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≪シリーズ ケアをひらく≫
べてるの家の「当事者研究」

浦河べてるの家


序にかえて――「当事者研究」とは何か

向谷地 生良
 浦河で「当事者研究」という活動がはじまったのは、二〇〇一年二月のことである。きっかけは、統合失調症を抱えながら“爆発”を繰り返す河崎寛くんとの出会いだった。入院していながら親に寿司の差し入れや新しいゲームソフトの購入を要求し、断られたことへの腹いせで病院の公衆電話を壊して落ち込む彼に、「一緒に“河崎寛”とのつきあい方と“爆発”の研究をしないか」と持ちかけた。「やりたいです!」と言った彼の目の輝きが今も忘れられない。

 「研究」という言葉の何が彼の絶望的な思いを奮い立たせ、今日までの一連の研究活動を成り立たせてきたのだろう。その問いを別のメンバーにすると、「自分を見つめるとか、反省するとか言うよりも、『研究』と言うとなにかワクワクする感じがする。冒険心がくすぐられる」と答えてくれた。

 「研究」のためには、「実験」が欠かせない。そして、その成果を検証する機会と、それを実際の生活に応用する技術も必要になってくる。その意味で統合失調症などの症状を抱える当事者の日常とはじつに数多くの「問い」に満ちた実験場であり、当事者研究で大切なことは、この「問う」という営みを獲得することにある。

 つらい症状や困った事態に遭遇したとき、自分の苦労を丸投げするようにして病院に駆け込み、医師やワーカーに相談をしていた日々とは違った風景が、そこからは見えてくる。それは浦河流に言うと「自分の苦労の主人公になる」という体験であり、幻覚や妄想などさまざまな不快な症状に隷属し翻弄されていた状況に、自分という人間の生きる足場を築き、生きる主体性を取り戻す作業とでもいえる。

 ここに紹介する一連の当事者研究の成果は、研究の期間も、テーマとの取り組み方も一様ではない。その意味で「当事者研究の進め方」というかたちで、これをプログラムとして説明することは困難である。だからといって、決して浦河でしかできないというプログラムでもない。そこで、これから紹介する個々の当事者研究に共通するエッセンスを紹介したい。

(1)〈問題〉と人との、切り離し作業
 最初に取り組むのが、「〈問題〉と人とを切り離す」作業である。それによって「爆発を繰り返す○○さん」が「爆発を止めたいと思っても止まらない苦労を抱えている○○さん」という理解に変わる。これは、当事者ばかりでなく、まわりの関係者にとっても重要な作業になる。

(2)自己病名をつける
 医学的な病名ではなく、みずからの抱えている苦労の意味や状況を反映した「病名」を自分でつける。たとえば「統合失調症“週末金欠型”」とか。これは、仲間と共に、自分の苦労の特徴を語り合うなかで見えてくるものであり、苦労を自分のものにする重要なプロセスである。

(3)苦労のパターン・プロセス・構造の解明
 症状の起こり方、引き起こされる行為、“金欠”など苦しい状態への陥り方には必ず規則性があり、反復の構造がある。それを仲間と共に話し合いながら明らかにし、図式化、イラスト、ロールプレイなどで視覚化する。それによって、起きている〈問題〉の「可能性」や「意味」も共有される。

(4)自分の助け方や守り方の具体的な方法を考え、場面をつくって練習する
 起きてくる苦労への自己対処の方法を考え、練習する。ここで大切なのは、自分を助ける主役は専門家や仲間ではなく、あくまでもまず「自分自身」だということである。まわりの人たちは、「自分を助ける」というプロセスを側面的に助けてくれる役割をもっているに過ぎない。

(5)結果の検証
 以上を研究ノートに記録し実践する。その結果を検証し、「良かったところ」と「さらに良くする点」を仲間と共有し、次の研究と実践につなげる。研究の成果として生まれたユニークなアイデアは、当事者研究の成果をデータベース化して保存する「べてるスキルバンク」に登録し、仲間に公開する。

 以上のように当事者研究の取り組みは、一人の孤独な作業ではなく、「人とのつながりの回復」と表裏一体のプロセスとしてある。  キャッチフレーズは、「自分自身で、共に」である。

(p.3-5「序にかえて」より抜粋)