構造と診断
ゼロからの診断学

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「病気を診断することについて、深く考えてみるのが本書の目的である」。この書き出しで始まる本書を手に取る読者には、難解きわまる診断学論を期待する向きもあるだろう。しかし、読み進めるうちに気づくのは、「古今東西の叡智を援用しつつ、そこで著者が語るのは、臨床という名の戦場を『診断』という陥穽にはまらずに、患者とともに生き抜く戦略だ」ということである。著者初、ユニークなサバイバル診断論!
岩田 健太郎
発行 2012年06月判型:A5頁:218
ISBN 978-4-260-01590-5
定価 2,750円 (本体2,500円+税)

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  • 目次
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1.診断することを根源的に考える
2.診断と自我
3.正しい診断
4.全体から考える その1
5.全体から考える その2
6.時間から考える
7.帰納法であることを上手に使う
8.誤診から学ぶという話 その1
9.誤診から学ぶという話 その2
10.現象をつかみとる難しさ
11.自らの検査前確率をリッチにする その1
12.自らの検査前確率をリッチにする その2
13.教科書通りの患者は来ない?
14.ゲーム理論を臨床医学に活用する
15.感度・特異度を語る時
16.避難所診療における「診断」を考える
17.定型と創意 その1
18.定型と創意 その2
19.リンパ節腫脹とデジタル
20.構造と名前
21.ゴールド・スタンダードは存在しない
22.診断の本質とは何か?

鼎談 差異と診断——池田清彦・名郷直樹・岩田健太郎

あとがき


※本書は,総合診療誌「JIM」に掲載された「構造と診断—ゼロからの診断学」(2010年4月2012年2月)および鼎談「差異と診断」(2012年45月)をもとに加筆を行い,まとめ直したものである.

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「診断する」という作業にかかわるすべての医療者に
書評者: 前野 哲博 (筑波大病院教授・総合診療科)
 最近,臨床推論に注目が集まり,診断学に関する本が数多く上梓されている。ただ,その多くは,臨床診断に至るプロセスを理論的に記述したものや,「○○があれば△△病を疑う」といった実践的なマニュアル本が多い。本書は,そういった類書と一線を画し,著者の言葉を借りれば「メタ診断学」,つまり「診断する」という行為そのものに焦点を当て,診断とはそもそも何なのか,診断とはいかなる営為なのかを論じた本である。

 ひとくちに「診断」といっても,実際の診療では患者ごとに一人一人病歴は違うし,いくら調べても診断がつかないことも多い。しかしながら,臨床医は診断がつくかどうかにかかわらず「決断」しなくてはならない。入院させるのか帰宅させるのか,薬を処方するのかしないのか,その場で決めなくてはならない。もっと悩まずに適切に診断をつけ,最良の医療を提供できる方法はないだろうか? もしも,臨床推論に関する本を片っ端から読みあさり,ハリソン内科学を全部暗記すれば,自信を持って診断をつけられるようになるだろうか?―――答えは「否」であろう。

 臨床医であれば誰もが経験するこの疑問に,われわれはどのように向き合っていけばよいのだろうか。本書は,そんな命題に正面から取り組んだ本である。とはいえ,本書を通読したらズバリと診断できるようになるわけではない。わかりやすく言えば,悩みの尽きない「診断をつける」という作業について「正しい悩み方」を教えてくれる本である(こう書くと,本書の第3章「正しい診断は何か」を読んだ人から「『正しい』を規定しているのは何か?」とすかさずツッコミを受けそうだが…)。

 また本書は,診断力をつけるために,どのような心構えで,どのようなトレーニングを積めばよいのかについても大変重要な示唆を与えてくれる。ユーモアあふれるたとえ話もわかりやすく,これから診断を学ぼうとする学生・研修医,そしてその指導に当たる指導医にも,ぜひ読んでいただきたい。「診断する」という作業にかかわるすべての医療者にお勧めの一冊である。
診断するという営みを徹底的に考察した本
書評者: 春日 武彦 (成仁病院顧問)
 本書は,診断するという営みについて徹底的に,根源的なところまでさかのぼって考察した本である。それはすなわち医療における直感とかニュアンスとか手応えといった曖昧かつデリケートな(しかし重要極まりない)要素を「あえて」俎上に乗せることでもある。昨日の外来で,ある患者を診た際に感じた「漠然とした気まずさや躊躇」とは何であったのか。やぶ医者,残念な医者,不誠実な医者とならないように留意すべきは何なのか。どうもオレの診療は「ひと味足らない」「詰めが甘い」と不安がよぎる瞬間があったとしたら,どんなことを内省してみるべきか。本書はいたずらに思想や哲学をもてあそぶ本ではない。しっかりと地に足が着いている。極めて現実的かつ実用的な本である。そして,とても正直な本である。「ぼくら臨床医の多くはマゾヒストである。自分が痛めつけられ,苦痛にあえぎ,体力の限界まで労働することに『快感』を覚えるタイプが多い」といった「あるある」的な記述もあれば,うすうす思っていたが上手く言語化できなかった事象を誠に平易な言葉で描出してみせてくれたり,「ああ,こういうことだったんだ」と納得させてくれたり,実に充実した読書体験を提供してくれる。

 蒙を啓いてくれたことがらをいくつか記しておこう。「患者全体が醸し出す全体の雰囲気,これを前亀田総合病院総合診療・感染症科部長の西野洋先生は『ゲシュタルト』と呼んだ」「パッと見,蜂窩織炎の患者と壊死性筋膜炎の患者は違う。これが『ゲシュタルト』の違いである」。蜂窩織炎と壊死性筋膜炎,両者の局所所見はとても似ているが,予後も対応も大違いである。そこを鑑別するためにはゲシュタルトを把握する能力が求められる。わたしが働いている精神科では,例えばパーソナリティー障害には特有のオーラとか独特の違和感といったものを伴いがちだが,それを単なる印象とかヤマ勘みたいなものとして排除するのではなく,ゲシュタルトという言葉のもとに自覚的になれば,診察内容にはある種の豊かさが生まれてくるに違いない。ただし「ゲシュタルト診断は万能ではない。白血病の診断などには使いにくいだろう。繰り返すが,万能の診断プロセスは存在しない。ゲシュタルトでいける時は,いける,くらいの謙虚な主張をここではしておきたい」。

 診察という行為は患者が生きる時間の一断面を「たまたま」のぞき込んでいるに過ぎない。症状にせよ検査値にせよ画像にせよ,それらは時間という奥行きや,患者の置かれた文脈(それは状況とか事情とか環境とか立場とか人生とか,いろいろな言葉に置き換え得るだろう)を勘案しなければ意味を持たない。異常値や異常所見が認められることと,だからわれわれが何をすべきかとの間には多くのパラメータが介在するが,ことに「時間の概念を『込み』にしないと,ぼくらはしばしば間違える」。

 この本には,柔軟かつ率直でしかもエネルギッシュな思考を共有する喜びがある。示唆に富み,働くところは異なろうとも著者と同じく自分が臨床医であることを誇らしく思いたくなる力強さがある。これから先,わたしは本書を何度も読み返すことだろう。

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