROMならパッパと入れていくことができるのですが,こういう厚い本の媒体ですと,そう簡単にはいかないでしょうね。アメリカではE-booksといって,Harrisonの内科書なども電子化されていますね。
永田 先ほど視覚化という話が出ましたが,動きを入れられるといいですね。
宮坂(昌) いわゆるフォールディングを立体構造で見たいですね。
宮坂(信) 3次元CGみたいにね。
永田 小胞輸送みたいなものでも,実際の動きを見せると理解が早いですね。そういうものがほしいですね。紙媒体でできないところがCD-ROMならできる。
宮坂(昌) Janewayの免疫生物学の教科書がありますが,それにはCD-ROMがついていて,例えば抗原提示細胞の中の抗原の動きなども載っているのです。でも,それが本とは別になっているので,わざわざそれを出して見なければならないので面倒です。すべてがCD-ROMに載っていれば,クリックしさえすれば「こういうふうに動くのか」とわかるわけですね。
──最後に後続する次の世代に向けて,ひと言お願いします。
宮坂(昌) 既存の学問の枠や自分のやっていることだけにとらわれず,視野を広く持つことです。その中で,「アレッ」と思うことに出くわした時には,「なぜだろう?」と自分の頭でこだわって考える癖をつけてほしいですね。そして,「自分はこう考えるんだ」とか,「こう考えたい」という自分の意見を持つようにして,自分の研究や勉強に役立ててほしいと思います。ただ,考える時にはある程度の基礎知識が大事です。本書が,その基礎知識の確認や整理,そして新しいことを考えるために役立ってくれればとても嬉しいことです。
宮坂(信) 常に知的好奇心を豊かに持って,問題解決指向型の発想をしてほしいですね。
永田 専門バカにならないで,本当の意味でのサイエンスのおもしろさを知ってほしいということですね。誰だって自分のやっている仕事はおもしろいし,それ以外のところに興味を持つ余裕などはほとんどないというのが実情でしょう。
 しかし,こんなおもしろい現象があるのか,と他の分野で目を開かれる思いがしてこそ,自分の分野で同じようにみんなに感動させられるような仕事,研究をやってやろうという気も起こってくるのではないでしょうか。他の分野へ目を向けることには,かなり高いハードルがありますが,そんな時にも,この辞書が活用されればと願っています。
──どうもありがとうございました。
(おわり)



【RNAi(RNA mediated interference)RNAインターフェアランス】
二本鎖RNAを細胞に導入すると相同配列遺伝子のmRNA*が分解され発現が阻害される現象。1995年線虫の一種C. elegans*のアンチセンス*RNA阻害実験でセンスRNAも効いたことが発見の契機になった。導入RNAとしてはmRNAの全領域は不要,エキソン*領域であれば翻訳*,非翻訳領域を問わないがイントロン*領域は効かない。相同mRNAを認識・分解する機構は不明であるが,導入された二本鎖RNAは20塩基対(bp)程度の小RNAに分解され,タンパク複合体に取り込まれて標的mRNAの分解に働いているらしい。(略)

【ストレスタンパク質stress protein: 熱ショックタンパク質HSP: heat shock protein】
従来,熱ショックタンパク質と呼ばれてきた一群のタンパク質で,大腸菌*からヒトにいたるすべての生物に存在し,種を超えてよく保存されたタンパク質。その誘導は,熱ショックのみならず生命の存続に危険な状態(低酸素状態,重金属,アルコール,ウイルス感染など)によっても生じることからストレスタンパク質と呼ばれるようになった。(略)HSPが細胞内でタンパク質の成熟(folding/refolding,assembly/reassembly),輸送に重要な働きを持ち,いわゆるシャペロン*の代表的な分子であることが明らかにされた。(略)

【シャペロンchaperone,分子シャペロンmolecular chaperone】
タンパク質のフォールディング(folding折り畳み)やアンフォールディング(unfoldingほどけ)に関与する一群のタンパク質の総称。(略)もともとシャペロンという言葉は,社交界にデビューする若い貴婦人を介添えする役割の夫人を指すが,この言葉がよく用いられるようになったのは,R. J. Ellisらがストレスタンパク質(HSP)*の機能を説明するために用いられてからである。Ellisらによれば,シャペロンとは次のように定義される。すなわち,(1)未成熟のポリペプチドに一過性に結合し,そのフォールディングやアンフォールディングを助けた後,(2)完成成熟したタンパク質からは解離してしまうものということになる。(略)最近,多くの神経変性疾患において,ポリグルタミンリピートを含むある種のタンパク質の凝集が,その原因であることが明らかになってきた。またアルツハイマー病などにおいても,アミロイド*タンパク質の凝集が指摘され,タンパク質のフォールディング異常病*という概念が提出されている。(略)

【ヌクレオソームnucleosome】
1974年,Kornbergらにより発見されたクロマチン*を構成する基本構造単位で,染色体*DNAと塩基性タンパク質(ヒストン*)からなる核タンパク質複合体,クロマチンの高次構造をほどいて電子顕微鏡で観察すると,直径が10nmほどの球状の粒子が多数細い糸でつながった数珠状に見える。(略)

【品質管理機構quality control mechanism】
タンパク質の異常を検知し,その修復あるいは排除(分解)を行なう機構を品質管理機構と呼ぶ。細胞が産生するタンパク質がそれぞれ与えられた役割を果たすためには,正しい高次構造をとることが必要不可欠であり,逆に折り畳み(フォールディング)に異常が生じたタンパク質は速やかに修復あるいは排除されなければならない。タンパク質の高次構造が異常になると生体に極めて重篤な悪影響を与えることを端的に示す例はプリオン*である。このプリオン病(BSE*),ヒツジのスクレーピー病,ヒトのクロイツフェルト-ヤコブ病*など以外にも,多数の疾患が特定のタンパク質の高次構造の異常に起因することが明らかとなり,現在ではいわゆるフォールディング異常病*という概念が確立している。(略)

【フォールディング異常病unfolding protein-associated disease】
タンパク質の折り畳み(フォールディング)構造の異常を原因の1つとして発症する疾患の総称。この中には,ポリグルタミン*病,プリオン*病,アルツハイマー病,パーキンソン病などが含まれる。折り畳み構造の異常なタンパク質が凝集体を作ることにより,小胞体ストレス*を誘導し,これが細胞にアポトーシス*を起こさせる。その結果,神経細胞死による神経変性疾患などの病状を発症する。

【CD分類cluster of differentiation;CD Classification】
ヒト血液細胞上の分子(抗原)の国際的な分類法。ヒトリンパ球に対するモノクローナル抗体を国際的に分類して統一名をつけるために,1982年第1回国際ヒト白血球分化抗原ワークショップが開催され,同一の抗原を認識する複数のモノクローナル抗体を群別に分け,それぞれの群に国際的な統一名であるCD番号と付けるという作業が始まった。(略)ところがその後,研究の流れが抗体の分類よりも,抗体が認識する抗原*の解析のほうへと移り,それとともに,これらのCD抗体によって認識される分子についても抗体と同じ番号と付けて呼ぶことが慣習となった。最近は,多くの国際誌がCD番号を単純にCD抗原*に付けられたものとみなし,例えばCD4とはCD4抗原のこと,そしてCD4抗原に対する抗体は抗CD4抗体と呼んでいる。(略)

【再生医学regenerative medicine】
生体の組織臓器がどのように発生分化し,構築されているかの仕組みに関する研究成果を利用して,疾患部分の組織や臓器を修復しようとする先端医学分野。患者自身の組織の修復能力によって治療が可能になることが理想であるが,現実には多くの限界が存在する。そこで,再生医学の1つの方向としては,生体組織のできるだけ大きな潜在的修復能力を引き出す方法を開発することである。そのためには,細胞増殖と細胞分化および組織構築を調節するサイトカイン*やマトリックス分子などの制御因子の働きを解明して利用することなどが求められる。その一方で,実験室や工場などの体外で健康で正常な機能を果たす細胞や組織臓器を人工的に調製した後,患者に移植することによって失われた機能を回復する方法は今後大きな発展が期待される。そのためには移植に用いる多種類の細胞の供給が必要であるが,現在行なわれている人から人への組織臓器の提供では圧倒的に不足する。そこで,移植治療に用いる細胞を体外培養によって増殖させることが必要になる。胚性幹細胞*(ES細胞)や組織幹細胞のように,長期間自己増殖しながら多種類の機能細胞を作り出すことのできる幹細胞が注目されている。(略)

〔枠内は「分子生物学・免疫学キーワード辞典」(医学書院)より抜粋〕