傷の声
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物語について通じ合う言葉で誰かと話し合うことだった。例えば、育ってきた環境、それによって染みついた考え方、今現在感じ取っている世界、自傷に至るまでのトリガーの数々。こういった断片化した物語の存在を認識し、共に考え編み直す必要がある。ところが、そこに取り組んでくれる支援者やコミュニティに出会う機会は未だ少ない。退院日。三週間ぶりにシャバに出ると、呼吸も苦しいほどの熱気が体にまとわりついた。寝たきり生活で筋力の落ちた足は、自分の体を支えるのに懸命だった。病院にやって来た時とは別世界だった。別世界は、いつまでも通常の世界に戻らなかった。私は常にガラス越しに世界と相対しているように感じていた。「おかえりーー‼寂しかったよ」とハグで迎えてくれるパートナーにも、あの時の「自分は孤立無援だ」という感覚や「一番信頼するこの人にさえ私の経験は何も伝わらないのだ」という確信が水を差し、体を硬くするしかなかった。「拘束のどこがつらかった?」と問う人には、拘束の何たるかを想像できない敵を思い出して言葉を失ったし、「大変だったね」と慰める人には、大変という言葉の軽さに温度差を感じた。唯一、「拘束はどんな人に対してもやっちゃいけない」という大学の教員の言い訳のない言葉だけが、風穴を開けてくれた。退院して一ヶ月ほどが経った今。死んでいないからこれを書いているし、アームカットもしていない。それを医療者たちは、「希死念慮の強くなる躁と鬱の混合状態を入院で乗り越えた」と言うのかも23

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