医学書院の70年
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1964.04.10内科領域の新雑誌『medicina』の創刊は,1964年4月10日のことである。当時,社は20誌を超える雑誌を発行しており,業界内では「雑誌の医学書院」との呼び声も高かった。しかし,『看護学雑誌』を除くとどれも販売部数では苦戦を強いられていた。なかでも内科領域では各社総力を挙げて看板雑誌として宣伝や販売力で部数を伸ばし,地盤を固めつつあった。こうした状況のなか,専務であった金原元は『medicina』の創刊にあたり,「『臨床内科・小児科』の凋落を立て直し,さらに内科領域において質量ともにリーダーシップをとる雑誌を発行したい,これが私の情熱でした」と社員向けの「Letter from the Management」に綴っている。 新雑誌創刊に向けて主任以下3名の特別編成による編集室体制がとられた。この任に抜擢されたのが女性初の管理職の所沢綾子であった。初代編集委員は,高橋忠雄(東京大学教授)を中心として日野原重明,小酒井望,阿部正和,佐々木智也の5名の先生方に依頼(非公表)。第1回編集会議(1963年10月31日)では専務以下すべての役員も出席し,会議は夕刻から夜半にまで及んだ。新雑誌は「啓発的総合雑誌」とし,読者対象には勤務医を中心とする内科領域の臨床医に定め,目標部数は1万部,創刊を1964年3月(4月号付)と決定。創刊号には,“臨床家に役立つよう,プラクティカルであること”,“明日の臨床に直結する情報を提供する”といった方針が「編集宣言」として謳われた。グラフ頁を設け,読みやすく工夫された斬新な誌面構成は徐々に読者を獲得していった。 今日,創刊から半世紀が経過し,この間に内科領域も分子生物学をはじめとした基礎医学の進歩に伴い大きな変貌を遂げた。ともあれ,日本の内科学(医療)の進歩・発展に大きく貢献してきたという点で,『medicina』の創刊に情熱を傾けた金原元の夢は着実に花開いたと言えるだろう。上:バックナンバーAbove: Some back issues of medicina.右ページ:創刊号表紙̶写真は正常ラットの腎糸球体の電子顕微鏡像である。Opposite page: Inaugural issue of medicina.『medicina』創刊Inauguration of medicina70 years of igaku-shoin076

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