悲嘆とグリーフケア

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家族、遺族、およびケアにかかわる看護師自身のグリーフケアをまとめた1冊。好評書『看護カウンセリング』の著者が本書では、個人カウンセリングでの語り、サポートグループでのつながりを通して、答えのない問題と向かい合う。緩和ケアに携わる看護師をはじめ、患者の死、家族の死など人の悲嘆に接するすべての人にお勧めしたい。
広瀬 寛子
発行 2011年02月判型:A5頁:256
ISBN 978-4-260-01216-4
定価 2,640円 (本体2,400円+税)

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 「どうして若い夫が先に逝っちゃったの!」「死別を受け入れるってどういうことなのか教えてほしい!」「運命ってなんですか!」。
 30代の女性がサポートグループに初めて参加したときの叫びです。彼女はこの後、不意に嗚咽した自分自身に戸惑っていました。そんな彼女に、奥様を亡くして彼女より1年も前から参加していた90歳の男性が、こんなふうに語りかけたのです。
 「泣いて涙を流すことが仏に対する供養。ここは泣いていいところ。私もたくさん泣かせてもらった」。
 これは、私が1999年から行っている、がんで家族を亡くした人たちのためのサポートグループでの光景です。

 私は、ナース・カウンセラーとして、主に緩和医療の領域で、患者や家族、遺族、そして看護師の個人カウンセリングとサポートグループに長年携わってきました。
 WHOは緩和ケアの定義の中で、遺族ケアの重要性を謳っています。わが国の緩和ケア関連の学会では、グリーフケアが必ず取り上げられるようになってきました。遺族調査も盛んに行われています。一方、がん患者のサポートグループは随分浸透してきましたが、遺族ケアの実践はまだまだこれからといった感があります。そんな中で、遺族のためのサポートグループを11年間継続していることは、自負できることだと思っています。
 本書は、家族、遺族、そして看護師自身のためのグリーフケアをまとめた本ですが、遺族のサポートグループを始めたいと思っている方にとっては方法論を学ぶことができる本です。私たちのサポートグループは1つのやり方にすぎません。これをたたき台として、皆さんのサポートグループを始めてほしいと思います。そこまで構造的にグループを立ち上げられないけれど、遺族会ならやってみたいという方も、最低限必要なエッセンスを学ぶことができるでしょう。あるいはまた、遺族ケアまで手が回らないという方にとっても、遺族の語りから患者や家族の思いを知ることができ、それによって患者や家族のケアが変化するはずです。
 大切な人を亡くした遺族が回復していく姿はとても感動的です。ここでいう回復とは、元の状態に戻るという意味ではありません。新しい環境に適応していくことであり、死別体験をきっかけに人間的に成長していくことも含んでいます。“recovery”ではなく、“adaptation”なのです。また、resilienceは、昨今「レジリエンス」という言葉でさまざまな領域で聞かれるようになりました。レジリエンスとは、厳しい状況にあっても人間がもつ内的力によってその状況を跳ね返して適応し、立ち直れる力であり、その過程です。悲嘆をマイナスととらえるのではなく、人間的成長の契機として意味づける言葉です。
 本書で「回復」という言葉が出てくる場合は、上述の意味で用いていることをご理解ください。
 また、死別ケア(bereavement care)は海外では最も一般的な用語のようですが、本書では看護師が経験する悲嘆へのケアも含めますので、死別ケアも含むグリーフケアという用語を用いたいと思います。

 ところで、私たち自身はどうやってグリーフケアをしているのでしょう? それどころか、自分たちにグリーフケアが必要なことを認識している看護師はどれだけいるでしょう?
 患者が亡くなることは私たちにとっても喪失です。深くかかわることができた患者との別れは、深い悲しみを引き起こします。一方、患者とうまくコミュニケーションを取れなかったり、理不尽に怒りをぶつけられたり、患者が苦しんで亡くなったりした場合、その別れは私たちに複雑な悲しみを残します。そのほうが傷つきは深く、立ち直るまでに時間がかかるでしょう。
 自分たちの悲嘆を語り合う場を持っていますか? 日常の忙しさに追われ、次の患者のケアで頭がいっぱいになり、自分の身体の隅に悲嘆を押し込めていないでしょうか?「プロなんだから、いちいち悲しんでなんかいられない」と、自分の感情を置き去りにしていませんか? デスカンファレンスでは自分たちの感情を共有できているでしょうか?「カンファレンスで個人的感情を出すなんてプロじゃない」と思っていませんか?
 かつて看護部の研修で遺族のグループについて話したとき、「聞いているだけで涙が出てきた。どうやって我慢しているのですか?」と言われて、驚いたことがあります。研修に参加した看護師の中にも、涙が出そうになって困ったという人がいます。看護師は泣いてはいけないと思っているのです。本当にそうでしょうか? 涙を流すことは悲しみを流すことだと言われます。泣くことが悲しみからの回復に通じるのです。

 私は、もともとグループ療法が好きです。大学時代にエンカウンターグループと出会い、それ以降ずっと携わってきました。患者や家族、遺族、それから医療者に対しても、個人カウンセリングが私の仕事の大部分を占めています。それでも、本来はグループアプローチのほうが好きです。私のサポートグループの実践には、エンカウンターグループの精神が生きています。つまり、メンバーの主体性を尊重し、ゴールを決めるのはあくまでメンバー1人ひとりであるという人間への信頼に基づくグループです。どんなグループでも、それは繋がりの回復のために支え合うことだと思っています。
 このような考えから本書では、グリーフケアとサポートグループ、そして、遺族のグリーフケアと看護師のグリーフケアとが織りなす物語を記述してみたいと思います。

 本書の構成は以下のとおりです。
 まず、私がなぜグリーフケアを行うことになったのかという、私自身のグリーフ体験について述べます。私はこれまで研究にしろ、臨床にしろ、現象学的アプローチの姿勢を大切にしてきました。それは、人間と直接かかわることを生業とする専門家にとって、自分自身の在りようを不問に付すことはできないと考えるからです。これは、拙著『看護カウンセリング』の初版と同じ手法です。
 第I部では、家族・遺族のためのグリーフケアについて論じます。
 第1章では、家族・遺族の語りを記述して、家族・遺族の心理にアプローチしたいと思います。家族・遺族の声を聴くだけでも、患者や家族へのケアは変化するでしょう。
 第2章では、グリーフケアの理論と現状について語りたいと思います。本書は、グリーフケアの理論や研究について詳しく解説するものではありません。あくまでも看護にとってのグリーフケアの重要性を理解してもらうことがねらいです。
 第3章では、悲嘆を経験している家族・遺族へのケアについて論じます。日々のケアの中で、こんなときどうやって声をかければいいのかと悩んでいる読者に、かかわりのヒントを与えられることを願っています。
 第II部では、グリーフケアの方法の1つである遺族のためのサポートグループについて論じます。
 第1章では、まず、グループアプローチのいくつかの方法について説明します。グループアプローチとはさまざまなグループ療法の総称です。私は、がん患者の短期型サポートグループと継続的サポートグループの実践を経て、現在は遺族のためのサポートグループを運営しています。そのように長年、エンカウンターグループや医療におけるサポートグループに従事してきた経験から、私なりのグループアプローチ観について述べたいと思います。
 第2章では、グリーフケア領域のグループアプローチのレビューを行います。
 第3章では、私が実践してきた遺族のためのサポートグループの方法について述べます。この方法を参考にして、皆さんのサポートグループを築いていただけると嬉しいです。
 第4章では、グループアプローチを経験したことがないし、構造的なサポートグループを行うには時間もスキルもない、スタッフも揃えられない、でも、遺族のためのサポートグループを始めたい、あるいはとにかく遺族が集まる場を提供したいと考えている人のために、これだけは抑えておいてほしいという要点をまとめました。
 第5章では、遺族のためのサポートグループの事例を記述したいと思います。遺族のためのサポートグループは、1999年から私が力を注いできた活動です。遺族に対していくらか役に立ったという思いがありますし、私自身も支えられてきた活動です。遺族がサポートグループの中で再生し、成長していく物語を記してみたいと思います。
 第III部では視点を変えて、看護師自身のためのグリーフケアについて論じます。本書では、患者が亡くなった後の看護師のケアという狭義の意味でのグリーフケアについてのみ記すものではありません。むしろ、看護師の悲嘆の背景にある、患者・家族とのかかわりのなかで生じたさまざまな感情や傷つきに焦点を当てます。
 第1章では、看護師が自身のグリーフケアを無視してきた背景について記述し、なぜ、いま、看護師自身のグリーフケアが必要なのかについて論じたいと思います。自分自身の臨床をふり返り、あなたの傷つきを受け止めてあげてください。
 第2章では、看護師の感情が揺さぶられる患者・家族への対応について論じたいと思います。私自身の経験が元になっていますが、皆さんの日々の経験と通じるはずです。あなたの今後の患者・家族へのケアに役立ててほしいと思っています。
 第3章では、看護師をサポートする方法について論じます。看護師を支える方法として、いわゆるサポートグループはもちろん、仲間との支え合いや日々のカンファレンスなど、身近なものを活用する方法について述べてみます。

 本書の特徴は、私が経験した事例の記述です。私自身が臨床に身を置き、日々、正解のない現実の中で悩みながら、患者や家族、遺族、医療者とかかわってきました。遺族のサポートグループも、試行錯誤で私が悩みながら行ってきた1グループの記述に過ぎません。そういう意味では随分偏りもあるでしょう。でも、臨床の中で自分自身がどう感じてきたかを率直に記述することで、見えてくる真実があると思っています。私の経験からの記述なので、私が記述できることは、がん患者の家族とその遺族のグリーフケアです。救急医療の場における心筋梗塞などの突然死、あるいは犯罪や事故、災害など予期されない暴力的な死によって引き起こされる悲嘆と、そのケアについては記述できません。そのような場で働く人たちが求める内容には答えられませんが、それでもヒントになるものは見つけてもらえるのではないかと思います。
 なお、事例の記述は、当事者のプライバシーを保護することに留意し、その背景については必要最小限度の記述にとどめ、事例の本質を損なわない程度に事実には変更が加えられています。名前は仮名です。遺族のためのサポートグループに関しては、参加者から研究および研究成果の発表の承諾を得ています。
 本書では、「~すべき」という結論は残念ながら提示できません。正解のない、答えの出ない現実から逃げずに、ああでもない、こうでもないと苦しみ続ける、そこに居続けることに意味があると思っています。第三者の立場ではない、現場でまさに巻き込まれ、揺さぶられている私にしか書けないものがあるはずだと思うのです。スッキリした回答を読者は求めているかもしれません。そのほうが確かに楽になります。でも一方で、誰もがスッキリした回答なんてないこともわかっているのではないでしょうか。同じ悩みを持っている私が読者とは別の立場から記述することで、きっと得られるものがあると信じています。読みながら、あなた自身がケアされることを願っています。

 サポートグループは1人ではできません。これだけ長く続けることができたのは仲間がいてくれたからです。田上美千佳さんと一鐵時江さん、柏祐子さんには立ち上げのときに随分お世話になり、一緒にグループを運営してもらいました。現在は、看護カウンセリング室の野村喜三枝さんが一緒に運営してくれていて、看護師の颯田優子さんも自分の休みを使って手伝ってくれています。多くの大学院生の方々からも刺激を与えてもらいました。
 遺族のサポートグループの企画を病院として受け入れてくれたのは、戸田中央医科グループ会長の中村隆俊先生と戸田中央総合病院理事長の中村毅先生です。戸田中央総合病院院長の原田容治先生は、現在の私の活動を支えてくれています。看護部は研修としてこのグループを位置づけてくれています。
 さまざまな研修等で看護師さんたちの語りを聴かせてもらったことも、本書を書くヒントになりました。
 サポートグループを運営できるのはエンカウンターグループとの出会いがあったからであり、その世界を私に教えてくれた見藤隆子先生には心から感謝しています。看護カウンセリングの活動同様、見藤先生との出会いがなければ、いまの私はなかったといっても過言ではありません。
 また、東洋大学教授で精神科医の白石弘巳先生には、あるシンポジウムで発表した際、後にグループの本質のプロセスを考えるヒントとなるような貴重なコメントを寄せていただきました。
 医学書院の編集担当、石塚純一さんは私の実践をより理解するために、遺族のためのサポートグループにオブザーバーとして参加するほどの熱意のある方です。制作部の富岡信貴さんはより読者にわかりやすい本になるように、細やかに校正を手伝ってくれました。石塚さんの上司の白石正明さんも陰で支えてくれました。
 そして、多くの患者さんと家族、遺族、職場の方々、私をこれまで支え、育てて下さった恩師、友人たち、家族に心から感謝します。お一人お一人のお名前を挙げることを割愛することはとても心苦しいのですが、私の中ではそのお一人お一人がしっかり刻まれています。
 本書を、私が出会ったいまは亡き人たちと、私の中に生き続ける父と母に捧げます。

 2011年新春
 広瀬寛子

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私の個人的悲嘆体験を語る-グリーフケアにかかわることになったわけ

第I部 家族・遺族のためのグリーフケア
 第1章 遺族の語り
  1.遺族になってからの思い
  2.患者を看病していたときの思い
  3.家族・遺族が傷つけられる言葉
 第2章 グリーフケアの理論と現状
  1.いまなぜ遺族のグリーフケアが注目されるのか
  2.グリーフケアとは何か
 第3章 悲嘆にある家族・遺族への対応
  1.家族の不安に答える
  2.死後の患者のケア
  3.子どもをもつ人へのアドバイス
  4.グリーフケアのポイント
  5.悲嘆のアセスメント

第II部 遺族のためのサポートグループ
 第1章 繋がりを回復するグループアプローチ
  1.さまざまなグループアプローチ
  2.グループアプローチの本質
 第2章 遺族を対象としたグループアプローチのレビュー
  1.家族を対象としたグループアプローチ
  2.遺族を対象としたグループアプローチ
 第3章 遺族のためのサポートグループの方法と注意点
  1.対象者
  2.スクリーニング
  3.案内の方法
  4.グループの形態
  5.料金
  6.スタッフ
  7.会場とセッティング
  8.オリエンテーション
  9.スケジュール
  10.プログラムの内容
  11.スタッフのスケジュールの流れ
  12.データ収集
  13.難しい場面におけるファシリテーション
  14.OB会
  15.ファシリテーターの基本姿勢
 第4章 遺族のためのサポートグループを始めたいと思ったとき
  1.場を提供する
  2.看護師がいること
  3.ルールを作る
  4.看護師も泣いていい
  5.ふり返りの時間をもつ
  6.困ったら専門家に相談する
  7.グループの中での大切な姿勢を抑えておく
 第5章 遺族のためのサポートグループの中での語り
  1.サポートグループにおける参加者のさまざまな体験
  2.語ることによる悲嘆からの回復過程
  3.若くして夫を亡くした女性の悲嘆からの回復過程

第III部 看護師自身のためのグリーフケア
 第1章 看護師のグリーフケアが必要なわけ
  1.看護師の悲嘆を扱えない風土
  2.なぜ語ることが重要なのか
  3.患者・家族から注ぎ込まれた感情を包み込む容器になること
  4.感情労働としての看護
  5.死にゆく患者への複雑な感情
  6.自分の感情を認めること:自己一致
  7.支え合うこと
 第2章 看護師の感情が揺さぶられる患者・家族への対応
  1.“死にたい”と言われるとき
  2.自分が入り込んでしまうとき
  3.コミュニケーションが難しい人たちとかかわるとき
  4.看護師が二分されるとき
  5.暴力を振るわれるとき
  6.患者が自殺したとき
 第3章 看護師をサポートする方法
  1.遺族のためのサポートグループ
  2.緩和ケアにかかわる人のためのエンカウンターグループ
  3.事例検討
  4.デスカンファレンス
  5.自己一致の方法
  6.看護師のためのセルフサポート
  7.ナースステーションでの愚痴

あとがき
資料
文献
索引

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本との話 (雑誌『精神科看護』より)
書評者: 神田 啓子 (医療法人社団新新会多摩あおば病院 心理士)
◆人生の課題に向きあう書

 愛情を向けていた対象を失うことほど苦痛なものはない,と私は考えていた。喪失体験をどう受け容れ,心の中におさめ,生きる力を取り戻すのか。これは人生の大きな課題であり,心理療法の仕事をしている私の部屋を訪れる多くの人たちが抱える困難なテーマの1つでもあった。だから本書を手渡されたとき,その題名に心惹かれ,思わず書評を引き受けることになってしまった。

 著者は,緩和医療の領域でがん患者や家族にかかわってきた経験をもち,現在は戸田中央総合病院看護カウンセリング室にナース・カウンセラーとして勤務している。本書は副題に『Grief care for family and nurses』とあるように,死別して遺された遺族と,看護師のためのグリーフケアについて書かれた本である。がん患者と死別した後も遺族の悲嘆をサポートグループの中で支援してきた著者の実践と,看護師自身のグリーフケアについての2本立ての構成になっている。

◆かかわりの羅針盤として

 第一部は,『家族・遺族のためのグリーフケア』とは何かについて。愛情や依存の対象を喪失することは言うまでもなく重大なストレスであり,中でも配偶者の死,特別な人の死は人間にとって最大のストレスだといわれる。では,そこで起きる悲嘆(grief)とは何か。本書には,遺された遺族はサポートグループの中でどんな思いを語りいかなる心理でいるのか,悲嘆を経験している遺族に対してどんなケアができるのかが事例をあげながら,ていねいに記されている。悲嘆する家族・遺族へのグリーフケアのポイントとして,痒いところに手が届くような項目があげられており,困ったときの心強い羅針盤になるだろう。

 「悲嘆そのものに癒しの力がある」という言葉は印象的だ。まず喪失の事実を受け容れること,悲嘆のさまざまな感情を表出することが重要であると著者は言う。そして遺族が悲嘆を避けずに勇気をもって悲しみ,苦痛を感じることができるためには,孤独でなく,語ることを支え,泣くことや怒りを受け止め,場合によってはただ黙って側にいてくれる「悲嘆を支えてくれる人たち」の存在が必要である。悲しみや悔いは消えるわけではなく,悲しみや悔いを抱えながらも,もう一度生きていく力を取り戻す過程を支えるのがグリーフケアなのだと著者は位置づける。

 第II部では,グリーフケアの方法の1つである『遺族のためのサポートグループ』の実践について論じられる。「グループの経験もない,構造的なサポートグループを行う時間もスキルもない,スタッフもそろえられない,でも遺族のためのサポートグループを始めたい,とにかく遺族が集まる場を提供したいと考えている人にこれだけは抑えておいてほしい要点」を書いたとある。そもそもグループとはどのようなものかという問いに始まり,著者が試行錯誤しながら練り上げた遺族のためのサポートグループの構造や方法,事例が惜しみなく開示されており,サポートグループを始めたい人には,ぜひ一読をお薦めしたい。

◆看護とグリーフケア

 この本のもう1つの眼目は,第III部『看護師のためのグリーフケア』についてである。本章では「患者が亡くなった後の看護師の悲嘆」というより,看護師の悲嘆の背景にある,患者・家族とのかかわりの中で生じた感情や傷つきに焦点をあてる。「患者・家族に看護師は笑顔で優しい」「看護師は患者・家族に怒ってはいけない」など,感情をコントロールすることを要求される看護師は,難しい患者とのかかわりや看取りの中で傷つき,自責感,怒り,悲しみ,無力感など複雑な感情を感じながらも,看護師として適切な感情以外は心の中に押し込めてひとりで疲弊していないだろうか。あるべき姿に縛られるより,率直に自分の気持ちを認め表出することや,患者への否定的感情も否認せず見つめることが大切だが,安心してそうするには,その基盤に「人と支えあう」ことが必要である。無力で不完全な自分をそのまま受けとめてくれる聴き手がいることで,はじめて自己否定は自己受容に変わり,経験に新しい意味づけができるようになる。これは,遺族に対するグリーフケアと同様のことであり,ケアを提供する人自身がケアを受け,支えあうことが必要なのだと,著者はくり返し強調している。

 「死にたいと言われるとき」「自分が入り込んでしまうとき」など,感情が揺さぶられる状況下で患者・家族にどう向きあえばよいのか。また,看護師をサポートし支えあうにはどんな方法があるのかについて本章では考察され,サポートグループのレビューでスタッフの思いを共有することや,事例検討やデスカンファレンスのあり方についても検討されている。その内容は,グリーフケアや看護職だけに留まらない,臨床全般に通じるものである。

◆誠実に向きあう姿勢

 本書に確かな手ごたえを感じるのは,かかわりの中での自分の思いや意識のあり方をできるだけ正直に記述し,誠実に人と向きあい,自分自身とも向きあおうとする著者の姿勢が伝わってくるからだろう。冒頭からグリーフケアにかかわることになった自身の悲嘆体験を率直に語り,心が揺さぶられる。

 サポートグループでの遺族の方たちの語りもまた,喪失と悲嘆という,誰にも訪れる人生の厳しい課題を突きつける。しかし,読後に決して悲観的な気持ちにならないのは,回復への希望と人間への信頼が感じられるからではないかと思う。喪失の悲しみは消えないが,いくつかのプロセスのすえ,新たな現実の中で再び生きる意味を見い出す力が人間には備わっているとあらためて教えられた1冊である。

(精神看護出版発行『精神科看護』2012年5月号(通巻236号)より転載)
もう涙はこらえなくていい-悲しみを通して今を生きるために (雑誌『看護管理』より)
書評者: 菅原 典子 (むつ総合病院 看護師長)
◆看護師として,遺族のひとりとしての悲嘆

 筆者はこれまで助産師として産婦人科病棟に20年以上勤務し,多くの出産に立ち会い,小さな幸せをたくさん感じてきました。でも,助産師として2年目。小さな命の灯が消えたとき,涙をこらえるのが精一杯で,母親の悲しみに寄り添うことができなかったことは,20年経った今でも後悔の一つとなっています。

 その後,看護師長として病棟に勤務するようになってからは,産婦人科とは違う患者との別れを経験しました。昨日まで元気だった人が,突然倒れて亡くなってしまう。家族にとってはなおさらのこと,その死を受け入れることは簡単なことではありません。

 そして,2011年3月11日の東日本大震災。従兄の娘が若くして命を落としました。被災地から地元に戻り,そっと荼毘に付した従兄の気持ちはどれほどつらかったことか。

◆語りを通した命のリレーが回復を促す

 本書では,遺族の語りを通して,グリーフケアとは何か,遺族が悲嘆から回復していく過程をわかりやすく教えてくれます。語り,泣き,ときには怒り,それらを誰かと共有したり,受け止めてもらったりすることで,自らの力で回復していく。年齢には関係なく遺族の悲しみがあり,さまざまな命の物語があります。亡くなった人から今を生きる人への命のリレー。

 第I部では,遺族の悲しみや孤独,後悔,亡くなった人への思慕など,さまざまな思いが遺族の言葉で語られています。数十年経っても,死にゆく母親の身体をさすってあげなかったことを後悔している80代の男性。「あなたよりもっと大変な人がいるんだから」と言われて傷つく遺族。私たちは,普段そんなことを口にしていないだろうか。

 第II部では,遺族のためのサポートグループをつくるときの具体的な方法が書かれています。対象者や案内方法,グループの形態からスケジュール,プログラム内容,そして,参加者の声。亡き夫との思い出の品を持ってきて,語ることで回復していく女性。「君に会ったら力いっぱい抱きしめたい。もう絶対に離しません」という手紙を書いた60代の男性。グループの人たちと語り合うことによって,悲嘆から回復し卒業を迎えます。

 第III部は,看護師自身のために書かれています。看護師は泣いてはいけないと思い,患者が亡くなったとき,必死で涙をこらえていないだろうか。著者が,実際に関わった患者への思いや亡くなったときの悲しみを通して語られています。読み終わったとき,自分の気持ちが少し楽になっていることに気がつきました。

 これから,サポートグループをつくりたいと思っている方はもちろん,緩和ケアやターミナルケアで悩んでいる方,自分自身が傷ついた経験がある方にも参考になると思います。ぜひ,読んでほしい1冊です。

(『看護管理』2012年2月号掲載)
臨床看護師のモデルとなる記述が随所にちりばめられている (雑誌『がん看護』より)
書評者: 川名 典子 (杏林大病院・リエゾン精神看護師)
 身を裂くような肉親との別れを体験した後,人は嘆きの中で失意の人生を送るのではなく,時間をかけて癒され,希望を見出して新たな人生を歩んでいく。著者はその力を疾病モデルでの回復recoveryではなく,適応adaptationとみなし ,レジリエンスresilienceということばを紹介している。冒頭に著者自身の肉親との別離体験がつづられており,患者家族,遺族,そして看護師でもあった著者の偽らざる心情に心を打たれる。

 「グリーフケア」はこのレジリエンスを発揚するためにあることを著者は言外に述べているようである。グリーフケアに携わる看護師は,嘆きの中から芽吹いてくる回復力を実感する貴重な機会に恵まれ,その体験が看護師自身を力づけ,ケアへの意欲を持続させていく。この体験を著者自身「遺族からのおくりもの」と呼び,サポートグループを長年続けられた原動力だったと述べている。

 一方,レジリエンスを実感するには,人々の苦悩にしっかりと向き合い,誠実に付き合うというプロセスが不可欠で,そこに困難を感じる臨床看護師は少なくないだろう。本書には,人の苦悩に寄り添うに当たっての著者自身の看護カウンセリングの技術がまとめてある。随所にちりばめられている著者の遺族との対話の記述は,臨床看護師にとって大切なモデルになろう。日本ではまだ資料が少ない,親を亡くすあるいは亡くした子どもへの対応方法が紹介されているのは貴重である。巻末には資料として,臨床看護師が困ったときのQ&Aがついており,いかにも臨床的な回答に安心感を覚える。大学院生の役に立ちそうな理論レビューに加えて,看護師自身のケア方法まで述べられており,盛りだくさんである。

 現象学的アプローチの研究者かつ,稀有な看護実践家である著者に対し,今後はレジリエンスと看護についての洞察と理論化を深めてほしいという強い期待を抱きたくなる刺激的でユニークな一冊である。

(南江堂発行『がん看護』2011年9・10月号(16巻6号)より転載)
悲しみに誠実であることの結晶
書評者: 河 正子 (NPO法人緩和ケアサポートグループ代表)
 読み進みながら,悲しみに誠実であることの結晶がこの本なのだと思った。

 死に臨む人をケアする職にある私たちが,ご本人そしてご家族の悲嘆というテーマから逃れることはできない。しかし,あくまで個人の悲しみを他人がケアすることは可能なのかというためらいから逃れることもまた難しい。そんな私たちに,本書の「グリーフケアとサポートグループ,そして,遺族のグリーフケアと看護師のグリーフケアとが織りなす物語」はさまざまの希望を届けてくれる。

 私が受け取った希望の第一は,誠実であることから生まれる「繋がり」への希望である。著者が,臨床で出会った患者さんやご家族,サポートグループに参加されたご遺族の悲しみ,怒り,混乱の語り,つらい気持ちに正直であろうとする姿,新たな生活に向かう変化,それらをいとおしむようにすくいとってつづってくださった。ケア専門職としての著者の経験と知に裏打ちされ,著者自身の感情と意思の内省も織り込まれた時間を,私たちは追体験する。

 そして誠実に織りなされた時間から生まれる繋がり,たとえばご遺族のためのサポートグループでは,「(繋がりを絶たれてしまった人たちが)グループのメンバーとの繋がりを実感できることで,再び他者と,そして社会との繋がりが回復していくのだろう」ということに,希望を抱く。さらに「その時間をともに歩ませてもらえることに畏敬〈いけい〉の念を感じる」という著者のありように,ケアする者がケア対象の方々と繋がる希望を見出す。

 「繋がり」への希望は看護師の「自分の感情を認めること:自己一致」にも及ぶ。患者を受け入れられない自分の感情を抑えこみ,専門職のあるべき姿をとろうとして患者に対応しているときの息苦しさをどうすればよいのか。著者はその道筋を具体的に指し示すとともに,「看護師自身のためのグリーフケア」というテーマを解き明かすなかで,「それでも患者と向き合おうともがき苦しむとき,患者の苦しみと私たちの苦しみとが一点で繋がる瞬間があるはずだと思う」と,背中を押してくれている。

 聖書に「喜ぶ者といっしょに喜び,泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ人への手紙)とある。自分自身の悲しみを抱きながら,悲しむ人とともに歩む著者が,その歩みを言葉で織りなして伝えてくださったこと,看護師たちに希望を贈って下さったことに,重ねて感謝する。
体験の「核」に届く思いを伝える1冊 (雑誌『保健師ジャーナル』より)
書評者: 岸本 寛史 (京都大学医学部附属病院地域ネットワーク医療部)
 渾身の1冊である。冒頭で広瀬先生ご自身の体験が圧倒的な迫力をもって語られている。緩和ケアに限らないが,医療の道を志すのには人それぞれさまざまな思いがあることであろう。しかし,その視線は眼前の患者に向けられることはあっても,同時に自分自身に向けられることは多くない。それはつらい作業であり,蓋〈ふた〉をしてしまうほうが楽だからである。広瀬先生は,そこに蓋をせず,しっかりと見つめることから本書を始めている。「私は書くことにしました。……グリーフケアにかかわっていく以上,決して葬り去ってはいけないことだとも思っています。一生かかっても払拭できない荷を,人は背負っていかなければならないのだと思うのです」という著者の言葉から,その覚悟が伝わってくる。

 こうして,深いところを動かされた余韻をもって第1部を読み進めると,イントロ部分との落差のようなものを感じ,心がついていくのに少し時間が必要であった。これについていろいろと考えてみたが,第1部の冒頭では遺族の語りが紹介されていて,非常に具体的な内容が示されてはいるが,それぞれの語りは具体的なコンテクストから切り離され,項目ごとに分類整理されている中に埋め込まれている。そのため,語りそのもののもつ力が削がれて,著者の概念体系を示す一例として提示されているからではないかと感じた。たとえて言えば,イントロの部分は,読み手の腹の底に直接語りかけてくるような,魂の叫びのように感じられ,それが第1部に入ると急に頭に働きかけるような形となり,急浮上するため,潜函病のような苦しさが感じられるのではないかと思った(これはネガティブに批判しているのではなく,それぞれの文章の違いについて中立的に述べたものと受け止めていただきたい。いずれのスタイルも大切な書き方であると私は思っているがそのギャップを意識しておくことは大切だと思う)。

 緩和ケアの多くの研究は,頭に働きかけることはあっても,腹に働きかけるものは少ない。それは研究というもののもつ宿命であろうか,あるいは研究の方法によるのであろうか,筆者にはよくわからない。ただ,知識を伝えたり,標準的なやり方を伝えたりということも大切なことではあるけれど,著者のように,体験の「核」に届くような思いを伝えることが,結局は書物を書くことの根本ではないかと思う。その意味で,本書は実に意義深い書物だと感じる。

 本文は,イントロを除くと,遺族,家族のためのグリーフケアと,看護師自身のグリーフケアという大きな2本の柱からなっている。あとがきで「2冊の全く別の本を書いているような」気持ちと述べられているが,私はこの2本の柱はコインの表裏のように,切り離せるものではないと思う。さらにそこに「自分自身」への眼差しを入れようとする著者の取り組みは,現在,緩和ケアにおいて,目を逸らしてしまうことの多い暗部に踏み込もうとする意欲的な書物である。

(『保健師ジャーナル』2011年10月号掲載)

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