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サパイラ 身体診察のアートとサイエンス 原書第4版

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身体診察は文化の違いや時代を超えた臨床医学のアート。筆者から直接回診で教わっているような語り口を通じて、本書にはPhysical Examinationを賢く経験するための英知、箴言がぎっしり詰まっている。「学生を含めすべての臨床医にマッチする教科書」「記述の広さと深さは類書の追随を許さないバイブル」と賛辞を集める名著を当代きってのエキスパートたちが監訳。待望の日本語版刊行。 ●情報更新
第1版第3刷から、項目数をさらに充実させた索引を掲載しています。
PDF索引(増補版)PDF [B5・28頁 1.2MB]
本データは第1版第1刷(2013年2月15日発行)および第2刷(同年4月1日発行)をご購入いただいた方向けの資料です。
なお、本資料の冊子体のご用意もございます。冊子体をご希望の方は、販売部(TEL:03-3817-5657)までご連絡ください。
原著 Jane M. Orient
監訳 須藤 博 / 藤田 芳郎 / 徳田 安春 / 岩田 健太郎
発行 2013年02月判型:B5頁:900
ISBN 978-4-260-01419-9
定価 13,200円 (本体12,000円+税)
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監訳の序(須藤 博)/第4版の序(Jane M. Orient)

監訳の序
 『Sapira's Art and Science of Physical Diagnosis』は,1989年に初版がSapiraによって書かれ,第2版以降はOrientによって改訂されている.本書はその原書第4版の翻訳である.読者対象は広く学生からベテランの医師までと書かれてはいるが「サイエンスとアート」とタイトルにもあるように,身体診察を学び始める学生が使う入門書とは明らかに趣が違う.言わば対極の存在といってもよい.
 私が初めて本書を手に取ったのは,第2版が出版された2000年の12月であった.写真がほとんどなく,小さい文字でぎっしり書かれた中身を見て,これは敷居が高いぞと感じたものである.序文から読み始めると英語が難解なのに閉口した.各章の冒頭に掲げられているのは,多くが古今東西の文学,歴史書からの引用で,これがまた難しい.本文では,およそ医学に関係がなさそうな項目が次々と登場する.アレキサンドリア図書館,古今の哲学者,シュメール文明…,身体診察の本のはずだが,出てくる写真はミケランジェロの彫刻やルネッサンス時代の絵画,楽譜まで出てくる.いったいこれは何の本だろうかと戸惑う.しかし,少し我慢して(あるいは飛ばしながらでも)読み進めると,そこには面白さに引き込まれずにはいられない広大な世界が広がっている.
 本書の最大の特徴は,この大冊の教科書が単著であること.そして,それと直結するのだが,著者の考え方が非常に色濃く反映された本であることである.かといって独断的なわけではなく記載内容の出典は常に明示され,徴候の感度・特異度にも言及されている.出典が論文だけでなく「どこそこの誰から私は教わった」と個人的な伝聞が非常に多いことも特徴である.まるでSapira先生やOrient先生から直接回診で教わっているように感じられる.その理由の1つは,本書がしばしば「一人称で」語られていることである.本文中において「私(I)」はSapiraのことを指し,「筆者(this author)」とはOrientを指す.常に「誰が」書いているのかを明確にしてある.これは初版から一貫して変わらない.内容については,とにかくご覧いただきたい.その驚くべき広さと深さは,類書の追随をまったく許さない.少し骨が折れるが,まず序文と第1章には必ず目を通していただきたい.現代の米国の医療システムや医学教育に対する著者の嘆きと怒り,それでも過去から伝えられてきた先達の英知を次の世代へ伝えなければならないという著者(Sapira, Orient)の,本書に貫かれた渾身のメッセージが込められている.
 そして極め付けとも言えるもう1つの特徴は,ときに毒舌とでも言えるほどの批判的精神に満ちた独特の語り口である.まさに無数の「箴言」にあふれている.それらは本文だけでなく,ときに小さな脚注のなかに隠されている,これらの毒に満ちたユーモア,いわば「お宝」を発見する楽しみもある.
 以前から原書に触れている先生方には,日本語で読めることの喜びを感じていただきたい.原書の独特の語り口を何とか伝えるべく最大の努力を払ったつもりだが,成功したかどうかはご批判を仰ぎたい.また初めてSapiraに触れる方も,可能ならぜひ原書を手に取って読んでみることをお勧めする.
 “The art of medicine is in observation.” とはSir William Oslerの有名な言葉である.私が最も好きなもう1つの言葉は,“The value of experience is not in seeing much,but in seeing wisely.” である.Oslerがいう「観察というアート」を「賢く経験」するための英知が本書には,ぎっしり詰まっている.この希代の名著を,ようやくお届けできることを素直に喜びたい.皆さんも本書を手引きにして,身体診察という知的興奮に満ちた広大な海への航海に出ていただきたい.苦労も伴うかもしれないが,それに見合うだけの,いやそれ以上の楽しさや見返りが得られること請け合いである.
 本書を読み通すのは日本語であっても容易ではない.むしろ最初は辞書的に興味のあるところから読み始めるのがいいだろう.余裕があれば,その前後を拾い読みしてもよい.ときにびっくりするようなパールを発見するかもしれない.そこから身体診察の奥深さを知ることになる.訳者の先生方の苦労の結晶である数々の訳注は,大きな助けになるだろう.クセのある原書の文章には,訳者一同かなり苦労した.翻訳に誤謬があったとすればわれわれ監訳者の責任である.ぜひ,忌憚ないご意見をいただければ幸いである.
 本書の完成までには,本当に多くの方々にお世話になった.難解な本書に取り組まれた訳者の先生方(そしてそのために多くの時間を奪われたであろう先生方のご家族)に,また校正の段階でご協力いただいた山崎直仁,駒形浩史,野田一成,土肥栄祐の各先生に,そして貴重な経験を収載することをご許可いただいた沖 隆先生に深謝したい.医学書院の西村僚一氏には,企画の段階から二人三脚のように本当に支えていただいた.そして何より身体診察を学び続ける気持ちの原動力となった,これまで出会ったすべての患者さんに感謝します.最後に,この2年間以上にわたり多大なる時間を割くことに理解を示し協力してくれた家族に感謝します.ありがとう.

 2012年12月
 監訳者を代表して
 須藤 博


第4版の序

第1議会の議員たちが,内側の権威よりも外側の権威を優先した日から,すなわち理性や道徳よりも議会の決定こそが重要かつ神聖なものと認めた日からなのだ.まさにその時から,何百万もの人間を喪失させ,今日まで彼らに不幸な労働を強い続ける偽りが始まったのだ.

レフ・トルストイ 訳注1)
訳注1) Leo Tolstoy(1828-1910年),ロシアの小説家,思想家.

 この教科書の初版が出版されてから,医療の世界では急激な大変革が起こった.最近は病院の会議に出席すると驚くばかりだ.大変革前の医師によってかつて教えられていた医学と,コンプライアンス至上主義でMBA資格を持った「メディカルディレクター」によってコード化された現在の医学は,まったく違ったものになってしまった.筆者は,彼女はタイムマシンに乗って会議に来たのではないかと感じてしまう.
 新しい「統合されたデリバリーシステム」では,保険会社に管理されたカルテが,支配的である.医師は,厳しく規定されたカテゴリーという狭い箱の中に,患者のすぐ上に積み重ねられて,カルテで上から蓋をされるようにして押し込められている.いわば医師は患者(今では「保険でカバーされる命」と表される)と一緒になって「医療損失率」を形成しているわけだ 訳注2).

訳注2) まずカルテ(診断名,コード名)が最優先して,その制限のもとに医師が患者とともに狭いカテゴリーにぎゅうぎゅう押し込められているというイメージの比喩か.
 医療損失とは,米国の保険会社の経営用語で,加入者から集めた保険料100のうち,どれだけの割合を実際の患者の医療費に使うかという数字.医療損失が85を超えるとウォール・ストリートで「経営が下手」と評価され株価が下がってしまうので,保険会社にとって,医療損失を下げる(=患者の医療に使う金をできるだけケチる)ことが経営の一大目標となる.
 日本の医療が米国の後を追っていると言われて久しい.こんな状況で仕事をするようになるのは,できればご勘弁願いたいものである.

 まったくもって逆説の世界である.今や「倫理」について話すことは,一般には,「リソースをどう割り振るか」ということであり,以前ならたいていは非倫理的と呼ばれていたことである.人は情報の海に溺れているが,鍵となる知恵は失われてしまった.医療施設と医療従事者は過剰に存在するが,それでもまだ不足しているものもある.
 この世で最も足りないものは臨床医の時間だろう.文献を検索するのにたった30秒でも長いくらいだ.状況によっては,右耳をケガした患者の左耳を診る時間すらないかもしれない.ましてや患者の悲しみや絶望に耳を傾けることなど,どだい無理な話だ.今日のマネージドケアのプロバイダーは,いつになったら立ち止まって内省することができるというのだろう.
 このような考え方は,例えば「シックス・シグマ品質」(エラーを正規分布の平均から6標準偏差以下にすることが目標)などのように,工業分野から導入されたものである 訳注3).これは100万人に3.4人を除くすべての患者は,ある指針に従ってもらうことになっていることを意味する.具体的に例えれば,個人のニーズや要望などおかまいなしに,決められた時期にはパップスメアとかマンモグラムを行うといったことだ.

訳注3) シックス・シグマの語源は,統計学で標準偏差を意味するσである.ある品質特性値が(平均値μ,標準偏差σ)の正規分布に従うと仮定する.6σの状態とは,「品質特性値がμ±6σの範囲の外に出る確率は100万分の3.4である」という状態である.すなわち,ある工程で100万個の製品を組み立てて3.4個の不良品(ばらつき)が生じる.「100万回の作業を実施しても不良品の発生率を3.4回に抑える」ことへのスローガンとしてシックス・シグマという言葉が使われ,定着していった.

 工業分野における品質管理の専門家なら,資金の調達なしに生産管理などできないことは,よく認識しているはずである(このことを医療政策の専門家はまず認めようとしない).たとえ患者と医師の行動を管理できたとしても,人間は工場で鋳型から打ち出される製品のように画一的ではないという問題が残る.たとえ遺伝的に受け継がれた特徴が似通っていても,個々の人間は世界とそれぞれ違ったかかわりを持ってきたのだ.
 医学におけるアートが失われつつあるように,科学もまた危機に瀕している.「根拠に基づいた」医療は,専門家の委員会によるコンセンサスに基づくことを意味するようになった.この委員会はプロイセンの多くの頭があって(心など持たない)Geheim Rathみたいなものだ 訳注4).臨床推論は,こまかに規定された診療「ガイドライン」に従うことに置き換わり,診断は,適切な手技コードにくっつけられた意味ありげな5桁の数字だ(最初の1桁目がいい加減でも誰も気にかけない).真実を求めるための祭壇(解剖台)は取り壊されようとしている.

訳注4) Geheim Rathは秘密結社.

 役所がいう質の評価は,ほとんど常に,血圧測定の回数とか,本日おすすめの薬剤処方といった(コンプライアンスどおりの)作業を評価基準にしており,総死亡率とか,患者の身体機能の保持,といったアウトカムを評価基準にしていない.ダッシュボードに「継続的な質の改善」などと掲げられていても,患者のケアの最前線にいるほとんど誰もが,米国の医学とヘルスケアは衰退の道をたどっていると考えている.
 それではなぜ,本書の新しい版を出すのか.
 「ヘルスケア・デリバリー」という恐竜であっても,そして非人間的なシステムが失敗したずっと後であっても,医学というものは生き残って繁栄していく生物であるからだ.そして単なるプロバイダーや,ゲートキーパーやリソース管理者やチェックボックスに印をつけるだけの存在ではなく,真の医師になろうとする学生たちがまだいるからである.医学が工業などではなく,人間そのもの,あるいは人間的な営みであると考えている人たちがいるからである.本書は彼らにとっての羅針盤や,道しるべの地図を提供するために,そして身体診察という知的興奮に満ちた旅への船出に際して,おそらくは少しばかりの楽しみを提供するためにある.彼らの最も重要な教師,すなわち患者とともに.
 学生は身体診察という分野にはじめて足を踏み入れた時,学ぶべき情報があまりに膨大なことにしばしば打ちのめされるように感じる.そんな時に,最も役に立つ助言がある.1957年に神経内科医であるRobert Wartenbergが残した次の言葉だ.「神経学的診断の誤りは,そのことに十分な知識がなかったからではなく,十分に診ようとしなかったから起こるのである」.
 
 Jane M. Orient, M.D., 2009

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監訳の序
第4版の序
初版の序
謝辞

1章 序論
2章 医療面接
3章 病歴
4章 記録
5章 全身状態
6章 バイタルサイン
7章 皮膚,毛,爪
8章 リンパ節
9章 頭部
10章 眼
11章 耳
12章 鼻
13章 口腔(中咽頭)
14章 頸部
15章 乳房
16章 胸部
17章 心臓
18章 動脈
19章 静脈
20章 腹部
21章 男性器
22章 女性器
23章 直腸
24章 四肢
25章 筋骨格系
26章 神経
27章 臨床推論
28章 臨床検査のコツ
29章 文献

索引

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医師の原点へ,患者との信頼構築の基本
書評者: 黒川 清 (政策研究大学院大教授/日本医療政策機構代表理事/東大名誉教授)
 本書はサパイラDr. Joseph D. Sapiraによる“Sapira’s Art & Science of Bedside Diagnosis”の第4版(2009)の邦訳である。1989年の初版以後,原書はDr. Jane M. Orientによって著されている。不思議な本と感じるかもしれないが,臨床の神髄,醍醐味〈だいごみ〉が盛り込まれている。臨床の基本を患者との関係性(診る,聞く,話す,触る)から始め,記録し,分析する——。単なる臨床診断学というよりは,長い歴史の上に蓄積された経験値を論理的に考える過程で構築されてきた,医師と患者の「信頼」の歴史をひもといているのだ。

 現在の臨床の現場では,えてして「効率,コスト,検査」から始まり,ともすれば患者不在の「検査データに基づく現代風デジタル診療」と指摘される。そこから患者と医師の「信頼」関係が薄れ,医療事故や訴訟などへ発展するかもしれないと不安な,医学生,研修の現場への応援の書ともいえる。臨床は「アートとサイエンス」の神髄の伝統であり,その伝統を自分自身も継承してきた優れた先輩医師の気持ちだろう。これが良い伝統を次の世代へと受け渡す「好循環」の基本なのだ。このあたりが,このサパイラ本の面目躍如というか,他の臨床診断学の教科書と違っているところだ。

 では,この本をどう生かすか。まずは1章,2章を読んでみる。その先の章も折に触れて目を通してみることをお勧めする。臨床の基本が実に細かく丁寧に書いてある。そして各章とも面白い。奇妙な図,古い写真などがいくつも出てくる。この本の最後,29章の文献の解説も面白い。診察の基本はあまり変わっていないことがわかるだろう。

 臨床の現場で患者さんを「診て,聞き,話し,触り」ながら,診察を進める,仲間と議論してみる,相当する所見についてこの本に目を通してみる,そこで学んだ事項をまた患者さんの観察へ戻してみる。病態生理,診断,検査ほかのことは,その時その時に,日本語,英語の教科書,専門書,そして英語,邦訳のハリソン,またUpToDateなどを読んでみることだ。そのプロセスを繰り返すことで,臨床現場の経験は生きてくる,自分の血となり肉となって,知的好奇心に満ちた,経験豊かな医師に成長していく。自分の知識ばかりではなく,論理的に臨床を理解し,患者さんと交流を繰り返すことで,臨床の伝統と醍醐味を継承する医師へ成長していく。このような患者との交流と,医師の「手のタッチ」1)が,医師と患者の「信頼」の根幹にある。そのような医師と患者の間の本来の伝統を引き継いでいってほしいということが,サパイラ先生が本書を執筆するに至った動機なのだ。

 本書は,これからの臨床現場でもっと大事なことを教えてくれるのではないか。20世紀の科学・技術の進歩は人類の歴史でも極めて輝かしい大きな成果を上げた。20世紀初めの1901年に始まったノーベル受賞者のリストを見てみれば,その急速な進歩と社会へのインパクトは驚くばかりであろう。医療も例外でない。この50年ほどのことだが,私たちは大きな恩恵を受けてきた。だが一方で,この恩恵を最も大きく受けてきた先進国の医療の現場では,高齢社会,生活習慣病など慢性疾患,貧富の差の拡大,公的資金の欠乏から,医療制度改革はどの国でも大きな政治問題になっている。

 医師のあり方が専門医中心へと進歩したものこの50年のことだ。だが社会から見れば医療現場では専門医より「家庭医,総合内科医,プライマリ・ケア」が中心になる時代へと変わり始めている。専門医志向で進んできた医師の在り方の転換もなかなか難しい。医療制度改革はどの国でも大きな社会的・政治的課題なのだ。さらに医師であることが社会的に高い信頼と地位の高いものであった時代も変わりつつある。

 デジタル技術の広がりは素晴らしいが,医師と患者の間の「信頼」は,医師の「診る,聞く,話す,触る」にこそある。それは時代を超えた,人間と人間の関係なのだ。「これこそ医師としての価値の中心であり,『知的職業』としての医師の醍醐味ではないのか」と問いかけている。それがサパイラのこの本なのだ。

 これを訳そうと企画し,実行した須藤博さんをはじめとする監訳者たちと,この大変な事業に参加してくれた皆さんに感謝している。

1)‘A Doctor’s Touch’
http://www.ted.com/talks/abraham_verghese_a_doctor_s_touch.html
知性そのものが刺激される身体診察のバイブル
書評者: 松村 理司 (医療法人社団洛和会総長)
 翻訳中とは聞き及んでいたが,思いのほか早く出版されたので驚いている。早速散読させてもらった。誠に慶賀にたえない。理由はいくつかある。第一には,身体診察のバイブルである。万事に考察が幅広く,深い。第二に,もともとはサパイラ先生の単著である。つまり,1990年の初版は,米国における「悪しき検査主義」に抗し続けた先生の魂魄〈こんぱく〉の書であった。第三に,内容を新しくする努力が継続されている。すなわち,第2版以降はオリエント先生(初版から関与)たちによって斬新さが保たれて,今日の第4版にまで至っている。したがって,1990年代以降のEBMの成果も盛られている。第四に,日本語なので何といっても読みやすい。原著の英語は医学書にしてはかなり歯応えがある。人を食ったようにしゃべられることの多いサパイラ先生ならではだが,「米国の研修医の英語の水準では,ちょっと難しい」。第五に,あちこちで「サパイラ節」が炸裂していることである。個人的思い出あり,医学の歴史の叙述あり,さらには文学の挿入ありという風に。ただし,これには異論もあるだろう。初学者向きではないし,医学書は簡潔を旨とすべきだからである。第六に,この方面に造詣の深い,しかも練達の英語の読み手を訳者として多数集められたことである。数多くの訳注は,各訳者の努力を物語る。監訳者の尽力も透けて見える。よりこなれた訳出のためには数名だけの手になるのが理想だが,さすがにそれは高望みであろう。

 サパイラ先生の医者人生と還暦での引退が,米国でのH&P(history taking & physical examination;病歴聴取と身体診察)の消長を裏打ちするのは,「初版の序」からも伺える。1936年生まれの先生は,61年にピッツバーグ大学医学部を超優等で卒業。根っからの一般内科医なのだが,身体診察研究者としても頭角を現され,全米中で活躍された。私は90年代の中ごろにお付き合いをしたのだが,60年代初頭の米国の内科の臨床・教育のまとまりをしきりに懐かしがっておられた。専門分化に伴う知識の分断化に対する憂いは,実に深かった。

 「過去30年間のH&Pの不在ほど嘆かわしいものも,そう多くはありません。どこへ行っても,一人の内科患者に十人の専門医が群がってきて,あれこれ言ってお金をふんだくっているだけじゃないですか。『どうして研修医を呼ばないのか?』の連発ではあまりに芸がありません」。

 本書は,身体診察に関する卓越した,重厚な辞書である。普通の医学生にはちょっと難しすぎる。忙しい研修医が,診察上の疑問を解消するために斜め読みできる代物でもない。しかし,たまに時間があるときに任意の箇所をめくってみると,個々の記載に大いに啓発される。そして,この方面の指導医がじっくり読めば,知性そのものが刺激されることにも疑いはない。
身体診察が見直される今こそ手にとってほしい1冊
書評者: 青木 眞 (感染症コンサルタント)
◆身体診察の今日的意義

 本書を手に取った瞬間,最初に強く意識させられるもの,それは決してその難解な医学史的考証やラテン語文法の記載ではなく「南部」(米国南部)である。サパイラ自身が研修医時代を過ごした南部には独特の時間が流れている。それは北東部の競い合うような荒々しい速さとは極めて異質な,どちらかと言えば湿度の高い緩やかに変化する時間とでも言おうか。

 本書は序文から「現代医療に最も不足しているもの。それは時間である」と指摘する。外来患者が午前中だけで20~30名(診察時間は1人平均5分あれば御の字)であり,スピードとテクノロジーが好まれ,情報がアナログからデジタルに変わって失われたものへの思いが薄く,医学部を平然と理系とする日本。このような国で,習得に多大な時間と忍耐・労力を要し,得られる所見の普遍性や境界の鮮明さに安定感を欠きやすい身体診察の本が,そして患者の訴えの背景にある人生に思いを馳せることを説く本書がどのように受け入れられるか。これが評者の最初の懸念であった。しかし繊細な人間関係・師弟関係を重視し,収入や利権と無関係に向学心・向上心が高く,経験値が物言う職人芸を愛し,その伝統・伝承を重視する日本の文化は南部的身体診察の文化と重なりも大きいと気付いた。もちろん肺炎には全例胸部CTなどという贅沢を続けさせる経済力に陰りが見え,身体診察が見直されるべき時期に日本が置かれている事は別としても……。

◆丁寧・詳細・謙虚な内容

 ある意味,全く媚びる気配がない本である。Pearlとすべきものは随所にあるが,日本人の感性ではついていけない(翻訳者でさえ辟易する)ラテン語文法上のこだわりなどの中に埋もれており簡単に見つけることはできない。一種,気むずかしい師匠と日常生活を共にしながら少しずつ学ぶがごとく読み進むのである。しかし,その中で得るものは少なくない。紙面の関係で一部のみ紹介すると……。

 1)体重減少(p85)
 ・往々にして「味覚低下」から始まり,二次的に食欲が低下し体重減少につながっている。
 →単純にがんや結核などを考えるだけでなく,味覚異常の有無を聞き,その原因なども考慮すべきということか……。
 ・また単純に「体重減少」とするのではなくベルトの穴と穴の距離や,各穴の古さで,体重減少の程度や速度がわかる。

 2)虹彩炎と結膜炎の鑑別(p252)
 ・片目を閉じて開眼側に光を当てる。閉じた側の眼に痛み=虹彩炎の可能性:Au-Henkind試験。
 →評者は梅毒を扱う機会が多く,二期梅毒患者も少なからずいるので,その1割程度は合併する虹彩炎の診断に早速使う予定。

◆これからの医療を考えるヒントに

 この20年間,日本の医学教育に深い関心・関係をもってきたカリフォルニア大学サンフランシスコ校のローレンス・ティアニー教授は,研修医やスタッフを採用するにあたり南部で訓練された者を好む。丁寧な病歴と身体所見で真実に迫る総合診療の化身とでもいうべき彼が,南部に特別な敬意を抱いていることは極めて示唆的である。

 本書の8割を読むのに3週間以上かかった。間違っても気軽に「一読をお勧めする」とは言えない大部の本であるが,電子カルテが診療現場から手書きのスケッチなどの繊細な情報を奪い,心臓超音波検査が聴診なら与えられたはずの意思疎通・安心感・敬愛を奪う今日こそ,初学者にも指導医にも手にとっていただく必要のある本である。ぜひEBMと対比させながらGOBSAT〔good old boys(and girls)sat at table and decided. p23〕の箴言・Pearlが与える,使いやすさ,経済性,不思議な権威を噛みしめ,これからの日本独自の医療を考えるヒントにしていただければと思う。

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