論より生活
老いの世界とケア

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看護・介護の中で,高齢者との関わりは難しいことが多い。高齢者を対岸から観察するのではなく,老いや痴呆は生あるもののたどる自然な経過と考えるとき,老いにポジティブな意味を創造する「ケア」を提唱するのが本書である。在宅ケアの現場からすくい取った「老い」「障害」「生活」について,事例をひきながら綴ったエッセイ。
頼富 淳子
発行 2002年02月判型:B6頁:192
ISBN 978-4-260-33176-0
定価 1,980円 (本体1,800円+税)

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  • 目次
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第一部 生活の中のケア
 「生活」と「くらし」
 文化としての介護
 介護の社会化
 想像力
 やわらかな発想
 触れ合うことなしに理解しあうことはできない
 失笑
 いのちについて
  もしもアルツハイマーになったら
  アルツハイマーになっても
  生きたくて生きている生命
  誠実で埋める
 介護つれづれ
  配慮が途切れないケア
  意に添う
  実際にケアしている人にはかなわない
 聞く
  森で
  もの言わぬものと
  聞く人
 自然の一部として
 水琴窟

第二部 老いの周辺
 ただ、過ぎに過ぎゆくものは
 誇りを支える
 老いの世界
  老いの賜物
  かけがえのない命ひとつ
 オーダーメイドのケア
 許し得ず
 甘いものが好き
 未知なる世界
 春待つ支度
 風知草
 歩く
  尺取虫
  歩く人
 
第三部 ケアに映る家族の想い
 ケアに映る家族の想い
  嫁の立場
  子どもの立場
  配偶者の立場
 転ぶな
 ケアが生き甲斐
 家族の想い

おわりに

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老いていく人の生活支援のための指標
書評者: 五島 シズ (全国老人ケア研究会理事)
◆変わることから始まった

 高齢社会になってここ数年,看護職の活動の場が多様になってきた。長年保健所の保健師として活躍していた著者は,10年前から杉並区さんあい公社(住民参加型福祉公社)に職場を移した。保健所保健師だった頃は,地域住民の生活実態の調査,また,衛生教育や保健指導などで,聞くよりも一方的にしゃべることが多かったと述懐している。

 福祉公社でケアコーディネートの仕事をするようになってから,訪問先でさまざまな出来事に出会う。本書では,地域で生活している老人が何を求めているのか,それらにどのように関わっていけばよいのかを,個々の事例を通してわかりやすく述べている。

 生きるということは,生活することである。老いて病気や障害のために不本意にも生活の自立を失ったりあるいは失う過程にある人は,家族や社会からの支援(保障)がなければ生きていかれない。「生活の支援」である。しかし,「生活の支援」というものは単純ではない。老化や疾病・障害によってもたらされた,さまざまな喪失による心理面の変化はもとより,老人の生活史や習慣,老いを,支援者は生活の自立を失っているという現実をどのようにとらえているのか,さらに家族や周囲の人の気持ちや関係など多様な面を考慮して行なうものである。

 一方的な指導は,ここでは通用しない。老人の気持ちに,そして家族の気持ちにより近づくには,著者自身が変わらなければならないことに随所で気づき,柔軟に変わっていく過程が興味深い。

◆他者からの学び,そして協働

 100人の老人には,100様の家族がいる。そして人の心は,日々刻々と変化していく。理解することの難しさを著者はいつも謙虚な気持ちで受け止めている。そして個々の老人とその家族の話しや仕草から,看護や介護の常識では思いもつかない多くのことを学んでいる。

 訪問看護師,ヘルパー,ボランティア,生活協力員など多くの支援者と協働しているが,支援者の老人に対する偏見とも思えるような一言から,老人が求めているものへと深くつなげている。

 地域ケアの中で気にかかることは,痴呆老人の支援のことである。「徘徊」と聞いただけで,「大変,どうしているの」と誰もが思うであろう。福祉公社では,ウォーキングが趣味の女性が徘徊ボランティアとして関わっている。住民参加型としての自由な発想など読んでいてほほえましい一面もうかがえる。

 老人に先だたれた家族が福祉公社から脱会しないで,1―2年の間,月1度の訪問を待ちわびている。介護期間の長短や困難さに関わらず,家族の死を受け入れることは体験した当人でなければわからない。老いのケアには,家族ケアも含まれている。

 本書は,老人の生活支援の意味や目標を考える上で,地域ケアに携わっている者はもとより,施設ケア,病院の看護職にもぜひお勧めしたい書である。
高齢者のケアに何が大切かを示唆
書評者: 小笠原 望 (大野内科)
 『論より生活』,まず本の題に共感。著者は福祉公社で,高齢者や障害者を持つ人の生活を支える仕事をしている。「老いの世界とケア」には理屈はいらない,「人」と「生活」を視野において,老いの暮らしを素直な感性で感じることこそ大切であるという著者の視点が,淡々と語られている。「お年寄りの体とこころが診られるようになったら一人前」と,私はいつも後輩の医師に言ってきた。お年寄りを診ることは,医師にとって本当に難しい。体もだが,こころがわかるまでに,それこそ理屈ではなく年季がいる。102,99,98,96,……,現在私が在宅医療を担当する患者さんの年齢である。四万十川のほとりで在宅医療をする私は,この本を読みながら,「そうそう,こんなことはあるある」,「こんなお年寄りの気持ち,わかるなあ」,「ケアをする人はとにかく大変」と,改めて確認することが多かった。

◆ドキッとする柔軟な発想

 本書は,「第1部 生活のなかのケア」,「第2部 老いの周辺」,「第3部 ケアに映る家族の想い」に分かれる。
 第2部に次の文章がある。/私より先を歩かないでください。/私が遅れたら立ち止まって私が追いつくまで待ってください。/私をさりげなく支えて一緒に歩いてください。「歩く」という一節なのだが,この気持ちは,老いと接する医療者,いや医療者だけでなくすべての人が大切にしたい。「転ぶな」の一文は,絶品である。記憶力の落ちた妻を介護してきた夫が膵臓癌になり,妻への最後のメモが,「眠ることが一番だよ」。その後が,「転ぶな」だったという話はじーんとくる。夫婦の風景,それを支える人,そしてその人をまた支える人の出会いを,決して劇的でなく押さえて書いているのがいい。
 「やわらかな発想」もおもしろい。犬好きの人が痴呆となり,退屈しのぎに家族が犬を飼うようにしたら,まったく興味を示さずうっとうしがる。一方で,1日10回も餌を与える痴呆のお年寄りがいて,犬が太りすぎて後ろ足を脱臼。栄養の少ない餌を家族が工夫をする話。獣医さんの,1人のいのちを支える犬の一生があってもいいのではの話は,発想の柔軟さにドキッとする。
 高齢者の暮らしの中でのこころの動きやケアの風景が,本のなかにエピソードとしてさりげなく触れられる。声高の理論でなく,ハウツウものでもなく,現場での経験の積み重ねが伝わってくる。著者の飾らない,肩に力を入れず,そして少し控えめな姿勢が,高齢者のケアに何が大切かを示唆している。高齢者に接する人に,この本を強くお勧めする。

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