出生と死をめぐる生命倫理
連続と不連続の思想

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40年にわたり日本の新生児医療を牽引してきた著者が、臨床で経験した事例や海外の事例を交えつつ、周産期における生命倫理の考え方を述べる。1970年代はじめの日本において、臨床倫理の素地を関係者たちと固めていった歴史的な観点も踏まえて倫理観を語り、出生をめぐる生命倫理を考える道筋を読者に示す。『助産雑誌』 好評連載の待望の書籍化。
仁志田 博司
発行 2015年10月判型:A5頁:256
ISBN 978-4-260-02401-3
定価 2,970円 (本体2,700円+税)

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 この序は単に本書のintroductionではなく,本書を貫く筆者の基本理念を読者に知ってもらいたい,という思いで書かれている。ぜひ,各章を読む前に目を通していただきたい。
 筆者は「周産期」という命の誕生の医療に40年あまりかかわってきたなかで,先天異常,超低出生体重児,仮死の児などの生と死のドラマに翻弄され,その対応に倫理的判断が迫られる機会に稀ならず遭遇した。藁にもすがる思いで恩師・坂上正道教授や早稲田大学の木村利人教授から生命倫理を学んで,倫理の「倫」は「仲間」という意味であり,相手を思う心が生命倫理の根幹であることを知った。そして,医療がデータや科学的演繹だけに頼って命を左右してしまう時に現れる「危うさ」を痛感したところから,ようやく倫理の本質は,「連続と不連続の思想」に裏打ちされた「ともに生きるあたたかい心」であると気づいたのである。たとえ学問的な説明がつかなくとも,「その決定にかかわる医療者が,心の底から患者とその家族のことを考えて判断すれば,それは倫理的であった」と言えるようになった。
 「連続と不連続の思想」は,多少理屈っぽい内容となるところから最後の第12章で取り上げたが,この思想は各章で論じられる筆者の生命倫理的考察を読み取る手がかりとなるものであり,折に触れ読んでいただきたいと願っている。
 本書は,『助産雑誌』(医学書院刊)に2013~2015年まで27回にわたって連載した「周産期の生命倫理をめぐる旅——あたたかい心を求めて」をベースにしたものである。各章のテーマごとに,筆者が実際に臨床の現場で遭遇した事例を取り上げ,それらに医学的解説を加え,さらに生命倫理的考察の過程を示した。
 第1章から第5章までは,周産期および新生児の臨床現場で日常的に問題となっている「予後不良の児」の対応に関し,倫理的観点から考察の糧となる内容が論じられている。すでに広く知られている「重症度によるクラス分け」,「子どもの権利」,「胎児の権利」,「成育限界」などの各テーマが、事例を挙げて解説されている。社会からだけでなく親からも容易に切り捨てられうる弱い立場にある児を守るのは,その医療現場にいるわれわれ医療者である。そのためには,単に「かわいそうだから」というレベルを超えた,生命倫理的議論のための素養を学ばなければならない。
 第6章から第8章までは,近年,急速な学問的進歩に臨床現場が後追いする形になっている「生殖医療」を取り上げている。とかく新生児科医や小児科医は,ART(生殖補助医療)などの産婦人科の問題を,対岸の火事のように受け取りがちであるが,それは生まれてくる児とその母親の問題そのものであり,出生前からもそれらの倫理的問題に関与し,そのための知識を積み上げておかなければならない。特に,出生前診断による染色体異常などの予後不良児の対応に関しては,そのような児を臨床的に経験しているのは小児科医であり,まだ生まれる前とはいえ,母子の将来のみならず,より広い社会的・人類学的観点からの生命倫理的議論に参加する責務がある。
 第9章と第10章は,脳死を含めたいわゆる「死生学」が取り上げられている。巷には,死や生(生命・いのち)に関して宗教・哲学・文学などの面から論じている書物があふれているが,医学・医療という科学の世界から「生命とは,死とは」が論じられているものは多くない。生命倫理的議論を行なううえで、このような知識も重要であると考え,本章ではあえて生命や生命体の死を物理科学的現象として解説した。さらに脳死は新しい死(ネオモート)と呼ばれるように,これまでの死の概念を変えるものであり,医学的観点のみでは御することのできない問題を含んでいる。
 第11章は,命を生み出す「性」が,人間社会の進化に伴い大きく変容してきたことに伴う,さまざまな医学的・倫理的問題を取り上げた。性が単に「子孫を残す」という機能を越え,人間同士の重要なコミュニケーションの役割を担うようになったところから,プロライフ(胎児が生きる権利)とプロチョイス(女性の産む産まないの権利)の相克などの新たな問題が生じてきた。出生の現場に身を置く医療者は,そのような性にまつわるさまざまな生命倫理的問題に無関心ではいられないのである。
 本書末尾の別章では,「生命倫理の基礎」を解説した。臨床の現場においては,さまざまな問題を含む事例の検討や議論がなされるなかから,生命倫理が自ずから生まれてくるものである。その積み重ねの歴史の洗礼を受けて,哲学の一分野として生命倫理の学問体系が形づくられてきた。
 そのなかでも、侵害回避(non-maleficence),恩恵(beneficence),自律(autonomy),公正(justice)の4原則がことに有名である。
 このように本書は,筆者の日々の臨床経験と,患者と患者家族の安寧を願う仲間たちとの考察から編み上げられたものである。しかし,倫理学そのものに素人であった筆者を,啓蒙し勇気づけてくれた恩師・坂上正道教授の支えがなければ,本書が世に出ることはなかったであろう。本書を故坂上正道教授に献じ,わずかながらも筆者の感謝の意を表したい。

 2015年 猛暑の夏に逝きし人々を偲びつつ
 仁志田博司

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第1章 私がなぜ生命倫理を学ぶようになったか
  慢性肺疾患で長期人工換気を受ける超低出生体重児の弥生ちゃん
  わが国の生命倫理の萌芽に立ち会う
  生命倫理学に欠かせない「ともに生きるあたたかい心」

第2章 なぜ生命倫理が医療・看護において重要になってきたか
  NICUから在宅医療となった18トリソミーの琴美ちゃん
  なぜ生命倫理が医療において重要となってきたか

第3章 予後不良の児に対する倫理的対応
  予後不良児とは
  東京女子医科大学NICUにおける予後不良の新生児に対する
    倫理的考察からの治療方針:いわゆる「仁志田の基準」
  日本的な考えに基づくクラス分け
  「仁志田の基準」の各クラスの解説
  倫理的考察から治療方針を判断する基本的ステップ
  予後不良児の倫理的意思決定の実際:髄膜瘤の美樹ちゃん
  「重篤な疾患を持つ新生児の家族と医療スタッフの
    話し合いのガイドライン」の誕生

第4章 臨床現場における子どもをめぐる生命倫理の特殊性
  なぜ子どもの倫理は特殊なのか
  ベビードゥ事件とその歴史的意義
  子どもとは何か
  子どもの権利と親権
  子ども虐待をめぐる親権と子どもの最善の利益の相克
  子どもを対象とする医療・研究の倫理的配慮

第5章 胎児と超低出生体重児の生きる権利をめぐる生命倫理
  妊娠21週に母体搬送されて22週3日で出生した美鈴ちゃん
  法的観点からの成育限界
  医学的な成育限界(viability limit)
  臨床の場で成育限界をどのように考えるか
  胎児はいつから人とみなせるか

第6章 出生前診断のもたらす倫理的問題
  出生前診断とは
  高齢妊娠で生まれて十二指腸閉鎖を合併したダウン症候群のかすみちゃん
  出生前診断の方法とそれに伴う倫理的問題
  出生前診断にかかわる生命倫理的問題

第7章 遺伝子をめぐる生命倫理
  遺伝子とDNA
  ハンチントン病の母親をもつ40歳の妊婦,さやかさん
  遺伝相談をめぐる倫理的問題
  組み換えDNA技術の発展と科学者たちの倫理的対応
  遺伝子治療および幹細胞治療をめぐる生命倫理
  クローン人間の非倫理性

第8章 生殖補助医療をめぐる倫理的問題
  生殖補助医療のもたらすもの
  ダウン症候群の第1子を出産したあとに,
    第2子妊娠目的で不妊治療を行なった玉緒さん
  不妊症および不育症
  ARTの医学的解説
  ARTのもたらす医学的問題
  ARTのもたらす社会的問題
  ARTをめぐる倫理的問題
  性同一性障害とARTによる出産
  急速なARTの進歩を前に立ち止まって議論するべき時

第9章 生と死をめぐる生命倫理:死生学
  死生学とは
  無脳児を出産した40歳の春美さん
  死とは何か
  生命とは何か
  生命体を保つための死:アポトーシス
  生と死の連続性
  Baby Kから学ぶ生命倫理的教訓

第10章 周産期医療における脳死をめぐる生命倫理
  脳死の医学的意味と法的意味
  新生児期に脳死(脳死状態)と判定されたゆみちゃん
  脳死臓器移植の歴史と日本での展開
  脳死にかかわる倫理的考察
  日本の脳死臓器移植の未来

第11章 性と命の誕生をめぐる生命倫理
  性の誕生
  性の変容
  女性の妊娠・分娩と社会の対応

第12章 生命倫理の背景にある「連続と不連続の思想」
  臨床の葛藤から生まれた思想
  私たちを取り巻く連続性とは
  私とあなたの連続性
  人間の一生の縦糸と横糸の連続性
  物質と生命体の連続性
  人間とすべての生物との命の連続性
  生と死の連続性
  異常と正常の連続性
  「連続と不連続の思想」と「あたたかい心」が支える生命倫理

別章 生命倫理の基礎
  生命倫理とは何か
  生命倫理の基本原則

追記
初出一覧
索引

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新しい生命倫理をつくる意義を示す運命的な出会いの本
書評者: 木村 利人 (早大名誉教授)
 日本の周産期医療のパイオニアである著者の『出生と死をめぐる生命倫理——連続と不連続の思想』には,読み出したら止まらない,ぐんぐんと中に惹き込まれてしまうStoryの展開があります。

 第一に,明快な文章で,著者のかかわった具体的な臨床の複雑で微妙な問題点も含め,時に図表も入れて分析・検討・整理された生命倫理についての解説があり,その論議のプロセスをたどることができます。予後不良児の両親への深い理解をはじめ,障害を残した新生児やダウン症のある赤ちゃんとの命の共感のStoryには感動しました。

 第二に,当時,東京女子医科大学母子総合医療センター教授(センター長)であった著者は,1980年代から早稲田大学人間総合研究センターにおける,日本の大学研究機関で最初のバイオエシックス共同研究プロジェクトに医師として積極的に貢献してこられました。その成果の一部は,本書において,特に新生児と家族とのかかわりで,周産期医療専門家としての数々の臨床経験に基づく倫理的決断の具体的な内容,例えばNICUにおける「仁志田の基準」などに反映されています。

 これらを通し,著者の医師として,そして何よりも一人の人間としての豊かなパーソナリティに,現代における医師のあるべき姿を見る思いがしました。

 第三に,本書の特色は,何と言っても著者の独創的発想による「いのちのほむら(焔)」を感じる「連続と不連続の思想」に裏打ちされた「ともに生きるあたたかい心」の展開です。これは,長年にわたる臨床現場での生命倫理的経験と,その理論に取り組んできた著者だからこそ展開できた,ユニークで,しかも普遍的な生命倫理の一つの到達点を示しています。この発想に関して,著者に影響を与えたある一冊の本との「運命的な出会い」が,周産期医療の枠組みをも越えて,新しいガイア的バイオエシックスの展開となったというStoryには深く感銘しました。

 もしかすると,その意味で,本書を手に取る読者の皆さんにとって,正に本書こそが「運命的な出会い」の一冊となるかもしれません。私たち自身が,臨床現場などそれぞれの専門分野において,未来へとつながるバイオエシックスを新しく作り出すことの大きな意義を,本書によって教えられるからです。

 そして,特に周産期医療・看護の臨床現場にある皆さんはもちろんのこと,全ての医療・看護従事者をはじめ,患者,ご家族,一般の人々,医学・看護の学生諸君など多くの方に,本書が幅広く読まれるようにと心から願っています。

 出生と死をめぐる生命倫理的対話と,実践への歩みのための最良・必読のテキストブックとして,本書が積極的に活用されるよう大いに期待しています。
医療の進歩が著しい現在,ますます必須となる生命倫理 (雑誌『助産雑誌』より)
書評者: 船戸 正久 (大阪発達総合療育センター)
 著者は,北里大学,東京女子医科大学で周産期医療センターの責任者として長年,深く新生児医療にかかわり,日本周産期・新生児医学会,日本新生児成育医学会などの学会を積極的に先導した先輩医師のお1人である。新生児の生と死にかかわる現場から,こうした生命倫理の問題にも先駆的に取り組まれ,学術的にも大きな貢献をしてくださった。

 著者のもっとも大きな貢献は,イェール大学のダフ博士の分類を基にした「新生児医療における倫理的観点からの意思決定」,いわゆる「仁志田の基準」(クラスA~D)を学術的な観点から学会の場で紹介してくださったことである。この発表は聴衆に大きなインパクトを与え,その1人であった私にも大きな影響を与えた。最初の頃は学会でも,新生児の倫理や死の問題はタブー視され,その発表に対して,私を含め誰も手を挙げて質疑する人がいなかったことを非常に印象深く覚えている。

 その後,約30年経った現在,学会でも倫理に関する知識が徐々に浸透し,子どもの最善の利益を中心に,こうした倫理問題が活発に議論できるようになった。これは,最初に勇気ある口火を切った著者の大きな貢献である。その後,著者は,それまでのまとめとして1999年に『出生をめぐるバイオエシックス——産期の臨床にみる「母と子のいのち」』(メジカルビュー社)を編集・執筆し世に問うた。

 そして今回,その集大成としての本書を医学書院から出版した。出生と死をめぐる医療現場で,私たち医療者や一般のご家族が出会う可能性のあるさまざまな倫理的ジレンマを幅広い知識と知恵で網羅している。そして,その解決の基本は長年著者があたため公表してきた「あたたかい心を育む連続と不連続の思想」であると述べている。

 その一例として,柳田邦男氏(ノンフィクション作家)も感動を覚えたという無脳症の子どもを出産した40歳の春美さんの例を挙げている。児は出生後,侵襲的な蘇生を受けず,母親の胸に抱かれ永眠した。両親が女の子らしい洋服と小さく縫った帽子を用意し,洗礼を受けさせた。そして3人目の子どもをもつことができたことを関係者に感謝して退院したとある。

 ぜひ医療にかかわる多くの若い方々に読んでいただき,著者の生命倫理の根底に流れる「あたたかい心を育む連続と不連続の思想」を学んでいただきたい。

(『助産雑誌』2016年3月号掲載)

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