医学書院の70年
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社で医科機器を取り扱うきっかけとなったのは,1951年ごろに尿検査セットを扱う機会があり,社内に「代理部」を設けたことが始まりであった。 1955年,かねてから医科器械に理解と関心を抱いていた社長の金原一郎は,専務であった金原元とともに「医科器械部」を設立。そのころ臨床医に最も必要とされていた簡易検査器具の開発から,製造,販売に至るまで一貫して行うようになった。 やがて書籍出版と医科器械製造が同調しない点が目立ちはじめ,1962年7月1日,藤見亮輔を社長として医学書院器械株式会社を発足させ,同時に社屋を文京区本郷(旧本社ビル車庫付近)から中野区中野に移転,営業を開始した。 1965年ごろには,『看護学雑誌』の編集に携わる先生方の要請を受け,当時専門メーカーのなかった看護器材の開発と製作も手掛けるようになった。 1978年,業務の発展に伴い杉並区高円寺の広い営業所に移転。その後1986年,椿孝雄が社長に就任し,詳細に検討を行った結果,業態の違いから社が継続する必然性が薄れたとの結論となった。そこで翌1987年には経営権の譲渡を行い,中島洋一氏が社長に,その翌年には社名をアイエスケー医学書院器械株式会社と改称した。1990年,営業拠点を高円寺から文京区湯島に移転。1994年6月1日,社名をアイエスケー株式会社とし現在に至る。 現在,アイエスケー株式会社では,医学書院器械株式会社時代に開発し販売を開始した子宮頸がんの自己検査セット「ホームスミアセット」をはじめ,100アイテムほどの医科機器を取り扱っている。時を経て社名は改まったが,医学書院時代から続く三人の看護師をモチーフにしたシンボルマークは「スリーナース」の愛称で臨床現場に親しまれ,今日に受け継がれている。左:設立当時の医学書院器械株式会社(中野区中野)Left: Of ce building of Igaku-Shoin Kikai Ltd. at the time of establish-ment in Nakano-ward.右:ホームスミアセット̶被験者が自分で簡単に細胞を採取し,子宮頸がんの検査ができる。医学書院器械株式会社の時代から受け継がれ,現在ではアイエスケー株式会社の代表的なヒット商品となっている。Right: “Home Smear Set” ̶A self-sampling implement for the cytoscreening of cervical cancer.上:旧スリーナースのシンボルマーク下:現スリーナースのシンボルマークAbove: Old and current symbol marks representing “three nurses”.071

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