医学書院の70年
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フランクフルト・ブックフェア(Frankfurt Book Fair,以下FBF)は世界最大の書籍見本市である。15世紀半ばにグーテンベルクが活版印刷を発明し,程なくしてフランクフルトで行われた“本の市”が最初の見本市と言われている。第二次世界大戦後の第1回は,戦後再建された聖パウロ教会(Paulskirche)において,当時の西ドイツの出版社205社が参加して1949年に行われた。第3回(1951年)から現在のメッセ・フランクフルトに会場が移り,以来毎年規模も拡大し続けている。第65回となった2013年は,世界102か国から7,275社が参加し,期間中の入場者数は27万5,342人に上った。 社からFBFに初参加したのは当時専務の金原元で,1954年の第6回にさかのぼる。創業者金原一郎から“世界の医学書院になる”夢を託されFBFに参加した元は,その規模の大きさに驚くと同時に社の出版物を一日も早く国際的な舞台に載せたいと考えた。翌年以降,長谷川泉,椿孝雄,安藤直文らが現地に赴き,悲願達成の足掛かりとしてFBFへの出展を決めた。 単独ブースで初出展に挑んだのは1961年である。当時編集長の長谷川泉は,羽田から南回りのプロペラ機で二昼夜をかけてフランクフルトに入り,10月18日からのFBFに臨んだ。展示した書籍は,既刊の英文書2点を除くと社の代表的書物『SWシリーズ』をはじめどれも日本語であった。「すべてのものがInternationalな観点で評価されるべき」という金原一郎の言葉にあるように,この初出展は国際的な舞台に登場する社の決意を表すものであった。単独出展は1963年の共同展示でいったん途絶えたが,1967年安藤直文の出張により再開され,以後「9.11」の同時多発テロで世界中が震撼した2001年にも途切れることなく,今日まで続いている。 FBFに参加する目的は,①出版物の宣伝,②出版物の販売権売買,③出版物の翻訳権売買,④会社間契約事項の交渉,⑤情報交換,に集約できる。FBFにおける社の業務は1970年に入って活況を呈するようになる。特に新設医科大学増設による特需を得た洋書業務は海外出版社との取引量を急激に伸ばした。また,世界的レベルにある日本医学の業績を著した英文出版は各国の注目を集め,販売権のみならず英語から他言語への翻訳権販売も増加した。日本語への翻訳では,原書の原語部分を日本語に置き換え,美麗なアトラスなどを出版する共同出版が注目を浴びた。 1980年代に入ると,米国現地法人(ISNY)の設立以来,発行点数を増やした英文出版が社の知名度を高めるのに貢献した。また,当時FBFの折に毎左ページ:FBFに初出展した際の社の展示ブース(1961年)―出版文化国際交流会がFBFに初参加したのも1961年で,この年は社にとっても,日本出版界にとっても国際化へ一歩を踏み出した記念すべき年となった。Opposite page: Igaku-Shoin’s rst exhibition booth at the FBF (1961).065

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