当事者研究の研究

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当事者本人を超えて、専門職・研究者の間でも一般名称として使われるようになってきた「当事者研究」。その圧倒的な感染力はどこからくるのか? それは客観性を装った「科学研究」とも違うし、切々たる「自分語り」とも違うし、勇ましい「運動」とも違う。本書は、哲学や教育学、あるいは科学論と交差させながら、“自分の問題を他人事のように扱う”当事者研究の魅力と潜在力を探る。

*「ケアをひらく」は株式会社医学書院の登録商標です。
シリーズ シリーズ ケアをひらく
石原 孝二
発行 2013年02月判型:A5頁:320
ISBN 978-4-260-01773-2
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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●『シリーズ ケアをひらく』が第73回毎日出版文化賞(企画部門)受賞!
第73回毎日出版文化賞(主催:毎日新聞社)が2019年11月3日に発表となり、『シリーズ ケアをひらく』が「企画部門」に選出されました。同賞は1947年に創設され、毎年優れた著作物や出版活動を顕彰するもので、「文学・芸術部門」「人文・社会部門」「自然科学部門」「企画部門」の4部門ごとに選出されます。同賞の詳細情報はこちら(毎日新聞社ウェブサイトへ)

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はじめに

 二〇〇一年、北海道の浦河〈うらかわ〉べてるの家で「当事者研究」は始まった。浦河の地で行われていた当事者研究は、精神障害を持つ当事者自身が、自分たちが抱える問題を「研究」するというものだった。この一〇年余りの間に、当事者研究は浦河べてるの家の活動を代表するものとして広く認知されるようになるとともに、日本の各地に当事者研究が広まり、当事者研究を行う団体が生じてきた。近年では韓国でも関心を持たれ、国際的な広がりを見せようとしている。
 精神障害を持つ人たちが研究を行っていると聞けば、人はおそらくさまざまな疑問や疑念を持つのではないだろうか。現実と妄想の区別がつかない当事者が研究することがなぜ可能なのだろうか? 日常会話も成立しないような人たちがなぜ研究しているといえるのか? 当事者とはいったい誰のことなのか?
 当事者研究はもちろん、通常の研究手続きに沿って行われるものではない。しかし、そこでは確かに研究といえるものが行われている。それは当事者の手記のようなものでもないし、当事者運動のように何かを主張するものでもない。研究というスタイルをとることによってしか表現できないものが、そこで示されているのである。
 この当事者研究は独特の感染力を持っている。精神障害や他の障害を持つ当事者の間に広がりを見せていることがそのことを示している。しかし当事者研究が感染するのは障害者だけではない。当事者研究とは、苦悩を抱える当事者が、苦悩や問題に対して「研究」という態度において向き合うことを意味している。苦悩を自らのものとして引き受ける限りにおいて、人は誰もが当事者であり、当事者研究の可能性は誰に対しても開かれている。
 一九六〇年代の反精神医学や、七〇年代以降の当事者運動においては、当事者の知は専門知と対立的に捉えられがちだったが、当事者研究は必ずしも専門知と対立するものではないことに注意する必要がある。当事者研究は、専門知の成果を一応は受け入れながらも、その意味を当事者の視点から捉え直していく。専門知と対立するのではなく、しかし、その意味をずらしていく当事者研究の知のあり方は、これまでになかった知のあり方を提示している。本書は、そうした当事者研究の知のあり方を明確化することを試みたものである。

 各章の内容について、簡単にまとめておくことにしよう。
 本書の第1章から第3章は理論的な内容になっている。第1章(石原)は当事者研究の理念と意義を明らかにしようとしたものであり、特にSSTやピアサポートグループ、そして科学的研究と当事者研究との関係を明確化することを試みている。第2章(河野)は障害児教育研究に関与した経験を踏まえ、発達や学習という観点から当事者研究の優位性を主張したものである。第3章(池田)は哲学・現象学と当事者研究の関係について論じたものであり、とりわけ当事者とは誰か、研究とは何かを問い直すことを試みている。
 第3章のあとは、べてるの家とともに歩み、当事者研究の成立に不可欠な役割を果たした向谷地生良氏へのインタビューを収録した。向谷地氏には当事者研究の誕生の経緯や背景について話を伺ったが、綾屋と熊谷もインタビュアーとして参加して、これからの当事者研究の展望についても意見を交換した。
 第4章以降はいわば実践編である。第4章(綾屋)は当事者研究が自己感の成立にどのような影響を与えるのかを綾屋自身の例に即して論じている。第5章(熊谷)は「痛み」をテーマにしながら、専門家と当事者の間の信頼をめぐる問題に焦点を当て、当事者研究の意義を問い直すことを試みている。第6章(Necco当事者研究会)は、綾屋を中心としてNecco当事者研究会が立ち上がっていった際の経緯の記録である。最後のDiscussionでは第6章のテキストを題材として、Necco当事者研究会のメンバーが当事者研究の意義や運営方法などを議論している。

 本書の各章を執筆していく過程で、検討会などを通じて相互に意見交換をしたが、各章の内容や主張はそれぞれの著者によるものである。本書の各章が当事者研究の意義や捉え方に関する議論を呼び起こし、本書が少しでも当事者研究の発展に寄与するものとなることを願っている。

 石原孝二

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 はじめに

第1章 当事者研究とは何か-その理念と展開 (石原孝二)
第2章 当事者研究の優位性-発達と教育のための知のあり方 (河野哲也)
第3章 研究とは何か、当事者とは誰か-当事者研究と現象学 (池田 喬)

Interview 当事者研究ができるまで (向谷地生良)

第4章 当事者研究と自己感 (綾屋紗月)
第5章 痛みから始める当事者研究 (熊谷晋一郎)
第6章 発達障害者による当事者研究会 (Necco当事者研究会)

Discussion 当事者研究をやってみた (Necco当事者研究会)

 エピローグ 当事者研究が語り始める
 おわりに

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●雑誌で紹介されました
《本書が描き出すのは、どこかで誰かがやっている実践ではない。我々が日常の中で体験しながらもこと版見できない存在の手触りのようなものだ。ぜひ多くの人に手にとって欲しい。》――國分功一郎(哲学者・高崎経済大学)
(『母の友』福音館書店、2013年6月号より)

●新聞で紹介されました
《社会学者である僕からすれば、当事者研究と最も近い親戚筋にあるのは哲学だ、という主張には首肯しかねるものはあるのだが、その愛については素直に認めたいし、彼らのワクワク感と冒険心も手に取るようにわかるのだ。》――岡原正幸(社会学者・慶応大学)
(『図書新聞』第3116号 2013年6月29日より)

《本書は「当事者研究」の可能性の提示を狙いとしているが、実はここには障害や援助についての「語り」をめぐる企画者(編者)の一貫した戦略がある。ケアが開かれるためには「語り」が開かれていなくてはならない。ここまで継続されてきた本シリーズの戦略がどこにあったか、その真意を浮かび上がらせる役目も本書ははたしている。》――佐藤幹夫(フリージャーナリスト)
(『東京新聞』2013年3月17日 書評欄より)

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