その後の不自由
「嵐」のあとを生きる人たち

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暴力などトラウマティックな事件があった“その後”も、専門家がやって来て去って行った“その後”も、当事者たちの生は続く。しかし彼らはなぜ「日常」そのものにつまずいてしまうのか。なぜ援助者を振り回してしまうのか。そんな「不思議な人たち」の生態を、薬物依存の当事者が身を削って書き記した当事者研究の最前線!

*「ケアをひらく」は株式会社医学書院の登録商標です。
シリーズ シリーズ ケアをひらく
上岡 陽江 / 大嶋 栄子
発行 2010年09月判型:A5頁:272
ISBN 978-4-260-01187-7
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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●『シリーズ ケアをひらく』が第73回毎日出版文化賞(企画部門)受賞!
第73回毎日出版文化賞(主催:毎日新聞社)が2019年11月3日に発表となり、『シリーズ ケアをひらく』が「企画部門」に選出されました。同賞は1947年に創設され、毎年優れた著作物や出版活動を顕彰するもので、「文学・芸術部門」「人文・社会部門」「自然科学部門」「企画部門」の4部門ごとに選出されます。同賞の詳細情報はこちら(毎日新聞社ウェブサイトへ)

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はじめに

 ダルク女性ハウスで二週間のフィールドワークをおこなったのは二〇〇三年冬のことである。私(大嶋)はその前年に札幌で「それいゆ」という女性のための施設を立ち上げたばかりで、薬物依存症の当事者であり施設長でもある上岡陽江さんの実践に学ぼうと思ったのだ。
 当時、ダルク女性ハウスは荒川区の町屋にあった。まだ下町情緒の残るその道をメンバーと歩きながら感じた、かさかさとした寒さが今も記憶の底にある。その後何度も上岡さんやメンバーから聞き取り調査をおこない、そのたびにダルク女性ハウスに寝泊まりさせてもらうおつきあいが続いた。
 彼女たちに話を聞くなかで、あるいは精神科病院や女子刑務所での出会いを通じて、多くの女性たちが理不尽な体験を生き延びる自己対処としてアルコールや薬物を使っていることを知った。そして、そのような自分自身を深く恥じていることも知った。
 罪悪感と恥の感覚は事態をさらなる悪循環に誘い込み、彼女たちが表出する“症状という言葉”は他者を巻き込む。そこで付けられた「依存症」「境界性パーソナリティ障害」といった診断名は、彼女たちを救うどころか“厄介者”のレッテルとして機能する。再発すれば“恥知らず”の代名詞として使われる。
 しかし、「女性嗜癖者の回復は難しい」などとわかったような顔で解説する前に、何が彼女たちの回復を難しくしているのかを探る必要があるのではないだろうか。

 本書は、暴力をはじめとする理不尽な体験そのものを生き延びたその後、今度は生きつづけるためにさまざまな不自由をかかえる人たちの現実を描いている。
 上岡さん自身がそのように生きてきた当事者であり、同時に彼女たちの支援にも携わっている。私は精神科医療現場でソーシャルワーカーとして仕事を始め、その後民間カウンセリングルームや地域の社会復帰施設を経て、みずからが施設を立ち上げて現在に至る。
 このように違う立場ではあるが、ふたりには共通点がある。第一に彼女たちの体験を特別な人に起こった特別なことと見なさずに、いくつかの条件が重なってしまうときに誰にでも起こりうると考えていること。第二に「当たり前に生活が送れる」ような変化は、長い時間経過のなかでしか起こらないと知っていること。第三に、だからこそ支援する人たちにも疲れや諦めが出やすいので、援助者自身が多くのサポーターをもつことを勧め、みずからも実践していることである。
 本書はまた、理不尽な体験を生き延びている渦中のご本人が読んでくれることも想定して書かれている。日々の暮らしのなかで、きっと普通にできるはずと自分では感じることが思うようにならずに、苦労されているのではないか。そんな経験の全部というわけではないけれど、ここに書かれている具体的エピソードのいくつかに“自分”を見つけてくれたらいいなと思う。いまは出会っていなくとも、必ずつながっていける誰かがいるはずである。
 上岡さんも私も、これまでつきあってきたたくさんの「その後の不自由」を生きる人たちを思い浮かべながら本書を書いた。彼女たちの、症状にかき消されがちな言葉を、ひとりでも多くの人に届けられたらうれしい。

 大嶋栄子

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 はじめに

1 私たちはなぜ寂しいのか
 1 境界線を壊されて育つということ
 2 境界線を壊された子どもは何を感じるようになるか
 3 「健康な人」に出会うとなぜか寂しい
 4 援助者に対してもニコイチを求めてしまう
 5 私たちにとって「回復」とは
 6 相談する相手が変わるとトラブルの質が変わる
 7 回復には段階がある
 focus-1 回復しても「大不満」!?

2 自傷からグチへ
 1 相談はなぜ難しいのか
 2 相談といっても実はいろいろある
 3 閉じられたグチは危険
 4 グチにも効用があるらしい
 5 開かれたグチを正当化しよう
 focus-2 同じ話を心の中で落ちるまで話せ

3 生理のあるカラダとつきあう術
 1 なぜ「生理」をテーマに選んだのか
 2 研究の方法
 3 研究の結果
 4 生理と向き合うことでわかったこと
 5 生身はつらい!
 focus-3 なぜ怒りが出てくるのか?

4 「その後の不自由」を生き延びるということ Kさんの聞き取りから
 focus-4 「普通の生活」を手助けしてほしい

5 生き延びるための10のキーワード
 1 身体に埋め込まれた記憶
 2 メンテナンス疲れ
 3 遊ぶ
 4 時間の軸
 5 “はずれ者”として生きる
 6 人間関係のテロリスト
 7 セックス
 8 流浪のひと
 9 だるさについて
 10 それでも希望について
 focus-5 トラウマは深く話しても楽にならないし、解決もしない

6 対談 では援助者はどうしたらいい? 上岡陽江×大嶋栄子
 援助者に出会うまでには長いプロセスがある
 「電話してね」と言っても電話がこない理由
 テレパシーで伝わると思っている
 自己覚知はフィードバックから
 「迷惑」じゃなくて「痛い」んだ
 消え入りたい思い
 「あなたは悪くない」は難しい
 失望する必要はない
 とにかく生き延びろ!

 あとがき

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●新聞で紹介されました
《生きることに苦しんだ人の言葉は、読む者の胸に染み透り、納得と救いをもたらす。……世の人々は、この事実を知らなければならない。》――冲藤典子(ノンフィクション作家)
(『北海道新聞』2010年11月14日朝刊より)

●雑誌で紹介されました
《本書には、複雑性トラウマの当事者の体験世界がこれでもかというほど、押し込められている。…そだちおよびこころの臨床に従事する専門家にとって必読の書である。》――杉山登志郎(精神科医)
(『こころの科学』2014年9月号 通巻117号より)


「なんでできるの?」と「なんでできないの?」をつなぐ本
書評者: 宮地 尚子 (一橋大大学院教授・精神医学)

 黄色と青のコントラストの装丁がいい。図や挿絵,表紙の写真がいい。まずそう思った。内容がいいことはわかっていた。前半の数章は,以前「精神看護」誌に掲載されたときに読んで「うわーっ!」と思って,友人に紹介したり,患者さんにコピーをあげたり,大学院の講義で使ったりしたからだ。

 この本は,ダルク女性ハウスで薬物依存症の女性たちに長年かかわってきた上岡陽江さんと,DVや性暴力被害者のためのシェルターを運営している大嶋栄子さんが二人で,トラウマを受けた女性の回復のあり方を,当事者の目線から描いた本である。

 「サバイバー」という言葉はよく使われるが,それが「嵐」をなんとか生き延びた人という意味だけではなくて,「嵐」のあとを生き続ける人だということは,あまり理解されていない。「嵐」はあとに,がれきや溝やさまざまな爪痕を残していく。そういう「残骸」の中を生き続けるのは,「嵐」を生き延びるより,終わり(ゴール)がないだけにつらいことも多い。まさに「その後の不自由」。タイトルどおりである。

 生き続けるのは,苦しい。自傷や薬物で飛ばしていた現実感や身体感覚が戻ってきて,「なまみのからだ」を生きなければいけない。しかも,しみついた恐怖や自己否定感と,過去の苦しい記憶のフラッシュバック付きで。「なまみーず」(註:「生身はつらい」から派生し,ダルク女性ハウスで用いられる呼称)には生理もあれば,頭痛・肩こりもある。「もうそろそろ忘れたら?」とか「いいかげん普通の生活してよ」とか「いつまで,あれもこれもできないって言ってんの?」とか,周囲からプレッシャーをかけられるちょうどその頃,深~いうつや,だるさが襲う。

 彼女たちの回復を支援する人たちも大変である。まじめな支援者ほど息切れするだろう。溝を感じるだろう。「なぜよくならないの? 私がこんなにがんばって支援しているのに」「なんでこれくらいのことができないの? 後で自分が困ることはわかってるのに」「なぜこれくらいですぐめげちゃうの? 励ましてるだけなのに」「なぜいきなり怒りだしちゃうの? こっちは悪気なんてないのに」と。一方,当事者たちも,「なんで“そんな簡単なこと”って言うの? 普通の人はそんな簡単にできるものなの? ラクに生きられるものなの?」「なんでそんなに責めるの?」と,一生懸命やってくれる支援者に戸惑い,苦しくなって,ためこんで,爆発する。

 この本は,そんな当事者の「なんでできるの?」と,支援者の「なんでできないの?」とをつなぐ本でもある。例えば,ノーを言うこと,自分の身を守ること,危ない人には近づかないこと,時と場所にかなった服装をすること。「普通の人」には簡単なはずのそんなことが,彼女たちにとっては,富士山に登れと言われているみたいに聞こえる。けれども,彼女たちが身に付け(させられ)てきた暗黙の前提や人との距離感(のなさ)を,「わたしたちはなぜ寂しいのか」の章のように説明されたら,支援者も彼女たちを見守ることや待つことがもっとラクになる。思い通りにいかなくても,自分を責めたり,相手を責めたりしなくなる。

 傷つきながら育ってきた人たちの対人的距離について,これまでこのようにわかりやすく書かれたものがあっただろうか? 生理と精神症状と行動の変化について真正面からとりあげ,すぐに役立つ対処法を示したものが精神医学関係の本にあっただろうか? 精神分析にあっただろうか? これまでの専門的知が男性中心主義的なものだったことは周知の事実だが,まさに何が欠けていたのかをこの本は見せてくれる。

 当事者であるKさんからの聞き取りは,貴重な証言である。多くの人が「ドン引き」するものかもしれない。けれども,この話を読んで救われる当事者もたくさんいるはずだ。似たような被害を受けながら,「ドン引き」されるから誰にも言えなかったり,実際に言ってみて「ドン引き」されてしまって,こんな目に遭うのは自分だけだと思ってきた人たち。でもKさんの加害者のようにひどいことをする人間は,残念ながらこの世の中にたくさんいる。不潔恐怖もパニック発作も,そりゃあ,出ないほうが不思議だろうと思う。でもKさんは確実に回復しつつある。上岡さんは,Kさんの話を公にするのはちょうど今だと思ったと書いている。時期をちゃんと選んでいるのだ。長い経過を知ってくれている人がいるからこそ,Kさんのこの語りはある。

 この本は,全編フラバ(フラッシュバック)注意である。が,それがどうした。フラバの起きない当事者本なんてある? 私はあえて,そう言いたい。特にこの本は,フラバを起こしても安全だと思う。それくらい包容力がある。フラバを起こしながらも,手足のどこかを現実にとどめておくことができる。でも,安心できる仲間やパートナーや支援者と読むと,もっと安全で効果的だろう。だから支援者の人もまずは自分で読んで,それから当事者の人にも安心して勧めてあげてほしい。

 従来の精神病理学や精神分析学にへばりついていたい専門家は,読まないほうがいいかもしれない。女性の精神を病理化するこれまでの理論が崩れてしまうから。「なまみのからだ」抜きでしか成り立たない、机上の空論で遊んでいてください。その間に当事者たちが言葉を紡ぎ始めます。語り合い始めます。理論を作り始めます。それを邪魔しないでください。

 頭の柔らかい人は大丈夫! 読んでびっくりして,それからしみじみ納得しましょう。かくいう私も,まだまだ驚きと納得のさなかです。


生き延びるための本が、ここにある。――書店員からの手紙
書評者:内藤 聖子 (紀伊國屋書店新宿本店・心理学書コーナー担当)

 書店や出版業界の方ならお分かりになるかと思うが、たいていの新刊は薄茶紙に10冊ほどのまとまった数ごと梱包されている。この「ケアをひらく」シリーズの新刊である『その後の不自由』について事前に何の情報も持ち合わせていなかった私は、ある日やってきたその薄茶紙の梱包を解き、タイトルを見てしばし戸惑った。

――『その後の不自由』の「その」って何? 「不自由」って何?

 その疑念は私の心を直ぐに捉えて離さない。飛んで火にいる夏の虫、とはこのことだ。私はまんまとこの本の魔手にかかったのだ!

「女性性」へのアプローチに目を見張る
 なぜ私があんなにも息苦しかったのか、なぜ他人の責任を取ることに使命感を抱いていたのか、なぜ何事よりも彼を優先していたのか、なぜ友達の意見が冷たく感じたのか、なぜ孤独が痛いほど身に沁みるのか。そして今なぜ変化を恐れているのか――。

 私は真面目で親切な書店員のフリをしているが、実は「共依存」であり、「うつ病」である。だから厳密には、本書で対象とされている依存症当事者とはいえず、その援助者でもない。しかしその周縁に位置している者として、私がここ幾年かの体験のなかで抱き、突きつけられ、直面せざるを得なかった、これらの「なぜ」への答えがここにあった。

 本書は、薬物依存症の当事者であり「ダルク女性ハウス」の施設長でもある上岡陽江氏と、ソーシャルワーカーでありカウンセリングルームや社会復帰施設「それいゆ」を運営している大嶋栄子氏の共著である……と簡単に紹介してしまうと取りこぼしてしまう、傑出した独自性や刮目すべき実践が、ここにはふんだんに盛り込まれている。とりわけ、その「女性性」に特化した彼女たちの取り組みには蒙が啓かれた。

カラダとつきあい、《ふつう》を獲得する術
 なかんずく第3章の「生理のあるカラダとつきあう術」、この章での取り組みは、数ある当事者研究のなかでも類を見ないほど傑出している。女性が毎月迎える生理とそれに伴う体調や気分の変化は、至極当たり前のようでいて、依存症者たちにとってはどこかに置いてきてしまった出来事なのだ。

 生理をテーマに選び、その研究を行うことで、当事者たちは「カラダとつきあう練習」をした。これがいかに意義深いことか。なぜなら、《ふつう》が依存症者の彼女たちにとっては抽象的な概念でしかなかったから。

 彼女たちは入浴や掃除、炊事といった、いわゆる「日常生活」や、誕生会やお正月などの行事を通じて《ふつう》を具体化させた。そのなかで少しずつ自分をケアする方法を獲得していく。すなわち、生き延びる術を身につけたのだ。

 私の手元にある薄茶紙を脱皮した本書は、色とりどりのマーカーとたくさんの付箋に彩られた「わたしだけの本」へとすっかり変貌を遂げた。本書を携えつつ、これからも何とか生き延びていければと思っている。願わくは、ほうぼうで今も自らの心身に翻弄されつつ生きる困難を抱えている依存症当事者のみなさんやそのご家族、援助者の方々にもこの本を伝播させたい。生き延びるための本が、ここにある。そのことを伝えたくて、私は今日も、真面目で親切な書店員のフリをするのだ。


「ちょっと寂しい」に耐えるために
書評者:津田 篤太郎 (JR東京総合病院/北里大東洋医学総合研究所)

愛という名の“ひと依存症”
 いつぞや,作家の野坂昭如さんが,新聞のコラムか何かで,「ひとは,何かに依存して生きていかないといけない。酒や薬物にはまるひともいれば,国家やイデオロギーに心酔するひともいる。一番罪がないのは,ひとに依存することではないか?」というようなことを書いていた。つい先日,救急外来に急性アルコール中毒で若い女性が運び込まれ,夜中の2時ごろにもかかわらず,彼氏が駆けつけて,朝までまんじりともせず,ベッドサイドで手を握っていた。それを見た救急の看護婦が「愛だねぇ……」とつぶやいていた。

 薬物依存症,ギャンブル依存症,買い物依存症……たくさんの種類の依存症があるが,私は“ひと依存症”なるものもある,と思っている。ひとに対する依存は,モノに対する依存より,人々に警戒心を起こさせないようである。それどころか,「愛」という言葉に置き換えられて,しばしば賞揚の対象にさえなっている。

 昔の日本人は「愛」という言葉をたやすく口にしなかった。仏教では「貪愛」などと,むしろマイナスイメージで使われており,キリスト教伝来のころも,「神の愛」とは訳さず,「お大切」と言っていたそうである。

「ニコイチ」だから裏切られる
 本書で目を見張ったのは,モノへの依存の前に,ひとへの依存が形づくられているということを,非常に明快に説明しているところである。家庭内で母親が孤立し,病気や経済的問題などトラブルをかかえ,子どもに依存するようになると,子どもは「境界線を壊されて育つ」。すなわち,他者とぴったり重なり合う関係を,対人関係の雛形として人生の最初期に刷り込まれてしまう。この対人関係の雛形を著者は「ニコイチ」と名付けている。ニコイチすなわち「二つで一つ」である。

 このニコイチは,傍目にはラブラブに見えたり,または献身的なまでの面倒見のよさと映ったりする。が,実は極めて不安定である。他者と常時「ぴったり重なり合う」ことなど本来不可能であり,少しでもズレを感じると,裏切りにあった! と感じてしまう。“ひと依存”の人は,この裏切られ体験を何度となく重ねているので,慢性的な空虚感にさいなまれており,それがついには薬物や自傷行動の方向へ背中を押してしまうことがある。

特別な人の特別な話ではない
 私の臨床的実感では,クスリに手を出すまではいかないけれども,“ひと依存”にはなっている人はかなり多い。たとえば,ひところよく言われた,一卵性母娘というような関係にも,ややニコイチ的な側面があるのではないだろうか。すべての一卵性母娘が病的でないにしろ,娘が嫁に行った途端,母親が「空の巣症候群」で鬱々となったり,新居に押しかけて何かと干渉する困ったお姑さんと化してしまったりすることは珍しくない。

 結婚をきっかけに,新しい母娘関係を模索するとき,著者のいう「“ちょっと寂しい”がちょうどいい」という気づきは,大きなヒントを与えてくれるはずだ。「閉じられたグチより開かれたグチ」というのもしかりで,この本にはニコイチ脱却のための智恵が詰まっている。

 本書『その後の不自由』は,その表題の通り,モノ依存にどうにか折り合いをつけても,その基底をなす“ひと依存”と向き合っていかなくてはならない事実に重点が置かれている。そういう意味では,第4章に出てくるKさんのような,過酷な人生を背負っている人と,その援助者への応援歌として書かれた本なのであろう。しかし,今まで薬物依存やリストカットとはたまたま縁がなかった人々にも,響くメッセージがあるように思う。

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