医学書院の70年
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000000輸入業務については何の知識も技術も持ち合わせていなかった。そのため,ある出版貿易の会社とタイアップして,輸入はそちら,宣伝と販売はこちらという形でスタートすることになった。不本意ではあったが仕方なかった。 そんなとき,シェーファー氏が現れたのである。彼は輸入業務も自ら行うことを示唆したが,元は会社の力が足りないことを伝えた。「ダイジョウブ,デキマス。ヤッテゴランナサイ」。元を勇気づけ,「オカネハイリマセン,アトカライタダキマス」と援助を申し出た。“よし,そうまで言ってくれるならやってやろう―。”元は決心した。 この決断は世界へとつながる重い扉を開き,やがて社は洋書部創設へ向けて大きく動き出すこととなった。 翌年の1954年3月,販売部に洋書仕入係が設置され,元は自ら担当主任となる。そして5月にはシェーファー氏の招待を受け,初めてドイツ,スイスを訪れた。3週間ほどの滞在であったが,氏の案内によりSpringer-Verlagをはじめ二十数社の医書出版社との直接取引開始に成功し,これをきっかけとしてW.B.Saundersなどアメリカの出版社とも直接取引が行われるようになった。いわばOtto Schäfer氏は社を国際舞台へと導いたプロモーターであり功労者であった。シェーファー氏歓迎会招待状―シェーファー氏は日本の出版人に友人知己が多かった。何度目かの来日の際,氏を歓迎する会を催したところ,たちまち五十数名が集まリ,好物のお寿司やおせんべいを食べながら懐かしい思い出話やドイツの出版事情などを語り合った(日本出版クラブにて)。Invitation to a party honoring Mr. Otto Schäfer.70 years of igaku-shoin0481952.12.15

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