≪シリーズ ケアをひらく≫
こんなとき私はどうしてきたか 中井 久夫著 |
●一望のお花畑、眼下からは列車の音みなさん、山に登られたことがあるでしょう? 八ヶ岳でもいいし六甲山でもいいんですが。じつは私たち医療者は「病気が起こるとき」を直接見ていません。私たちが立ち会うのは、病者が「病気山」から下りるときですよね。回復というのは、登山でなく下山なのです。 最初は、岩場なんかを伝いながら下りますね。墜落の危険もあるし、荒れ果てたところで石がゴロゴロしている。ああいうときは、かえって用心しているものなんですよ。 岩場を下りたらお花畑です。はじめて下のほうが見えます。上昇気流に乗って、列車の音が聞こえてくることがありますよね。 ああいうときって、「もうこれ以上下りたくないなぁ。ずっとここに居たいなぁ」という気になりますね。だってこれからまだまだ大変で、いろいろな苦労が待ってるんですよ。 それを思うと「うんざりするなぁ……」という感じがして、お花畑で一時間や二時間は寝転んで過ごしたものです。ですけど、夜がこないうちに下りなきゃいけません。 八ヶ岳に登って、いちばん高い赤岳から下りてくるとお花畑があるんですよ。下を走っている小海線の列車がはっきりと見えるんですね。「一気にあそこまで行けたらなぁ」と思ったりします。これが自殺に行き着くことがあるんですね。 海外登山隊の人に聞いたら、アルプスを登っているとき、下にいる羊の鈴の音が上昇気流に乗って聞こえてくると、そこへ一気に飛び降りたくなるそうです。 保護室から出たとき、あるいは急性期を抜けたときというのは、それと同じ状態です。 (p.127-128より抜粋)
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