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≪シリーズ ケアをひらく≫
物語としてのケア
ナラティヴ・アプローチの世界へ

野口 裕二


まえがき

 「ナラティヴnarrative」という言葉が注目されている。「物語」あるいは「語り」を意味するこの言葉は、人文科学、社会科学、そして、臨床科学などのさまざまな領域でいまもっとも重要なキーワードのひとつとなっている。人間が織り成すさまざまな現象、あるいは、人間と社会のかかわりを考えるうえで、ナラティヴという形式がとても重要な意味をもつことにひとびとが気づき始めたといえるだろう。

 ナラティヴへの注目は、八〇年代後半頃からさまざまな分野で同時に起こってきた。医療や看護、福祉といった臨床の分野も例外ではない。例外でないどころか、臨床分野は、そうした動きをある面でリードするような重要な役割を果たしてきた。

 医療人類学からは、病いのナラティヴillness narrative研究が生まれ、家族療法の領域では、ナラティヴ・セラピーnarrative therapyが注目され、プライマリー・ケアの領域からは、ナラティヴ・ベイスト・メディスンnarrative based medicineが提唱されている。看護の領域では、現象学的看護論のなかでナラティヴが重要なキーワードとなり、社会福祉の世界でも、ポストモダン・ソーシャルワークpostmodern social workがナラティヴに注目している。

 いずれも、「ケア」や「援助」という行為において、「ナラティヴ」がとても重要な役割を果たすことを主張するものであり、これらの動きを総称して、「ナラティヴ・アプローチnarrative approach」と呼ぶことができる。

 これらのなかでも、ナラティヴ・セラピーは、それまでの家族療法の理論と実践を大きく塗り替え、さらに、心理療法全般がもつ理論的前提をも塗り替えるような迫力をもっている。その理論的な革新性と徹底性は、臨床領域における「ナラティヴ革命」ともいうべき特徴をもっている。

 本書の目的は、ナラティヴ・セラピーを中心に、臨床領域におけるナラティヴ・アプローチの考え方とその実践を紹介し、さらに、それらがケアという世界にどのような新しい視界を開くのかを検討することにある。

 第I部では、ナラティヴ・セラピーの前提となる「社会構成主義」の考え方、社会心理学を中心に発展してきた「自己物語論」、そして、医療人類学の領域で発展してきた「病いの語り」の理論を紹介する。

 第II部では、家族療法の世界を塗り替えたナラティヴ・セラピーの3つの実践、「外在化とオルタナティブ・ストーリー」「無知のアプローチ」「リフレクティング・チーム」を紹介する。

 第III部では、ナラティヴ・セラピーの三つの実践が相互にどのような関係にあるか、それはどのような新しい専門性を主張しているのかを検討し、さらに、セルフヘルプ・グループやフェミニスト・セラピーなどの関連する動きをナラティヴ・アプローチの視点から再検討する。

 第IVでは、ナラティヴ・アプローチはケアとどのように関係するか、これまでのケアの理論と実践はどのような特徴をもっていたか、そして、ナラティヴ・アプローチはそれをどのように革新するのかについて考える。

 「ナラティヴ」という言葉は、わたしたちが日々実践しているさまざまな臨床的行為や、臨床という場面を、まったく異なるものとして認識させてくれる。「ナラティヴ」というたったひとつの言葉が、まったく新しい臨床の世界を切り拓く。臨床のさまざまな場面でいま、新しい臨床の物語、新しいケアの物語が始まっている。

(p.3-5「まえがき」より抜粋)