“大リーガー医”に学ぶ
地域病院における一般内科研修の試み

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すぐれた臨床医を育てるため,指導医として,北米の優れた臨床医を招聘して教育を行ってきた著者のユニークな試み。そしてその経験から育まれたわが国のこれからの卒後研修のあり方・方向性について著者自身の考えを率直に提言。医学生,研修医はもちろん,医学教育に携わる人にとって必読の書。
松村 理司
発行 2002年09月判型:A5頁:328
ISBN 978-4-260-13898-7
定価 2,420円 (本体2,200円+税)

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  • 目次
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I 卒後臨床研修の実態
II 市立舞鶴市民病院内科の卒後臨床研修
III 個人的な軌跡
IV “大リーガー医”達の背景と生の声
V その他の米国人医師の声
VI Non-medical talk('市民講座')
VII 卒後臨床研修の刷新の方向
VIII 浮かび上がる問題点
IX 医療現場の和魂洋才

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今,日本の医療に求められる医師育成のあり方を提示
書評者: 黒川 清 (東海大総合医学研究所長)
◆待望の舞鶴市民病院における臨床研修報告書

 待望の「大リーガー医」報告書が出た。うれしい。何しろ松村先生の舞鶴市民病院では,不定期にだが定期的に(irregularly regularly),主として米国から臨床教育に優れた人たちをお招きして,粘り強く実践してきた米国式の臨床研修の成果を,時間はかかったもののかなりあげておられることを聞いていたからである。この舞鶴市民病院と沖縄県立中部病院は,一部の「その筋」の人たちの間ではよく知られていたことなのだが,多くの日本人がありがたがる大学の「肩書き」や「ブランド」によらない,「本当の」実力のあることが広く知られており,日本での卒後臨床研修義務化へ向けての動きの中で,真剣な若者たちの間では圧倒的に人気上昇中というところであろうか。しかし,ここまで来られた松村先生の孤軍奮闘の歴史と人との出会い,エピソードなど,楽しくて,おもしろくて,熱中して読んでしまった。私の知っている「大リーガー医」も何人か登場するし,また私自身も舞鶴プログラムから東大,東海大にも来ていただいて回診をお願いしたりして,楽しい思いをさせていただいた。

◆「大リーガー医」がもたらしたもの

 しかし,本当に苦労されましたね。ご苦労さま。確かにはじめは瀬戸山元一院長(現高知県・高知市医療連合理事)という,これまたスーパーヘビー級の人だったからできたのかもしれないが,松村先生の涙ぐましい苦労と努力に敬意を表します。また,これらの「大リーガー医」たちの1人ひとりの人となりのすばらしさには感心します。しかし,このような先生が米国やイギリスなどに多いのは確かに事実ですね。そして舞鶴を経験された「大リーガー医」との長い交流の始まり,日本の将来を担う多くの若い医師たちが機会を得て留学するとか,「大リーガー医」から見た日本の医療と医療制度,臨床研修制度と内容などなど,楽しい。また日本の研修医の反応がとても楽しい。

 これを見ていくと,若者にこのようなすばらしい「大リーガー医」に接する機会を作ったことが,どれだけ大きなインパクトを与えているかは想像しただけで楽しい。何しろこれらの「大リーガー医」を私の東大での臨床講義に招待したり回診をしたりしたことからでさえも,学生が1か月程度クラークシップに出かけて先生のお宅に居候させていただいたとか,アメリカでの臨床研修にチャレンジしている人たちが,東大からも何人もすでに出ていることがその傍証でもあろう。

 本書に登場するStein先生とは後で亀田にお招きいただいたし,Stein,Tierney先生には何回か東大,東海大に来ていただいたし,Sharma先生もすばらしい(彼とは南カリフォルニア大で3年間一緒でしたよ,私は腎臓のセクションでしたけど)。おかげでTierney先生には彼の編集する有名な『Current Medical Diagnosis and Treatment』の「Fluids, electrolytes, and acid―base disorders」に,もう何年も貢献させてもらっている。

◆外の本物の世界を知ることで問題が見えてくる

 これこそが私が常日頃言っている「他流試合」をし,「混ざる」ことのメリットなのであり,日本の多くの「権威」が,日本ではできない理由とか,日本には(「自分には」が本音でしょうがね)なじまない,などの言い訳しか出てこないような指導者が多いところに,この国の問題があるのです。卒後臨床研修が義務化されるにあたって,松村先生の「大リーガー医」との経験からのいくつかの提言,そして日本の明治以来ほとんど変化していない旧態依然とした日本の医療と医師の育成,研修の制度へのいくつもの提言をされている。これらは私が常日頃から言っていること(www.KiyoshiKurokawa.com)とほとんど同じであり,つまりは「外の本物の世界」を知ることによって初めて日本の問題が見えてくるということの1つの典型であろうと思う。

 「大リーガー医」と「彼我」の違いを肌で繰り返し感じた経験から,松村先生がこの本で一番言いたかったことは,第7―9章「卒後臨床研修の刷新の方向」,「浮かび上がる問題点」,「医療現場の和魂洋才」に書かれている日本の将来なのではあるまいか。だからこそ,ぜひとも医学教育・研修にかかわるすべての人たち,また医学生,研修医にも広く,そして「よーく」読んでほしい本である。また,学生さんは舞鶴をたずねていったらと思う。

 最後に,2002年に京都で私が主催して開催された国際内科学会のケーススタデイに,米国内科学会から推薦された3人の先生はすべて「舞鶴OB」,松村先生の「大リーガー医」であった。うれしいことですね。松村先生がこのことを含めて何箇所かで私のことに言及されており恐縮しました。最後に個人的には残念ながら存じ上げる機会がありませんでしたが,お人柄が目に浮かぶようなGerber先生のご冥福をお祈りします。
面白い人が書いた面白い題の面白い本
書評者: 畑尾 正彦 (日赤武蔵野短大教授)
 面白い題の本である。題だけではない。中身は題以上に面白い。
 そもそも著者が面白い人なのだ。だから題も中身も面白いのは当たり前なのかもしれない。中身は面白いだけでなく,ためになる。

◆医学教育における“舞鶴”

 日本における貴重な臨床指導医の一人である松村理司氏は,変わり者の多い医学教育界の中でもユニークな存在である。あまり大きくもない地方都市の,あまり大きくもない公立の病院を根城に,日々の診療をきちんとこなしていれば,日々がつつがなく過ぎていって何の不思議もないはずなのに,舞鶴があるのは福井県か京都府かと迷う人はマシなほうで,鶴が舞い降りる北海道だろうと納得するような素直な人でも,医学教育に関心をもつ人ならほとんどすべての人が,舞鶴に,あの知的にとぼけてみせる松村氏がいらっしゃることを知っているであろう。そのわけは,この本を読むとよくわかる。

 A5判328頁のこの本は,9つ(IからIX)の章からなっているが,それを評者が勝手に分けさせていただくと,パート1はIからIIIで,日本の医学教育の現状の問題点の指摘と舞鶴市民病院の研修の現況,パート2がIVとVで,中核をなす“大リーガー医”の言行録,パート3がVI-IXで,日本の医学教育のこれからに向けたビジョンといった3部に大別できそうである。その全体が,松村氏のジェネラリズムへの熱い思いで貫かれている。

 パート1では,日本の医学教育が抱える多くの問題点を尻目に,舞鶴が独自の卒後臨床研修を編みだし,高い評価を得てきた経緯がよくわかる。

◆日本の医学教育の痛いところを見事についている大リーガー医たちの箴言

 パート2は大リーガー医1人ひとりの紹介だが,それぞれに人柄がうかがわれるだけでなく,症例検討ではまるで推理ドラマの探偵さながらの謎解きが楽しめる。大リーガー医たちの多くの箴言は,痛いところを見事についている。何とかしないと,日本の医学教育は世界のスタンダードに遅れをとることになりそうだという焦りを禁じ得ない。いやすでに遅れをとっているという思いが強い。

 パート3は,史上かつてない変革の波にうねっている日本の医学教育に対する,さらなる問題点の指摘は,襟を正して聞くべきことが多い。

 卒前・卒後の医学教育におけるジェネラリズムの重要性は,FD(faculty development)に専門医や外科医が参加することは即刻中止していただきたいと松村氏に言わしめた(251頁)。その通りだと思う。外科医である筆者がFDに参加させていただく時,外科医であることをすっかり忘れていたことに気づいた。かといってジェネラリストにはほど遠い自分を恥じるしかないようである。

 ともあれ,いろんな人が読むとよい本だ。大リーグの選手たちを診るスポーツドクターのことを書いた本だと思って,いつイチローが出てくるか,大魔神が出てくるかと頁を繰る人たちにとっても,損のない面白い本である。医学教育に直接携わる人たちはもちろん,健康政策に関わる人たちや医療に直接関わらない人たちにも広く読んでいただきたいものである。

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