医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第8回

No-fault compensation system
(無責救済制度)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2494号よりつづく

社会の幻想,医療者のドグマ

 前回(2494号),加藤良夫氏(愛知大学法学部教授)が提唱する「医療被害防止・救済センター」構想を紹介したが,特定の状況で何らかの身体的被害を被った人が損害賠償訴訟を起こさなくても被害の救済を受けることを可能にするという発想は,決して突飛なものではない。
 医療以外の分野では,例えば,労働災害の補償,交通事故後の被害の補償に対し,損害賠償請求訴訟以外の救済制度が用意されている。損害賠償請求訴訟では,被害を受けた側が,「誰かの過失および過失と受けた被害との因果関係を立証」しなければ救済を一切受けることができないのだが,労働災害・交通事故については,被害を受けた側にそのような過酷な立証責任を負わせてはいない。労働の場でも,交通の場でも,「事故は当然起こるもの」という前提があり,起こった事故に対しては被害者が速やかに救済される制度を用意することが合理的だという合意が社会に定着しているからである。
 誤解される危険を承知で敢えて記すが,医療に事故が起こることは避け得ない。人間と高度な技術とが複雑に絡み合う医療というシステムには,いたるところに不確定な要素が満ち満ちているからである。しかし,非常に不幸なことに,医療については,「事故は起こってはならない,誤りがあってはならない」という幻想とも言える過剰な期待が社会にあり,その幻想に従って,誤りを犯した当事者を罰し損害を賠償させるということを優先し,誤りから学んで類似事故の再発防止をめざすことを二の次としてきたのである。それどころか,「事故があってはならない,医療は間違えてはならない」というドグマに縛られた医療者たちは,事故や過誤の事実を隠蔽するという悪しき文化を医療界に蔓延させてきた。

刑事罰に再発防止効果なし

 特に日本の場合,たまたま事故の当事者となった医療者に対し「業務上過失致死・障害」などの「犯罪」責任を問うことを最優先するシステムを運営することで,「隠す文化」はさらに助長された。4000年近く前,バビロン王朝は「手術に失敗した医師は両手を切り落としてしまえ」とハムラビ法典に定めたが,日本の社会は,4000年前と変わらぬ発想で医療事故・過誤に対し刑事罰で臨むという対処を続けてきたのである。「医療の場に事故があってはならない」というドグマが幻想にすぎないのと同じように,「医療事故に対して刑事罰で臨めば『一罰百戒』の効果があり,医療事故がなくなる」というドグマもまた幻想でしかない。
 なぜならば,医療の場で起こる「誤り」とは,多くの場合,「誤り」の当事者が根本原因となって起こるのではなく,システムそのものに内在する根本的な「欠陥」が顕性化するに過ぎないからである。
 例えば,経管栄養のチューブを点滴ラインにつなぎ間違えるという誤りだが,根本の原因はつなぎ間違えが起こり得るようなチュービング・システムを使うことにある。経管栄養も点滴も共通のチューブでつながるシステムをユニバーサル・システムというが,米国では何十年も前にユニバーサル・システムの使用を止めているので,経管栄養を点滴につなぎ間違えるという事故は消滅していた。しかし,日本では,過酷な労働条件のもとで,たまたまつなぎ間違いをしてしまった医療者を責め刑事責任に問うということを繰り返すだけで,システムを根本から改善することには目をむけようとはしてこなかった。米国では類似事故がとっくに消滅したというのに,数十年もの間,漫然と類似事故による犠牲者を出し続けてきたのである。
 スリーマイル島の原発事故でも,スペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故でも,事故原因が科学的に分析された場合に得られる教訓は,「システムに内在する欠陥を正さなければならない」ということであり,医療に起こる事故についてもこの原則があてはまることは共通である。起こった事故のフロントにたまたま立つことになった医療者を責め,排除するだけでは,類似の事故の再発を防止する効果は望み得ないのである。

訴訟から独立した救済制度

 再発防止と被害者の速やかな救済を最優先とするためには,損害賠償請求訴訟とは独立の救済制度を社会に用意することが最も合理的であり,だからこそ,筆者は,加藤良夫氏が提唱する「医療被害防止・救済センター」構想を真剣に検討すべきだと主張しているのである。同氏の構想は決して荒唐無稽なものではなく,実際,スウェーデン,ニュージーランドなどでは,類似の医療事故被害救済制度が運営されている。
 例えば,スウェーデンでは,「過失の有無」を補償の基準にするのではなく,「避け得た医療事故であったかどうか」という基準で被害が補償される制度となっている〔「No-fault compensation system(無責救済制度)」という〕。各医療機関には,医療事故に対する被害補償申請用紙が用意され,当事者となった医師は患者の補償申請に進んで協力し,医師が患者の医療事故の補償申請に協力することは,今や,日常の医療行為の一部とまでなっているという。ハーバード大学公衆衛生学部のブレナンらは,スウェーデンの制度を米国に当てはめた場合,過誤訴訟に基づく現行の制度よりも社会のコストは安く上がるという試算結果を報告している(JAMA, 286巻217頁,2001年)。