医学書院の70年
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社員旅行は記録に残る限り,1950年10月8日の日本医学雑誌株式会社と株式会社学術書院の合併記念旅行(箱根強羅一福旅館)が最初である。1951年7月には社員親睦会が結成され,志木会と命名された。この名前は,1944年秋に縁あって志木の百姓家に全社員10名で赴き,8畳と4畳半の部屋でもてなしを受けた際に,「必ずこの部屋に(社員が)入りきれない大会社になってやる」と自らに言い聞かせたという金原一郎の話にちなんで付けられた。1954年まで志木会として旅行していたが,1955年には社員慰労旅行と名称を変え,1957年からは旅行に加えて社員レクリエーションも企画された。  1960年12月,医学書院改称10周年記念と銘打って社員旅行が大規模に行われた。社外から協力会の会員も参加し,総勢170人超が熱海富士屋ホテルで1泊した。このとき第1回永年勤続者表彰も同時に行われている。また,1964年10月には社の創立20周年記念で信州路のバス旅行を実施。総勢160人が4台のバスに分乗し,リンゴ狩りなどを体験した。 ある時,社長の金原一郎が編集担当の社員以外とも面識をもつことを希望し,専務であった金原元の発案で誕生会が行われるようになった。1959年7月11日,当時の社屋隣にあった洋菓子店「白十字」2階で当月誕生日の社員を集めて食事会が開かれた。以後毎月実施され,翌年からは社内会議室での茶話会となった。誕生日プレゼントとして,席上500円を預金した銀行通帳が元から一人一人に手渡された。この誕生会は一時中断するが,再び一郎の「(社員に)知らない顔が増えてきた」との発言で1963年に復活。以後1983年12月まで20年間にわたり行われた。 海の家は,元自ら車で備品を運び込むなど熱心であった。そこには社員と家族の幸せなくして社の発展はない,との考えがあった。1957年の大磯に始まり,九十九里浜,三浦海岸,千倉,鵜原,伊豆今井浜,三浦海岸と場所を変えながら存続した。山の家は1981年に八ヶ岳に開設。いずれも2002年まで継続した。 1999年2月には,社員の福利厚生のため医学書院共済会が発足している。Company Trip Commemorating the Merger ofGakujutsu-Shoin with Nihon Igaku Zasshi The Origin of Employee Bene ts左ページ:医学書院改称10周年記念旅行(1960年12月/熱海富士屋ホテル)Opposite page: The company trip to Atami commemorating the 10th anniversary of the merger which re-sulted in the new company named “Igaku-Shoin Ltd.”(October 1964).下:保谷に完成した社員アパート(1960年11月)―家族用6戸,独身者用が4室あった。Below: The company apartment house building newly constructed at Houya-city, Tokyo (November 1960).029

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