傷の声
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もあえなく〈衝動行為〉と認定され、拘束の継続に繋がったのだ。もういつ拘束がはずれるのか、いつこの地獄のような場所から逃げられるのか、全くわからなくなってしまった。拘束が早くはずれるようにと、この状況に適応した良い子を振る舞う意思の力はガラガラと崩れ、仮面の奥にいた自分が必死で訴えた。なぜこのような扱いを受けねばならないのか。なぜ医療者は全く聞く耳を持ってくれないのか。そういったことを言ったと思う。ベッドに縛りつけられながら卑しくも「助けてください」と嘆願する私をよそに、医師は去り際に「病院の物を壊したら弁償してもらうからね!」とありもしないことを叱りつけていった。そして、この一連のエピソードは躁の症状として片づけられた。何もかもが病気の名の下に封じ込められていた。状況の救いようのなさに、私は声を上げてわんわん泣いた。泣き声を聞きつけた看護師がやって来て言った。「泣くのはいいけど、他の患者さんがびっくりするから声は出さないでもらっていい?」。私がなぜ泣いているかには関心もないのだろうか。「あなたには拘束をされている人の気持ちがわからないでしょう」。そう言ってみると「うん、わからないよ」とバッサリやられる。あぁ、またやってしまった。この人たちに共感を求めることほど愚かなことはないのだ。私の話す言葉は日本語のはずなのに、誰にも届かない。どんな感情の発露も、医師には握り潰され、看護師にはいなされて宙に消えていく。どんな必死の願いも跳ね返るばかり。違う国にひとり放り込まれたかのように、誰とも共通の言葉を持たず通じ合うことはない。18

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