看取りにおける家族ケア

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家族ケアの場面で、言葉はどこまで力をもち得るのか。そして、言葉が力をもつには何が必要なのか。現場にこだわる著者ならではの達意の事例分析が、ケアや言葉がけを丹念に洗い出し、ケア提供者自身も気づいていない“臨床の知”を明らかにしていく。<シリーズ 家族ケアの技を学ぶ>第一弾は「看取り」がテーマである。
シリーズ 家族ケアの技を学ぶ 1
渡辺 裕子
発行 2005年09月判型:A5頁:188
ISBN 978-4-260-00194-6
定価 2,420円 (本体2,200円+税)
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序章 看取りという家族の体験
第1章 認める
第2章 心を固める
第3章 つながる
第4章 希望を見出す

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実践知・技の探求・ナラティヴ―今,私たちの看護を展開する書
書評者: 柳原 清子 (新潟大学医学部保健学科・看護学専攻)
 病によって死が近い人がベッドに横たわっている。その周りで立ち起こるさまざまな人のさまざまな葛藤。そこにいる看護師は,その火の粉を浴びる。その時,修羅場と表されるような渦中で思わず発せられる看護師の一言と行動。それが引き金となって状況が変化し,家族にある種の落ち着きが,落としどころを知り得ているかのように訪れる――。本書が描写するそのスリリングな過程は,鳥肌が立つかのような緊迫感をもって迫ってくるものだった。

◆ケアの突破口は看護師が作り出していた

 実は,この状況の変化は,偶然に起きたのではなく,看護師が引き起こしたものである。ケアの力が自分自身と周囲を見渡す機会とゆとりを家族に与え,彼らがもつ対処力を高めていたのだった。

 では,状況を変化させる言動のベースになっていたのは,看護師のどういう判断だったのか。その種明かしが「ケアのコツ」「ケアのツボ」という,なじみの言葉を使って丁寧に掘り下げられている。なるほど,と唸ってしまう瞬間である。

 この本に,いわゆるカリスマ看護師は登場しない。事例も,看護師がよく遭遇している場面だ。臨床はいつも日常の流れの中,無意識の中にある。漠然とした気がかりや不満,あるいは達成感や喜びも,日常として流れていってしまう。その流れをくい止め,著者と看護師が二人三脚で場面を切り取り,そこで行なわれていたことの確認作業を,情熱をもって行なったのが本書である。だからこそ,掘り起こされた看護の実践知と技がつまっており,読者に言いしれぬ看護の誇らしさと納得感を生み出させるであろう。

◆本物の「ナラティヴアプローチ」はここにある

 気づく人も多いと思うが,「ケアのコツ」と「ケアのツボ」として整理された言葉は,実は家族看護の視点や判断を指針化・概念化したものである。こうした看護師の「語り」を使って状況をリアリティに描き出し,その物語られたデータ(ナラティヴデータ)をもとにケアのモデル化・概念化をはかる方法は,質的研究手法で言うところのナラティヴ研究手法である。ナラティヴは,言葉が流行している割には,看護の研究手法としては確立されておらず,口述データを使う手法と混同されている状況さえある。ナラティヴ研究手法を構成するのは,「物語」の形にされたデータであり,そこから導き出された解釈である。混沌としているナラティヴ研究手法に,先鞭をつけたのが本書と言えるだろう。

 「家族ケアってわからない」と嘆くあなた,家族とうまくやれず自信を失っているあなた。そして,看護研究の質的手法にこだわっているあなた。本書を読むと「なるほど」と納得できます。なによりも,人が逝き,残された家族は生きるというシビアな状況の中で,人に「関わる」という看護の深淵に触れるとき,専門職としての自分の姿が,具体的な目標をもってたち現れてくることでしょう。

「看護のちから」が静かな感動をもって伝わってくる
書評者: 石垣 靖子 (東札幌病院副院長,北海道医療大学教授・看護管理)
 本書は10人の終末期にある患者の家族への「看護」の物語である。それぞれの看護は,〈認める〉〈心を固める〉〈つながる〉〈希望を見いだす〉という4つのキーワードによって語られている。

 ここに登場する家族のエピソードは,こんなこともあった,こんな人にも出会った,と読者がこれまで体験した人たちの記憶と重ね,共感しながら読まれるにちがいない。1つひとつの家族の〈物語られるいのち=人生〉の場面,場面でナースたちは家族だからこそ絡まり合ってしまったその糸を丁寧にほぐしながら,家族成員の新たなつながりを深めるケアを進めていく。家族のさまざまな状況に直面したナースたちが,〈放っとけない〉〈何か理由(わけ)があるはず〉と,培ってきた看護の直感に動かされて,時には家族からの激しい怒りや,いらだちを全身に受けながらも踏みとどまり,そのときの家族の状況を認め,肯定し家族の想いに共感していくそのプロセスは静かな感動を誘う。

 ナースはいずれもそのときの患者の想い(時には深い魂のさけび)を率直に,しかも心を込めて自分の言葉で家族に伝えている。そして,うまく対応できない・苦しいと悩む家族をまるごと引き受けて肯定し,その状況とつきあっていくことを〈覚悟〉している。それは時には混乱のなかで頑なになっている家族がはっと我に返り,現実を認めていくきっかけをつくり,ナースの言葉に耳を傾け,その存在に気づくようになる。

 ナースは専門職として患者・家族とがっぷりと四つに組み,時には距離をおいて状況を理解しながら適切にアセスメントをしていることはもちろんであるが,それだけではなく彼らはいつも,〈普通の人〉としての感覚を大切にしていることが伝わってくる。だから患者や家族の目線に戻れるのだ。

 ナースたちの語る物語を聞きながら著者は「そのとき,何を考えたの?」「ここで何を感じたの?」「この場面でのご家族の表情はどうだったの」と問いかけ援助行為の基になった本質をひきだしている。「私たちは関わる覚悟を決めつつ,その人と家族の人生に心からの関心を抱き,新たなストリーを紡ぎだしていく過程に喜びを見いだしていくこと,自らを責める気持ちにストップをかけ,亡き人の人生を明確にイメージ化して物語を転換させるきっかけを与える」看護が本書の随所にちりばめられている。

 本書の特徴は,それぞれの事例から「事例が語るケアのツボとコツ」が丁寧に分析され解説されていることだ。それは終末期のケアに携わる多くのナースたちに普遍性をもって伝わっていくだろう。

 本書はナースだけではなく一般の人たちにも読んでいただきたい。それは,「なぜ人々が,看護婦がもたらしてくれるような安楽や,安心感,知識,思いやりなどを必要としているのかを理解」し,「看護婦が果たしている非常に重要な役割が(一般の人たちにとって)意外な発見」(スザンヌ・ゴードン ライフサポート 1998)であることに気づいてくれるはずだからである。

 10組のさまざまな家族のあり方を通して,「(わたしたちナースは)普通の人々に出会い,その人生に触れ,その結果,その人たちの人生が変わり,そして,自分の人生も変わるのである」と言ったLeah L. Curtinのことばがそのまま本書にもあてはまると思った。

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