傷の声
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「Self harmがSelf care「さっき買ったカミソリを当てる。力を込めて引く。できた傷のキリキリとした痛み、溢れてくる血の赤さ、腕を伝って流れてくる血の温かさ。すべてが、燃えさかって火傷だらけのこころから、意識を体のほうへと引っ張ってくれる」「オーバードーズは胸をプレス機で潰されるかのようなひどい感情を意識ごと飛ばすのに役立ち、アームカットは切る痛みや流れる血の赤さと温かさによっていっときでも意識の向く方向を自分の感情から体の感覚へとそらすのに役立つ。これらがなければ私はとっくに死んでいた。それほど生きるのはきつかった」これらの言葉は、いかなる専門家のものよりも正確で、強い説得力がある。それだけではない。本書は、なぜ彼らが管理に抵抗するのかも教えてくれる。それは、かけでわかる行動ばかりに注目して、それを抑え」ることに専心しているからだ。本当に必要なのはそこではない。自傷する人を「自分なりの物語を持った人間として認識」することこそが必要なのだ。とはいえ、言うは易く行うは難しだ。「何もやらかさないのを見て「最近調子いいね」と言われるたび、世界とのあいだにあるガラスは厚くなる」とれるこの一文に、少しも胸が痛まない医療者など、おそらくどこにもいないだろう。奇しくも著者の生年は、あの、『卒業式まで死にません』(新潮社、 二〇〇四年)の著者になっている」にもかかわらず、医療者が視野狭窄に陥り、「見著者の深い落胆が見て295―

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