医学書院の70年
90/252

1967.03.20赤門の並びに新社屋竣工創業社屋は洋風の意匠ではあるが,実は瓦屋根の木造建築で,夏は暑く冬は寒かった。また,常に火事と隣り合わせで,毎朝夕,貴重な原稿を金庫から出し入れするのが日課であった。社員が快適に,そして安全に働ける環境を考える金原元(当時専務)にとって,冷暖房とエレベータを完備し,火災にも強い近代的なビルを社屋とすることはまさに悲願であった。その元が目を付けたのが赤門並びの青木堂の跡地である。 古くは夏目漱石の『三四郎』にも登場する本郷の青木堂といえば,洋酒や葉巻,チョコレートなどを販売する,いわゆる西洋文化の香り漂うハイカラな小売店であった。二階は喫茶室になっており,周囲の白壁は落書きで一杯であったという。未来の首相や文豪が主張,感想を落書きしたのである。吉田茂,夏目漱石,森鷗外らの署名が見られたといわれるその青木堂が第二次世界大戦末期の東京大空襲で灰燼に帰し,跡地に建てられたのが社の新社屋であった。 1967年3月20日,地上6階建てのビルが竣工した。創業社屋の「本社」に対し,新しいビルを「新社屋」と呼んだ。建て替えに当たって仮店舗を探していた富士銀行(現・みずほ銀行)本郷支店に1階から4階までを賃貸し,1967年6月,5階と6階にまずPR部,販売部が移転した。一方,創業社屋に残った部署には富士銀行で不要になった事務机が回ってきていたが,1969年1月以降出版部門,経理課と順に新社屋に移り,やがて全社員が創業社屋に別れを告げた。 1972年3月には,新社屋の裏,東京大学側の空き地にビル増築のため基右ページ:本郷三丁目方向から本郷通りを隔てて望む新社屋(1967年)―当時,この周辺では社の新社屋はひときわ目立つ高い近代的なビルであった。Opposite page: The view of the former company building as seen from Hongo 3-chome in 1967. ―In those days, the building was tall and modern, and stood out con-spicuously among other buildings.The Completion of the Former Company BuildingNear the University of Tokyo’s Akamon Gatein Hongo 5-Chome 70 years of igaku-shoin080

元のページ  ../index.html#90

このブックを見る