医学書院の70年
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宿直日誌─戦時中の空襲に備え,直ちに消火できるように毎晩,交代で宿直をした。裏表紙にはその心得が記されている。1944年12月20日,当直者の金原一郎による「午後九時警戒警報発令」から始まっている。The cover of the night-duty report. (left), and the instructions for the report (right).多くの同業出版社が焼失したが社は奇跡的に焼け残り,終戦となった。 創業当初,日本医学雑誌は雑誌のみを発行することとされたが,戦後はその規制も外れ,戦時体制からの脱却とともに書籍への進出,新雑誌の創刊が始まった。 しかし,戦後の立ち上がり期にあっても,用紙,印刷など生産手段は壊滅的な打撃を受けていたため,空襲がないというだけで設立時の苦難は続いていた。そのなかでも雑誌発行はわずかながら継続された。当時,「鉢の木」で編集,発行された『綜合医学』は,戦時中から戦後数年にわたり日本で唯一の医学雑誌として,医学研究の進歩に大きく貢献した。 創立2年目に「鉢の木」を買い取ったころ,まだ無名であった社は,「一冊で立っていられる本がない」(薄い小冊子ばかりで大きな単行書がない)と同業者から揶揄された。この言葉から一郎はますます奮起し,全社員一丸となって社の発展を目指した。005

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