医学書院の70年
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社の前身である日本医学雑誌株式会社は,雑誌発行を基本として1944年に設立されたが,終戦後,戦時体制からの脱却とともに書籍への進出を試みた。その一つが,戦後の新しい医学教科書の先駆けとなった『簡約医学双書』の発行である。1946年2月20日にシリーズ第一作となる『皮膚性病科学』(川村太郎)(医双23)が発行され,以降,『外科学』,『眼科学』,『内科学』,『婦人科学』と相次いで出版された。 この教科書は,戦争末期,医師不足を補うための医師免許戦時特例法に基づき,歯科医師を医師に再教育する目的でまとめられた講習会用のテキストが母体となっている。必要事項が簡潔に記されたその内容は受講者に大変好評であった。戦後,改めて書き直して医学生向けの教科書として再編成された。執筆者には,当時東京大学医学部長であった田宮猛雄先生を中心に,東京大学の助教授・講師クラスの若手の先生方を多数起用した。 1947年10月,書籍部門の発行所として株式会社学術書院を創立(社長:森島侃一郎)すると,『簡約医学双書』の発行にも拍車がかかる。当初はB6判であったが,改訂を進めるなかでA5判となった。1951年10月30日には『簡約医学双書』の監修者,著者総会を開き,その名称も『医学双書』へと変更された。全28巻35冊から成り,初版発行時から表紙の白地に青の横線が入った装丁であったことから「ブルーライン」とも呼ばれ,全国の医学生に広く親しまれた。 本シリーズは戦後の医学教育において一時期を画した教科書として高く評価され,創業期の社の大きな支柱となった。また執筆者のなかには,後に医学界の重鎮として活躍された冲中重雄先生をはじめ,多くの著名な先生方がおられる。上:医学生から圧倒的な支持を得た『内科診断学』―当初はこの第28集で完結の予定であったが,『内科診断学』があって『外科診断学』がないのはおかしいと第29集『外科診断学』が追加された。一方,第17集『外科学―頭部』はついに発行されず,幻の欠番となった。Above: “Blue Line Textbook of Medical Diagnosis” highly rated by medical students. 右:『簡約医学双書』シリーズRight: Simple Textbook in Medicine series017

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