た」と。しかし、間違いなく彼女は書くことを強く望んでいて、延命のために書く自由を制限されることなど、絶対に受け容れなかったはずだ。なるほど、何年か先、治療によって心の嵐がおさまり、痛みがやわらぎ、傷が瘢痕化してから書く、という選択肢は確かにあり得たかもしれない。しかしその場合、専門家にビンタを喰らわせるような、凄まじい迫力が文章に宿ることはなかっただろう。本書を読んでいるあいだじゅう、私は何度となく、自分が救えなかった何人もの患者のことを想起し、そのたびに胸に鋭い痛みを感じていた。戦場に掘られた塹壕のような腕の傷を抱えた彼ら/彼女らは、一見、曲芸師のように細い綱の上で微妙にバランスをとりながら、その実、内面ではこんなことを感じ、あるいは、あんなことを考えていたのかそんなふうに思いを馳せながら、私は本書を読んだ。――傾けよ、と残念ながら、私たちには死を介してしか学べない事柄がある。彼女は本書においてこう叫び続けている。行動の逸脱を拘束して管理するのではなく、背景にある物語に耳をなく、自分自身の体験を真摯に真摯に言葉にし」たのだ。私たちはこの命懸けの一冊、命懸けの言葉をしっかりと受け止め、現在の同僚と共有し、さらに、未来の同僚たちに伝え続ける必要がある。彼女の命を無駄にしてはならない。そんなあたりまえの精神科医療を願って、著者は、「他人事としてでは297
元のページ ../index.html#21